1-3 鯉釣り
大垣くんの手伝いは、そんなに難しいことではない。
校舎を一階まで駆け下り外に出て池へ向かい、スマホのカメラを起動してピントを池に合わせて。あとは大垣くんが池に垂らした針に鯉がうまくひっかかってくれるのを待つだけだ。
池には既に、大垣くんが垂らした糸が入っている。綺麗とは言い難い緑がかった水面に、鯉の薄赤い影がゆらゆらとたゆたう。
私はこんな馬鹿みたいなことに付き合って一体何やってんだろうと、ほんの少しだけ思う。
何でこんなこと手伝ってるのかって、馬鹿みたいだけどそれでもちょっぴり、本当に釣れたら面白そうだなと思ったから。それから、私のことを「アッキ」と呼んだ彼が、私の意外なところを見ていたから。
アッキというのは、私が踊り手として活動していたときに使っていた名前だ。幼なじみが物心つく頃には私のことをそんなニックネームで呼んでいたから、そのまま使っていた。
澤亜紀羅がアッキだということは、同じ中学出身の同級生が少ないこの高校ではほとんど知られていない。
たまにもしかしてと思って「アッキって亜紀羅ちゃん?」なんて聞いてくる子もいるけど、そういうときには正直にそうだよとは答えている。でも、それだけ。自分から広めようとしなければ、それ以上噂になることはない。消えた動画投稿者のことなんて、みんな興味ないから。
中学生のときには、一緒に動画を撮ってほしがる子も多くて、私はそういうのが心底嫌だった。私を利用して自分の動画の再生数を稼ぎたいだけの人たち。もしくは私を通して、人気絶頂の踊り手にまで上りつめた私の幼なじみに会いたいだけの人たち。
平穏な高校生活にも慣れて忘れていたことだったけれど、さっき大垣くんが私を「あのアッキでしょ?」と言ったとき、この人もそうなのかと思った。私を自分の動画に出させたいのかって。
けれど、彼の言葉の続きは意外なものだった。
「俺、ダンス動画も好きでよく見るからアッキ……澤さんもそれで見たことがあったんだけど、澤さんって、踊るだけじゃなくてよく他の人の動画の編集とかもやってたじゃん」
確かに私は知り合いの踊り手が動画を撮影するときなんかには手伝いとしてカメラ係や動画編集をさせてもらったことが少ないけれど何度かある。そういうときには動画の端に表示される概要欄に「撮影編集・アッキ」とお手伝いのスタッフとして名前を載せてもらっていた。
「俺、澤さんが編集した動画が好きだったんだ。丁寧っていうか、画質も良いしエンディングムービー入れたりとか編集も凝ってるとこあるし。たまにおまけでNGシーンとか入れてくれるの、あれも超面白かった」
だからおこがましいかもしれないけど、自分が尊敬してる人に撮影を助けてもらえたらって。そう、言われた。
手伝おうと思った。
知名度か撮影の経験スキルかの違いだけで、結局は彼も私を利用しようとしているのかもしれないけれど、私に近寄ってきた他の人たちとは違うものを私に見出してくれただけでちょっと嬉しかったからいいんだ、と自分に言い訳をしておく。
そんな考え事をしている間にも、目の前の池ではゆらゆらと糸が動いている。何をやっているのかと暇な生徒たちも池に数人集まってきているし、校舎の窓から不思議そうにこっちを覗いている人もいる。
時間を確認すると、鯉がひっかかるのをもう十五分ほど待っている。このまま待っていても無理かもなあ、なんて思い始めたとき。
ぴんと張っていた糸がふいに動いた。あ、と思ったときにはぼちゃんと派手な音がして、糸とともに赤い鯉が水上に引っ張り上げられる。
そこそこ太ったその魚は、躍るように目の前で暴れ、上へ上へと引き上げられていった。二階あたりの高さまで来たところで、その階の窓際にいた生徒たちから、マジで⁉ といった笑い混じりの叫び声が上がった。
「ほんとに、釣れちゃった……」
思わず呟いたけれど、すぐに私はざわつく周囲の生徒たちを気にする暇もなく、目いっぱいズーム拡大して、校舎の上方、屋上にいる大垣くんにスマホカメラを向ける。
「大垣くーん、やったねー」
声をかけると、大垣くんはこっちに向かって、ルアーを持っていないほうの手をぶんぶんと振って叫んだ。
「うん、やったー! 釣れたー!」
画面に映っているのは、子どもみたいに無邪気な笑顔だった。今のは動画に必ず入れたい。撮れ高良し。あ、でも私が手伝うのは撮影だけか。
勝手に楽しくなって編集のことも考えてしまっていた。
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