第四章 8-3


「左様でございますか。では、ダシャラタよ、ダイバ老師の軍門にくだりなさい」


 レイネリアから偽の天人地姫への面会を相談されたアナン老師が、出し抜けにダシャラタへ向けて言い放つ。その無体むたいな宣告にダシャラタは呆然自失の様子であった。


 先ほどまでの威厳に満ちた姿は何処どこへやら、少しだけ気の毒にも思えてくる。その真意を問う彼女たちに、老師は鞍替えの見返りに拝謁を求めることを献策した。シータの一族のことを逆手に取ったのである。


 そもそも、老師は最初から翻意を促すためにイクシュヴァーク家を訪れたのだという。結集けつじゅうはもう明後日に迫っており、趨勢すうせいは既に決したと思われていたからだ。見す見す忠義の士を見殺しには出来ず、後事のために引き際を諭そうとしたのだが、彼女たちとの思わぬ邂逅により僅かな光明が射し込めてきた。


 ダシャラタも最初こそ渋ってはいたものの、敬愛する老師のめいには逆らえず、その策を実行に移すことを承諾した。そして、武人らしく手早く身支度を整えると、即座にダイバ老師の寺院へと向かい、仇敵に対して恭順の意を示した。ダシャラタにとっては屈辱に塗れた日となったが、己を殺して堪え忍んだことが功を奏し、翌日には天人地姫への拝謁が叶う手筈となった。


 彼女たちも一度旅宿に戻り、少ない荷物をまとめて引き払うと、再びイクシュヴァーク家の敷居を跨いだ。ダシャラタの申し出により、事が片付くまで逗留することになったのだ。その夜はささやかながらも歓待を受け、久方ぶりの実家で羽目を外すラーマと、仮初めながらも受け入れられたシータの笑顔が印象的であった。


 明くる日の昼下がり、ダシャラタとラーマはダイバ老師の寺院に向けて出立した。拝謁は当主であるダシャラタと、暫定的に勘当を解かれた嫡子のラーマのみが許され、シータは邸宅に留守居るすいとなった。もっとも、シータについては既に拝謁を済ませており、いたずらに老師に疑念を抱かせぬためにも同行は避けるつもりであった。


 やがて、ラーマたちは目的の寺院に辿り着くと、鎖帷子チェインメイルで完全武装した衛士えいしの詮議を受け、まるで連行されるように内部へと通された。


 二人をあざけるように見送る衛士であったが、不意に側方を通り抜ける風を感じて振り返る。しかし、風は風でしかなく、衛士はいぶかしげな表情を浮かべると、かぶりを振ってまた前方へと向き直っていった。


 寺院の僧侶に先導され、沈黙したまま通路を歩む二人の後方には、確かに彼女たちがいた。厳戒態勢の中を堂々と歩くその姿は、りとて誰の目にも映らなかった。


四鏡増鏡ステルス・ミラー


 周囲に温度差による空気層を生み出し、光を屈折させて背後の光景を投射することで、内部を透明化させる水属性の魔法である。夢幻泡影バブ・ルームと類似した魔法であるが、其方が拠点として土地に定着させるのに対し、此方は任意に流動させることを可能としていた。


 ただし、通常は術者本人を隠すものであり、他者を含む場合は効果範囲から出ぬように注意する必要がある。しかし、不用意に範囲を広げてしまうと、今度は意図せず第三者の侵入を招いてしまう危険性もあった。


 彼女たちが誰にも察知されずに済んでいるのは、無論ミストリアの卓越した魔法技術によるところもあるが、ラーマたちが先を行くことにより、進行方向と速度が定まっていることもまた大きい。


 やがて、一行は荘厳な造りである寺院の中でも、際立って厳粛な雰囲気を漂わせる一角へと足を踏み入れた。そこはダイバ老師が執務を行う区画であり、偽の天人地姫が逗留している場所でもあった。


 そして、一つの部屋の前で誘導する僧侶の足が止まる。緊張した面持ちのラーマたちの前で扉が開かれると、彼ら二人だけ――実際には彼女たちも含めて四人だが――が中へと招き入れられた。

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