3-4 何もない彼

 その後、少しチャンネルの作り方をレクチャーしたり芙雪くんが持っているゲームで遊んだりして、また駅まで送ってもらって芙雪くんと別れた私たちは、ほう、と息をついた。


「さっちゃん、途中まで同じ道だよね。帰ろ」

「んー。帰ろー。なんか色々とびっくりした日だったなあ」


 お互いの家がある方向に向かって歩き出しながら呟いた私に、ハルが「そうだね」と同意した。赤くなった夕焼け空が、くっきりと二人の影を道に映し出す。


「しかも二重の意味で驚いた。家がすごかったってのと、ゲームの有名人だったっていうのと。スマホでTonoって検索してみたら本当に色々と大会実績の記事が出てきたし。俺、全然知らなかったよ」

「ほんとにね。芙雪くんが実際にゲーム実況を始めたら、きっと大騒ぎになるよ。あのTonoの正体は十五歳の高校生だったんだって」


 わくわくした気分で足取り軽く、商店街を通り抜けて住宅街への道を歩く。個人チャンネル作って、最初は何のゲームをするのかな。TonoはFPSのジャンルで特に強いと有名だけれど、芙雪くん自身はそれ以外にもRPGや、ほのぼのした雰囲気のゲームとかも好きって言っていた。なんだか不思議だな。ハルちゃんねるで芙雪くんは自分一人だけの動画を出したことはないし、動画の編集は全部私とハルの二人で分担している。どんな感じで彼が一人で喋って編集するのか想像がつかない。


「みんな、すごいよな」


 気がつくと早歩きになっていたみたいで、となりではなく後ろからハルのつぶやく声が耳に入ってきた。

 そっと振り返ると、ハルの足は止まっていた。少し目を細めて私の足下あたりを見つめている。


「ハル?」

「芙雪は超有名なゲーマーで、さっちゃんは人気だった踊り手で。ヒロも公表はしてないけど夏田シモンの弟なだけあってカッコいいし……ていうか一目置かれるくらい強い不良なんでしょ」

「いや、確かに一目置かれてるかもだけど、不良だよ? 悪い意味で有名なだけだよ」

「でも、個性際立ってんじゃん。本当の本当に何もないのは、俺だけだ」


 ハルのかすれた声が、私と彼の足下の間に落ちていく。


「ハル……」

「ごめん、ちょっと羨ましくなっただけ。今のは聞かなかったことにして、忘れて。……じゃあ、また次の撮影のときにね! ばいばい!」


 大げさに大きく手を振って私とハルの家の別れ道を走っていくハルを私は突っ立ったまま見送った。私たち以外に人通りのなかった細い道が、一気に静寂に包まれる。

 聞いたことのないような寂しげな声音に、私は何と返事をすればいいのかわからなかった。




 やっと始まった夏休み。部活動もしていないし授業ももちろん休みのはずなのに、九月にある文化祭の準備だとかで、私はなんだかんだで度々高校に登校していた。

 じゃんけん勝負で無事に勝利した私たちのクラスは予定通り和風喫茶に向けて動いていた。私は広報班だから、とりあえずポスターを作らなければならない。といっても絵心があるわけでもないから、同じ広報の美術部の女の子がデザインを考えているのを横からぼーっと眺めているだけだ。


「よしっ。澤さん、下書き、こんな感じでどうかな?」


 シャーペンで白黒のざっくりした絵が描かれた紙を見せられて、私はコクコクと頷いた。明治時代や大正時代の喫茶室にでもいそうな和服にエプロン姿の女の子のイラストや桜柄の背景が可愛らしい。


「いいと思う! すごい、私こんなの描けないよ」

「えへへ、ありがと。じゃあ家で描いて完成させてくるから、印刷のときにまたお手伝いよろしくお願いします」

「はーい。ごめんね、大事なところを任せちゃって……」


 私にもこれくらい描ければなあ……。申し訳なくて謝ると、彼女は気にしていないように微笑んだ。


「全然いいよ。好きでやってるんだから。それに、澤さんだってCM作ろうかなって言ってたでしょ。映像を作れるほうがすごいよ」

「ああ、うん。もう少しクラスの準備が進んだら短い宣伝用の動画を撮りたいんだけど。制服が完成したら誰かに出演してもらって。でも、間に合うかなあ……」


 衣装班は和風の店員用制服を手作りで製作中だけど、どうやら手こずっていて進行状況は芳しくないらしい。まだ文化祭まで一ヶ月弱はあるからなんとかなればいいけど。

 教室にはその問題の衣装班のほか、内装班も準備をしている。みんな忙しそうなわりに、私たちは今、そこまでやることがない。もう今日は解散でいいかな~。それか、他の班を手伝うか。


「そういえば、大垣くん大丈夫なの?」

「え?」


 突然、美術部の彼女にハルの話題を振られて私は目を丸くした。


「大丈夫って何が?」

「え? だってほら、今なんか噂になってるでしょ。ハルちゃんねるのリーダー、ハルは中学時代までいじめられていたー……みたいな情報がネットで出回ってるらしいよ。澤さんもメンバーだし知ってるのかなって思ってたんだけど……」


 初耳の情報に耳を疑う。そんな噂、あったっけ? 言われてみれば、私は芙雪くんのメンバー加入の動画以来、コメントを一度も見ていない。ハルちゃんねるのみんなで作ったSNSの管理はヒロ担当だからそっちも意識的に見ないようにしている。そういう情報を確認していないから知らなかったのだろうか。

 私は引きつった笑みで首を傾げた。


「最近、編集とかで忙しくてネットちゃんと見てなかったから……。今度本人にも大丈夫か確認してみる」

「そっか。よくわからないけど、あんまり気にしないで活動頑張ってね。私もハルちゃんねるときどき見るから楽しみにしてるし」

「ありがと」


 ぼそぼそと話していると、教室に入ってきたクラスメイトが私たちを呼んだ。


「ねえ、広報班のお二人さーん、今、時間ある? よかったら調理実習室に行ってメニュー企画班の助っ人お願いできない? 味見して意見言ってくれるだけでいいからさ」

「えっ、味見?」

「行きます行きますっ」


 私たちは今しがた話していた内容も忘れて、勢いよく立ち上がった。

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