1-2 晴からのお願い

 放課後の屋上は、たまに暇な生徒が駄弁っていたりすることもあるけれど、基本的には人がいない。古い校舎だし、そんない綺麗な場所でもないし。

 でも人気がない分、告白したり、陰湿ないじめを行ったり、大事な話をするにはうってつけだ。

 そう思うと、階段を上る私の足はだんだんと重くなる。

 紗綾は朝、「告白か?」なんて騒いでいたけれど、実際のところ大垣くんは何の用事で私を呼んだのだろう。何か無意識に怒らせるようなことをしたんじゃないだろうか。

 それにもし、本当に告白だったとしても……学年で人気の男子に好きと言われることは素直に嬉しいけれど、私にはそう言われるほどの価値はない。彼のことを好きでもない。断るのはそれはそれで、しんどい。

 重い足を上げて一番上の階段までを上りきる。

 錆びついたドアを押し開けると、春らしい爽やかな風が一気に流れ込んできた。雲一つない青空が目にしみる。

 私を呼び出した人物、大垣晴は、その青空の下でこちら側に背中を向けて立っていた。


「大垣くん」


 呼びかけると、彼はゆっくりと振り向いた。そして私の姿を捉えると、パッと駆け寄ってくる。


「澤さん、待ってた! 来てくれてありがとう!」

「うん。それで話って……」

「急でさ、ほんっと申し訳ないんだけど、とりあえずこっち来て!」


 ぐいぐいと腕を引っ張られてフェンスの方に連れて行かれる。告白……ではなさそうだ。かといって怒ってるわけでもないみたい。

 何が目的なのかと探るような気分でついていくと、フェンスのすぐそばに三脚で固定されたカメラが二台置かれていた。


「あのさ、手伝ってほしいことがあるんだ」

「手伝ってほしいこと?」

「そ。あそこの池にこいがいるでしょ?」

「……いますね」


 そう言って大垣くんは、胸くらいの高さまであるフェンスに少し身を乗り出して下の方を指差した。

 うちの高校の裏庭には小さな池があり、そこには鯉が数匹泳いでいる。なんか一応環境委員だったかどこかの委員会が餌をやったりしているらしい。


「俺は、ここからその鯉を釣りたいんだ。もう釣り竿も釣り餌も用意してある」


 確かにカメラから少し離れた場所に、大垣くんのものらしいバッグやルアーらしきものが置いてある。釣りなんてしたことがない私は、ふうんと思ってそれを眺めてうなずいた。

 屋上から釣りをしようってか。馬鹿じゃないのか。


「あっ、今、馬鹿にしたでしょ」


 言い当てられて、そっと目をそらす。


「そんなことは、ないけど」

「まあ、いいよ。馬鹿なのは本当だしね。それで本題なんだけど、鯉を釣る瞬間を動画撮影したいから手伝ってほしいんだ」


 大垣くんは馬鹿にされたことを怒るわけでもなく楽しそうにお願いしてくる。まあ、撮影するつもりなんだろうなとは思っていた。わざわざカメラが彼の隣に準備されていたから。


「まあ、よくわかんないけど手伝うだけなら……。ていうかスマホのじゃないちゃんとしたカメラって、気合い入ってるね」

「撮影できたら後でアップするつもりだからね」

「ふうん。SNSとかに?」

「そうそう。見て、これ俺のチャンネル」


 大垣くんが自分のスマホをいじって手渡してくるから受け取って画面を見せてもらうと、「ハルちゃんねる」という名前の動画チャンネルが表示されていた。

 チャンネル登録者数は、2000に少し足りないくらい。彼にはそれだけの人数のファンがついているということだ。

 もちろん人気の動画投稿者は万単位の登録者数だからそれには遠く及ばないけれど、そもそも興味を持ってもらえない動画投稿者は100もいかない。大垣くんもそんなレベルだと思っていたけど、どうやらこれは……少し人気レベルじゃないか。


「すごい……ユーチューバーなんだ」

「すごくはないけどね」


 大垣くんは照れたように笑った。


「俺はここから鯉を釣るからその様子を自分で撮影するし、澤さんにはスマホのカメラでいいから、下に降りて池の横で撮影してもらいたいんだ」

「上からと池のそばからと両方の映像が欲しいんだ? おっけー、手伝う。……でも大垣くんって友だち多そうじゃん。なんでわざわざ私に声かけたの?」


 喋ったこともないのに。なんでだろう。


「ああ、それは、撮影とか慣れてるんじゃないかなと思って。だって澤さんって、」


 私たちの間に風が吹いた。もう春なのに、どこか冷たいような。

 なんで私に、なんて別に聞かなくても良かったのに。聞きたくないことを言われる予感がして、つっと小さく息を詰める。

 大垣くんが、屈託のない笑顔とともに首を傾げた。彼の唇が動き、言葉を発するのをぼんやりと受け入れる。


「あのアッキでしょ?」


 アッキ。その懐かしくも不快感の残る音の響きに、自分の顔が強張るのを感じた。

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