第一章 6-3


 山奥の村で迎える夜、急速に腐乱した遺体、相次ぐ隣村の住民の不明、不可解な報告をした兵士、放棄された村と姿を見せない村人、花を摘む純真無垢な幼子おさなご、森に溶け込むように消えた男。


 様々な事象が思考をぎる中、レイネリアは寝台の上でイワナを寝かし付けていた。相変わらず、ミストリアは少し離れた場所に腰掛けてその様子を眺めている。


「私、お姉ちゃんみたいな良いお姉ちゃんになれるかな」


 少女が彼女の小振りな胸に顔をうずめて。彼女は少し困ったような表情を浮かべた後、優しく少女のふわふわとした黒髪を手でいた。


「きっとなれるよ。私なんかよりもずっと良いお姉ちゃんに」


 私は良いお姉ちゃんなんかじゃない、心の中でもう一人の自分が叫ぶ。しかし、その内なる声が少女の耳に届くことはなく、ただ満面の笑顔を返してくる。少女にはもうすぐ弟か妹が出来るのだという。先ほど出会った男の妻だろうが、身重な身体で森に暮らしていて大丈夫なのだろうか。


「ああ、早くお姉ちゃんになりたいな」


 少女は呟きながら自分の指を彼女のそれに絡めてきた。その小さな手では手股たなまたには遠く及ばず、途中で手指しゅしの先を握る格好になったのだが、それが彼女に遠い日の記憶を想起させた。


 あれはいつのことだったか。まだ妹が、サンデリカが幼かった頃、こうして二人で手を繋いで歩いていた。その頃はまだ、自分のことをお姉ちゃんと呼んでくれて、気兼ねなく甘えてきてくれた。


 そう、自分たちにもあったのだ。ホーリーデイ家の女ではなく、ただの姉妹としての時間が確かに存在していた。しかし、それはもううの昔に失われてしまっていた。


 自分はサンデリカにとって良い姉でいられたか。知らずらずの内に妹を苦しめてはいなかったのか。自分がもっと正しく在れたら、妹が家を出ることもなく、家族が揃うことが出来たのだろうか。


 地の底から噴出する源泉のように疑問が次から次へと湧いてくる。少女を見ていると妹のことを考えてしまう。あの日の至らぬ自分を思い出してしまう。それがたまらなく苦しいのに、それでも想念の浸潤を拒絶することが出来ないのだ。


「お姉ちゃん、どこか痛いの?」


 少女が心配そうに顔を覗き込んでくる。目前の少女が歪に見えるのは涙のせいだ。彼女は心配させまいと目許めもとを拭うと、努めて明るい笑顔を作り、自身を見詰める無垢な瞳に応えた。


「痛くなんかないよ。ただちょっと思い出しちゃっただけ」


 そして、彼女は少女に妹のことを話した。かつて、自分のそばを片時も離れることのなかった、サンデリカという妹がいたことを。


 こうして改めて口にしてみると、思いの外、楽しかった思い出がたくさんあったことに気付かされた。少女はそれを興味深そうに聞いていたが、彼女が話し終えるのを待っていたのか、再び真っ直ぐな瞳を向けてきた。


「お姉ちゃんは妹がいなくて寂しくないの?」


 その問いに彼女は首を振った。妹が家を離れると聞いたとき、不思議と寂しいという感情は湧いてこなかった。その頃にはもう、自分たちは普通の姉妹ではなくなっていたのだろう。


 自分にはもっと大切な人がいた。それはきっと最初からだ。妹もそれを知っていたからこそ、あのような態度を取っていたのだろう。これは自分にとっても妹にとっても、ホーリーデイ家の女として避けられぬ宿命であったのだ。


「もう一人、妹みたいなのもいるしね」


 照れ臭さからなのか、思ってもいないことが口を伝った。ミストリアのことを妹だなんて、我ながら何と彼辺此辺あべこべな物言いだろう。実際に生まれた日の先後せんごは不明だが、それは自分にとってどこまでも憧れの存在であった。もっとも、初めて出会った頃はもう少し違っていたような気もするのだが。 


「あらあら、私の方がお姉ちゃんでしょ」


 耳聡くミストリアに聞かれてしまった。寝台の上から身をよじると、いつもの呆れ顔がこちらを向いている。彼女は思わずばつの悪そうな顔をするが、その言葉に思いがけぬ反応を示す者がいた。


「お姉ちゃんもお姉ちゃんなの?」


 少女が目を輝かせてミストリアを見詰めていた。思い返してみれば、少女は自分にばかり懐いており、今までミストリアには無関心のようであった。また、ミストリアにしても、なぜか最初に出会ったときから少女と距離を置いており、存外に子どもが苦手なのかも知れなかった。


 少女はおもむろに寝台から起き上がると、ミストリアに向かって歩き出した。どうやら『お姉ちゃん』に反応して興味を持ったらしい。彼女は一抹の寂しさを覚えたが、ミストリアの意外な一面を見られそうで楽しみでもあった。


 少女がミストリアに近付いていく。ミストリアは迎えるでもなく避けるでもなく、少女が来るのを待っている。それは神と同一視される巫女と、未だ民間伝承では神の内とされる幼子の対面であり、ある種の神秘性すら醸し出されていた。


 ゆっくりと二人の距離が縮まっていく。無垢なる幼子の瞳に映るものは何であろうか。神か、人か、それとも『お姉ちゃん』なのか。それは余人には知るよしもないことだが、しかしてその小さな手は前方へと伸ばされていく。


 ――そして、障壁は作用した。

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