第四章 8-5


「そうですか…兄は自他共に厳格な方でありましたが、いったいどうして道を誤ってしまったのか」


 ダイバ老師の寺院から戻ったラーマとダシャラタが、門番を労いながら庭園に足を踏み入れると、まるで夫としゅうとを迎える良妻が如くシータが飛び出してきた。


 同時にレイネリアたちが四鏡増鏡ステルス・ミラーを解いて姿を現す。予め知らされていたとはいえ、何もない空間から突如として浮かび上がる彼女たちに、三人は目を剥いて驚くと深く敬服するようにひざまずいた。


 イクシュヴァーク家には既にアナン老師が訪れ、四人の帰りを待っていた。まずはダシャラタ、次いで彼女から一部始終の報告を受けた老師は、何処か遠くを見詰めるようにして、実兄であるダイバ老師の末路をおもんぱかった。


 偽の天人地姫を擁立して座長を簒奪さんだつする。まごうことなき死罪に値する大罪である。仮にこれまでの功績に免じて罪一等を減じられたとしても、僧籍を剥奪され、教国を追放されることは避けられない。


 彼女もまた、寺院の一室で覗き見た老師の姿を思い浮かべていた。やっていることは卑劣な悪行そのものだが、不思議とどうして風格めいたものが感じられ、その懸隔けんかくに困惑させられてしまう。


 しかし、どんな理由があれ、背景があれ、信念があれども、天人地姫の庇護者たるホーリーデイの家名と陪従者たる自身の名に懸けて、これを看過する訳にはいかなかった。


 やるべきことはもう決まっていた。明日の結集けつじゅうの場において、衆目の面前で偽の天人地姫の素顔を暴くのだ。アナン老師の計らいにより、非公式ではあるが結集に潜り込む算段も付いていた。今度は堂々とまではいかずとも、気兼ねなく一切皆空アッシュ・トゥ・アッシュを行使できる。


 その晩は明日に備えて早めの解散となった。彼女たちには一際豪華な客間が用意されていたが、シータについてはラーマの部屋に同衾どうきんするようである。最早、そのことに関して誰も異論を挟む者はいなかった。


 客間で就寝の準備をしていた彼女は、ふと教国に入ってからのことを思い返していた。教国では今までの旅路とは異なり、自らの手を下す機会が多かった。それはミストリアが意図的にそうしている部分も大きいのだろう。丸太兎ファッティラビット、ラーマとシータ、狂躁熊クルーエルベア、そして偽の天人地姫…全て、彼女の手で決着を付けさせようとしているのだ。


 きっと、これは期待であり、そして手向けでもあるのだろう。この一件が片付けば、いよいよその先は霊峰タカチホである。彼女は封禅の儀の詳細を知らない。ホーリーデイ家の当主すらもである。しかし、その先も自分が生きていけるように、ミストリアは道を示してくれているのだろう。


 ミストリアのことを信じている。信じているのだが、先ほどから止めどなく不安が押し寄せてくる。何か自分が見落としているような、思い違いをしているような、そんな感覚だ。


 それを明日の結集によるものだとした彼女は、不測の事態に備えて想像を巡らせる。もしも…そう、偽者が違う姿をしていたら、それも自分の身近な人間に化けていたとしたらどうだろうか。


 無論、彼女の空属性の特性で感知は出来るが、それは意識を集中させている時だけである。早々そうそうあり得ぬ話ではあるが、用心に越したことはないだろう。


「ねえミスティ、いざという時のために二人だけの合図を決めておかない?」


 彼女がそう提案すると、ミストリアは眠そうに欠伸あくびを溢しながら、いまさら不要であると言いたげに手を左右に振る。しかし、不安に駆り立てられた彼女が尚も食い下がると、根負けしたかのように承知してくれた。


 彼女は右手の甲で額を二度叩く仕草をした。もしものときに、自分がレイネリアであり、あなたがミストリアであると、そう指し示すために……。


 ミストリアは素っ気ない態度で頷くと、その先はもう言葉を返すことはなかった。彼女は今一度、自己を識別するその仕草を繰り返すと、綺麗な刺繍ししゅうがされた寝具に横たわり、微睡みの中へと沈んでいった。

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