Weather －レイニーデイ－

第一章 ３－１

－３－

「そろそろお暇（いとま）させて頂こうかと思います」

　ツキノア家の邸宅で四度目となる朝食を共にしながら、レイネリアはオユミに旅の再開を切り出した。

　王国との誓約により、領都での城郭（じょうかく）の建築は認められてはいなかったが、それでも領主の本拠として際立つほどに広大で、王都のホーリーデイ家のそれを遥かに凌駕していた。

　なお、誓約はあくまで領都に限られており、五大諸侯の本懐として国境付近には防衛拠点となる要塞が構えられている。騎士団の主力もそこに駐屯しており、四方の守護者たる諸侯の責務を果たしていた。

　当主のオイワ将軍からは邸宅を訪れた日に熱烈な歓待を受けた。二人のために盛大な夜宴を開き、ホーリーデイ家との確執など微塵も感じさせぬほどであったが、翌朝には早々に要塞へと出仕（しゅっし）していった。

　その姿は国防に従事する王国の将軍として、意外にも職務熱心なようにも感じられたが、それはすぐに心得違（こころえちが）いであることが判明する。

　この三日間で二人は――専（もっぱ）らミストリアの方であるが――、ツキノア家麾下（きか）の貴族や豪商からの嘆願に追われていた。どうやら将軍は自分の権威を誇示するため、方方（ほうぼう）に喧伝し、安請け合いをしていたらしく、その後始末を二人に押し付け、雲隠れしてしまったのである。

　嘆願の内容は、怪我や病気の治癒、魔法や呪いの解法（かいほう）、神秘物や魔道具の鑑定など無下（むげ）には出来ないものもある一方で、幸福や安泰の祈祷（きとう）、危害や呪詛（じゅそ）の委嘱（いしょく）、果ては求愛や求婚の類にまで至り、二人を大いに辟易させていた。

　しかし、様々な嘆願に対処する中で、またオユミという人物についても理解できてきた。彼は決して愚直でも軽薄でもなく、父親が無責任に呼び込んだ人々を的確に捌（さば）き、その要否を二人に代わって判断することもあった。

　それは両者にある種の連帯意識を芽生えさせ、自然と当初の抵抗感は何処へと消え去り、今では幾分か打ち解けることが出来ていた。

　彼は将軍の命により、二人が領地へ来訪するのを見逃すまいと動向を探っていたらしい。その理由は言わずもがなだが、事実上の御幸の式典となった彼女の成人の祝宴にも一族を派遣していた。

　また、先の恐狼の襲撃においても、以前に近隣の村々から被害の報告を受けており、広範囲に渡って兵士を哨戒（しょうかい）に当たらせていたが、運悪く警戒網を潜（くぐ）ってあの村が狙われてしまったらしい。その全てを鵜呑（うの）みにするほど彼女はお人好しではなかったが、少なくとも想像したような悪政者ではないようであった。

　一方で、彼は女性に対して良く言えば紳士的、悪く言えば好色家（こうしょくか）でもあり、その点ではやはり将軍とは親子であることを感じさせた。

　彼女も何度か誘いめいたものを受けており、最初は処子（しょし）らしく戸惑っていたが、やがては自然に遇（あしら）えるようになっていた。尤（もっと）も、それもまた彼の狙いであったようで、少しずつ幼馴染のノイテとは違う大人の男性として意識し始めていた。

　しかし、いつまでもツキノア領に滞留（たいりゅう）している訳にもいかず、旅の本来の目的を果たすべく、嘆願が一段落した機会に出立（しゅったつ）の意思を告げたのであった。

　その告知に対して、最初は彼も翻意を促すような姿勢を見せてはいたが、既に嘆願の内容が趣旨から逸脱していることを痛感していたのか、最終的には同意を示してくれた。

　彼女としてもツキノア家に逗留（とうりゅう）している以上、無断で邸宅を出立することは礼節に欠け、ホーリーデイ家の家名を傷付けることになるため、彼が素直に受け入れてくれたことに感謝した。

　二人は充（あ）てがわれた客間に戻ると、少ない荷物をまとめて出発の準備をした。この三日間でツキノア家の使用人とも懇意となり、厨房を管理する料理人から保存食などを分けてもらっていた。

　快適な夜を過ごさせてくれた寝台を名残惜しそうに見詰めながら、今夜からまた泡の床に戻ることに決意を新たにする彼女であったが、不意に客間の扉を叩く音に思考を中断された。それはオユミによるものであった。

「実は折り入ってご相談したいことがあるのです」

　今までの自信に満ちた態度は鳴りを潜め、どこか悲壮感すら漂わせるオユミの姿に、彼女は自分でも正体の分からぬ複雑な感情を抱きながら、彼を室内へと招き入れた。