第三章 2-3


 遥か遥か遠い昔、人がまだ獣と大差のない生活を送っていた頃、天人と呼ばれる神々が霊峰タカチホに降臨した。そして、人々に幾多の智慧ちえと技術を授け、文明が築かれていくことになるのだが、その根幹を成していたのはある力の概念であった。


 それが六大であり、後世に魔法と伝えられるものである。つまり、火水風土の四大属性の他にもまだ後二つあるということになる。しかし、それは失伝してしまったのか、或いは始めから行使できなかったのかは定かではないが、現代における術者は皆無であり、概念のみの存在であるとも考えられてきた。


 これら二つの内、一方は名称すらも不明だが、もう一方については概要だけは伝えられていた。それは『くう』と呼ばれており、魔法を打ち消してしまう力があるとされている。


 その存在については、以前ミストリアからも聞いたことがあった。魔法の消去そのものについては、マイナの魔力出力を調整するためのプラナとの対消滅の応用により、同様の結果を導くことは可能だという。


 しかし、空属性の本質はまた別のところにあるらしく、ミストリアを以ってしてもそれはあたわず、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていたものであった。


 何処の誰にも、あのミストリアでさえも行使できなかった力…そんな真偽も定かならぬ御伽噺おとぎばなしのようなものが一体どうしたというのだろう。レイネリアはいぶかしげな表情をサナリエルに向けたが、逆に呆れたように返されてしまう。


「ニー様には心当たりがあるじゃろう。先ほどのことだけでなく、あの忌々しい事件においてもな」


 確かに、彼女がカエレア一味に捕らえられ、ミストリアが害されようとしたとき、実際には幻を魅せて救出するつもりであったのだろうが、それにしては魔法を解く時機がおかしかったように思えた。


 タルペイアが彼女に短剣を突き付けていたのだから、もっと肉薄して取り上げるようにしていれば、より安全に救出することができ、その頬に傷を残すこともなかった筈である。


 ひょっとして、あれは魔法を解いたのではなく、解かれてしまったのではないだろうか。ミストリアの魔法を消去してしまう、そんなとんでもない力が自分に宿っているというのだろうか。しかし、今まで魔法に苦渋を飲まされ続けてきた彼女には、素直にそれを認める気持ちが湧いては来なかった。


「…私はマイナに嫌われていますから」


 彼女は自嘲じちょう気味にいつもの決り文句を口にする。今までそうやって自分は魔法と無縁であると諦めてきた。そんな彼女に向けて老魔術師は静かに首を振ると、淡々と空の力について語り出した。


 心做こころなしか、その瞳には羨望とも憧憬とも付かない、筆舌に尽くしがたい感情が浮かんでいたようにも見えたが、彼女にはその真意を読み取ることは出来なかった。

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