第四章 5-2


 レイネリアたちは村の外れにある粗末な一軒家に上がると、シータに案内されて客間にしつらえられた椅子へと腰を下ろした。もともと四人家族の住居らしく、この村に来たときに宛行あてがわれたものだという。


 ルンビニは聖地であることから周辺に比べて裕福な村であった。一方で、誰でも自由に住める訳ではなく、二人が訪れたときにも相応の寄進きしんを求められたそうだ。


 村では食糧を共同管理しており、狂躁熊クルーエルベアの脅威により調達が芳しくなかったことから、二人を無条件に受け入れる訳にもいかなかったのだろう。ようやく村の一員として認められ、幸せそうな笑みが溢れるシータを見て、彼女は心から二人の前途を祝福した。


 やがて、客間の準備が整い、シータが就寝の挨拶を告げて部屋を後にしようとする。きっとラーマの部屋で同衾どうきんするのだと、少しだけ頬を赤く染める彼女を尻目に、宴のときからずっと寡黙にしていたミストリアが口を開いた。


「あなたは天人地姫に会ったことがあるのかしら」


 唐突な問い掛けにシータだけでなく、彼女もまた面食らってしまった。教都にいる天人地姫は偽者ではあるが、逗留先には信徒が殺到しており、拝謁はいえつは容易ではないと聞いている。してや、明日の住処さえも知れなかったシータにそんな機会があろう筈もないではないか。


 …いや、本当にそうだろうか。ミストリアの言には何か確信めいたものが感じられる。彼女がりげ無くシータの表情を窺うと、そこには分不相応と一笑する気配は感じられず、何やら思い詰めているようでもあった。


 く考えてみると、シータの詠唱した氷姿雪魄パーマ・フロストは並の魔術師に扱える魔法ではない。あれは天賦の才の持ち主か、五大諸侯のような英才教育による賜物である。もしも仮に後者であるとするならば、シータはかなり高貴な家柄の出身ということになる。


 しかし、詮索されたくないのであれば、単に否定すれば済む話である。それにも関わらず、まるで返答に迷うような曖昧な態度を取ることは、暗に肯定しているとしか思えない。それが分からないほど、彼女はシータという少女を過小に評価してはいなかった。


 そして、ようやくシータが意を決したかのように重い口を開いた瞬間、客間の扉からラーマが姿を現した。突然の訪問に驚く彼女が耳にしたのは、二人がある事情により教都から逃れてきたというものであった。


 ラーマとシータは教国でも有数のクシャトリヤ、武門の家柄のであるらしい。二人は幼き頃からの許嫁いいなずけであったのだが、両家の間に深刻ないさかいが起こったため、駆け落ち同然で教都を逃れてきたのだという。


 そして、その原因となったのが、教都に現れた天人地姫の存在であった。教国は王をいただかない国ではあるが、教義を編集する結集けつじゅうの座長が実質的な指導者と目されていた。


 現在の座長であるカショウ老師は高齢であり、次回の結集けつじゅうにおいて後任者が議決される予定であったが、その有力な候補がダイバ老師とアナン老師であった。当初、両者の支持は拮抗していたのだが、事実上、天人地姫がダイバ老師の後ろ盾となったことにより、現在ではその殆どがダイバ派に傾いているのだという。


 ラーマとシータの一族は共にアナン派であったが、戦況が不利と見るや、シータの方はダイバ派に鞍替えをしてしまったそうだ。そして、翻意の見返りとして天人地姫への拝謁が叶うことになった。


 結集を間近に控え、座長就任後の報復を恐れての苦肉の策ではあったのだが、その裏切りを善しとしないラーマの一族との関係は完全に決裂し、批難や衝突が絶えなくなった。まさに戯曲で語られるような悲恋であったが、それを聞いた彼女の心情は実に複雑なものであった。


 今ここで、その天人地姫が偽者だと言うことは容易い。しかし、それが一国の指導者を左右する程のものとなると、どのようにして収拾をつければ良いのか、皆目見当も付かなかった。


 万策尽きた彼女は、助けを求めるようにミストリアに視線を向けたが、やはりその表情は涼しげなものであり、自身の偽者が跋扈ばっこしている現状に何のうれいも感じていないようである。


 ひょっとすると、これは幾度となく繰り返されてきたことなのかも知れない。すれば、ミストリアには何か秘策があるのだろう。その余裕に満ち溢れた態度につられるように、にわかに湧き出た楽観論が彼女の表情を穏やかなものへと変えていった。


 果たして、シータはそれをどのように受け取ったのだろう。僅かに目を見開いたかと思うと、次の瞬間、うやうやしく彼女の下へとひざまずいた。


「御身の親臨しんりんを賜り、はなはだ畏れ多きことなれど、教国を代表して深謝申し上げます。何卒なにとぞ、その御稜威みいつにより、我ら蒙昧もうまいなる民を御救いください」


 彼女は唖然としながら、きょろきょろと左右を見回した後、再び眼下の光景を眺めた。やはり、シータが自分の足下に跪いている。いつの間にかラーマも一緒だ。


 一体これはどういうつもりなのだろう。これではまるで…自分が、であるかのようではないか。いや、本気なのか、本気で二人はそのような勘違いをしているというのか。隣では本物が声を押し殺して笑っていた。

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