第一章 3-2


 それは、帝国との国境にほど近いある山奥の『村』で起きたという。半月ほど前、隣村の住民が村境の山道で行き倒れた『村』の男を発見した。声を掛け、肩を揺すると僅かに反応があったが、その表情はうつろで言葉も要領を得なかった。


 隣村に男の縁者が住んでいたため、一先ひとまずは連れて帰ることにした。しかし、翌朝になって縁者が様子を伺うと、既に男は息を引き取っていた。奇妙なことに、男の遺体は昨晩まで生きていたとは到底思えないほどに腐敗していた。変色した眼球は地面に転げ、肉はただれて骨から剥がれ、周囲には耐え難い悪臭を放っていた。


 その惨憺さんたんたる遺体はすぐに火葬され、遺骨は縁者の手により『村』へと運ばれた。しかし、次の日になっても、そのまた次の日になっても、縁者は『村』から帰っては来なかった。


 いぶかしんだ住民が様子を見に行ったが、彼らもまた誰ひとりとして戻っては来なかった。『村』では疫病が流行っているとの噂が流れ、誰も近寄ろうとはしなくなった。


 やがてその噂は領都にまで届き、オユミは調査のために兵士を派遣した。調査隊は有事に備えて武装し、また隣村の住民を案内役に徴発する令状を携え『村』へと向かった。


 そして、今から五日前の夜、つまり彼女たちが領都に到着する前日の晩に調査隊は戻ってきた。早速オユミは報告を求めたが、彼らの表情には疲労の色が濃く、譫言うわごとのように何もなかったと繰り返すばかりであった。


 詳細は翌日に報告させることにして、オユミは調査隊を兵舎で休ませた。そして、翌朝に使いを寄越してみると、彼らは二度と醒めぬ眠りに就いていた。最初に発見された『村』の男とは違い、遺体はそれほど腐敗してはいなかったが、疫病の蔓延を危惧したオイワ将軍の命で直ぐに火葬された。


 その先を語るオユミの表情は苦々しいものだった。将軍は箝口令かんこうれいを敷き、事態を部下や領民たちに隠した。そして、御幸で訪れた天人地姫を邸宅に留めさせ、疫病に罹患した者が出た場合に備えると、自らは国境付近の要塞に避難した。


 それから四日が経った現在、領都で同様の症例は確認されていないという。疫病と仮定したとして、これまでの感染速度から考えれば杞憂に終わったようだが、オユミが二人を騙していたことに変わりはなかった。


「なぜ、そんな大事なことを黙っていたんですか」


 沈痛な面持ちで謝罪の言葉を述べる彼に、レイネリアは厳しく詰め寄った。それは単なる怒りの感情というよりも、信頼されていた相手に裏切られたこと、そして彼らが領民を欺いていたことへの憤りであった。


 一方で、ミストリアはどこか涼しい表情を浮かべながら、黙って二人のやり取りを眺めていた。彼らの行動は義心や道徳心を抜きにすれば、統治者としてはある意味で最善の判断であったのかも知れない。


 無論、利用されたことについての憤りはあるのだろう。しかし、ミストリアの瞳には、尚も怒りが冷めやらぬ彼女の姿が煌々こうこうと映り、その口元は少しだけ綻んでいるようにも思われた。


「ここで言い争っていても仕方がないわ。早いところ行きましょう」


 ミストリアは荷物をローブのたもとに仕舞うと、二人を置いて部屋を出て行ってしまう。彼女も慌てて後を追うと、彼は深々と頭を下げて自らの不明を詫び、出立する彼女たちを見送ろうとした。


 しかし、彼女は大廊下の途中で立ち止まると、いぶかしげな表情を浮かべて振り返る。彼はその意図が分からず、しばし呆けたように立ち尽くしていたのだが、続く彼女の言葉に目を見張った。


「何をしているんですか。早く『村』に案内してください」

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