お菓子な魔女の領地開拓

佐藤謙羊

第1話

 わたしの初めての旅立ちは、黒い雪に彩られていた。


 坂道をゆっくりと登っていく、ちいさな馬車。

 丘の下に見える村も、同じくらいちいさくなっている。


 御者席にいる村長さんは、さっきからしきりにわたしのほうを見ていた。



「パティや、本当にいいのかい?」



「もう、村長さん、そんなこと言わないでよ。せっかくの決心が揺らいじゃうよ」



「でも、なにもパティが行くことは……」



「だから、もういいってば。誰かが行く以外、これ●●を止める方法はないんでしょ?」



「それはまぁ、そうなんじゃが……」



「それよりも、シエルちゃんが帰ってきたら、ちゃんと伝えておいてね」



「ああ、もちろんじゃとも。でもシエルがこのことを知ったら、なんて言うか……」



「シエルちゃんなら大丈夫だって。むしろわたしのこと、ほめてくれるかも」



「そうかのぅ……」



 沈んだ村長さんとそんなやりとりをしていると、馬車は山道に入った。

 村の掟で近づくことも許されない、『帰らじの山』。


 子供の頃から遠くで見ることしかできなかった、禁断の山に入って、わたしはさらにドキドキする。


 山道は、荒涼としていた。

 湿った土が乾いた土になって、そこらじゅうに石が転がっている。


 ごつごつした地面に、馬車はさらにゆっくりになった。

 固い振動が荷台ごしに伝わってきて、身体がさらに揺れる。


 山火事で全てが死に絶えたみたいな、生き物の気配がない道。

 鼻がおかしくなったみたいに、匂いもなんにもしない。


 そして気が付いたら、あたりは霧で覆われていた。

 風が吹いていないのに、ひんやりとしていて肌寒い空気が肌を撫でていき、わたしと村長さんは身震いする。


 そこからさらに進んでいくと、広場のような平らな場所に登りついた。

 道はさらに続いているけど、木のバリケードと看板が道を塞いでいる。



 『これより先、「忘れ谷」。何人たりとも立ち入ることを禁ず』



 村長さんは哀しい顔で振り返りながら、わたしに言った。



「ワシが見送れるのは、ここまでじゃ。ここから先は、パティひとりで行かなくてはならん」



「うん、わかった」



 わたしは傍らに置いておいたリュックを担ぐと、馬車の荷台から飛び降りる。

 バリケードのほうにすたすたと歩いていくと、村長さんは驚いていたようだった。



「い……一度入ったら、戻れないんじゃよ? ほ、本当に……本当に、いいのかい?」



 わたしは精一杯の、明るい返事をかえした。



「うん! もう行くって決めたから! 私のことなら気にしないで! それと、村のみんなにもよろしく! じゃあ……またね●●●、村長さん!」



 わたしはわたしのモットーである、『お別れは別れではない』を実行していた。


 笑顔でバイバイと手を振って、すぐさまバリケードをくぐる。

 なおもアワアワしている村長さんに背を向け、さっさと山道の続きを登っていった。


 ……緊張で、身体がギクシャクする。


 私だって、ホントは怖いし、嫌なんだ。

 ホントは帰って、村のみんなとずっと一緒にいたい。


 でも、誰かが行かないと……。

 誰かが『生贄』にならないと……。


 この黒い雪は、止まないんだ。


 この『忘れ谷』には魔女が棲んでいて、百年に一度、『生贄』の女の子を要求してくる。

 国全体を覆うほどに降る、『黒い雪』がその合図なんだ。


 すると、わたしの村から『生贄』が選ばれる。

 理由はよくわかんないけど、『生贄』は女の子じゃないとダメらしい。


 『生贄』の要求は、いつもは百年に一度らしいんだけど、今回は五十年ぶりに『黒い雪』が降ったんだって。

 『黒い雪』は厄災を呼んで、降り続けると疫病や凶作に見舞われるらしい。


 だから、私が立候補したんだ。

 『生贄』に選ばれた、女の子のかわりに。


 なんてことを考えながら恐怖を紛らわせていると、いつのまにか崖の間を走る細道のなかにいた。


 どのくらいの高さの崖なんだろうと、上を見上げてみたけど……。

 空は霧でくすんでいて、ぜんぜんわからない。


 まるで、大地の裂け目に落ちたみたいな気分になる。


 するとふと、どこからともなく声が聞こえた。



「ヒヒヒ、テメーが次の『魔女候補』か……!」



 今まで生き物の気配がずっと無かったのに、急に人の声がしたので、わたしは飛び上がるくらいびっくりしてしまう。



「だ、誰!?」



 キョロキョロあたりを見回してみると、岩壁を削って作られた、祭壇のようなものを見つけた。


 その石の祭壇には、樫の杖と、革張りの本と、紫色の三角帽子があって……。

 帽子の上では、わたしの肩に乗りそうなくらいに小さい、へんな生き物がくつろいでいた。



「今の声は、あなたなの?」



 すると、へんな生き物はキッとこちらを睨んだ。



「ハアァ!? バカじゃねぇの!? 俺様に決まってんじゃねぇか! 他に誰がいるっていうんだよ!」



 そのへんな生き物は、いかつい顔に黒い身体をしていて、ちょっと怖いカンジだったけど……。

 声が仔犬みたいに甲高かったので、なんだか可愛くもあった。


 おかげでわたしの身体をカチコチにしていた緊張も、すこしほぐれた気がする。


 その生き物はコウモリのような羽根でパタパタと飛び上がると、わたしの顔の近くまで飛んできて、グルグルと周りをまわりはじめた。



「ヒヒヒ! 逃げようったって、そうはいかねぇぜ! それに、いくら泣いてもムダだ! この『忘れ谷』に入った者は、元の世界に戻ることはできねぇんだからな!」



「うん、知ってる。わたしは逃げないから大丈夫」



 するとへんな生き物は、感心するように唸った。



「ハハァ……。今までのガキは、俺様を見た途端、恐怖のあまりアワを食って逃げ出すか、ピーピー泣き喚いていたが……。そのどちらもでもないとは、テメーはちっとは骨ごたえがありそうだな!」



「そんなに怖いかなぁ? わたしは可愛いと思うんだけど……」



「ハアァ!? 俺様が可愛いだと!? 悪魔をナメてっと、泣かすぞテメェ!」



「わあっ!? 落ち着いて! あなたは悪魔さんっていうのね。わたしはパティ、よろしくね」



「ハアァ!? バカじゃねぇの!? 悪魔ってのは種族のことだよ! 俺様の名前はグレン・ムリン! 『愚連悪魔』と恐れられた、エリート魔族の一員よ!」



「ふうん、じゃあ、リンちゃんだね! よろしく、リンちゃん!」



 わたしは、仲良くなりたい子にはアダ名で呼ぶようにしている。

 我ながらいい名前だと思ったので、これで仲良くなれると思ったんだけど……。


 リンちゃんは血走った目を、ギョロリと剥き出しにしていた。

 どうやら、あんまり気に入ってもらえなかったようだ。



「ハアァ!? 誰がリンちゃんだよっ!? 悪魔ナメてんじゃねぇぞ!?」



「ええっ、可愛いと思うんだけど、ダメかなぁ?」



「ああもう、テメーみてぇな脳内お花畑には付き合ってられねぇよ! せっかく次の『魔女候補』が来たってのに、これじゃあすぐに『しんせつ』だろうな!」



「『魔女候補』? そういえばリンちゃん、さっきもそんなことを言ってたね。でもわたし、魔女に食べられちゃうんじゃないの?」



「それは、テメー次第だなぁ! 食べられちまうかもしれねぇし、うまくやれば、テメーが魔女を食えるかもしれねぇぞぉ!」



「魔女を食べる? それって、どういうことなの? それに、さっき言ってた『しんせつ』って……」



「ああもう、ごちゃごちゃうるせぇ! こんなにいろいろ抜かしやがるガキは初めてだよ! テメーみてぇな脳内お花畑は、どうせすぐ『しんせつ』しちまうんだ! 質問に答えてほしけりゃ、まずはコイツを持つんだな!」



 リンちゃんはわたしとの話を強引に打ち切って、祭壇のほうに飛んでいった。

 厳しい表情で、祭壇に置かれた帽子と杖と本を指さしている。


 なんだかわからないことだらけだけど、言うとおりにしないと、もうなにも教えてくれないようだ。

 どうやら、あの三点セットを身に付けると、何かが起こるらしい。


 ちょっと、怖さがぶり返してきたけど……。

 でも、もうここまで来たんだから、いまさらジタバタしてもしょうがいないと、わたしは覚悟を決めた。


 祭壇に近づいていって、まずは帽子を被る。

 ぶかぶかだったけど、被ったとたんにキュッと締まってちょうどいいサイズになった。


 左手で杖を取り、右手で本を抱える。

 すると、リンちゃんがヒヒッと笑った。



「よぉく、お似合いだぜぇ! そしたら目を閉じて、湧き上がってくる感情に身を任せるんだ! お前は魔女になれたらナニをしたい!? それを頭のなかに思い浮かべるんだ!」



 リンちゃんの言葉が不思議な響きをもって、わたしのなかで鳴りわたる。

 すると、身体が急にカッと熱くなって、ふつふつとした感情が、お腹の底からわき上がってきた。



「そうだ! そうやって、感情を奮い立たせろ! 絶大なる魔女の力を、どうやって使う!? お前を追放した村人たちを、村ごと焼き殺すか!? それとも、お前を捨てた両親を、地獄に叩き落とすか!? さぁ! もっと想え! もっと感じろ! 激情のおもむくままに!」



 わたしの身体は、灰になりそうなほどの灼熱に晒される。

 苦しさのあまり身体をよじり、捻られたチューブみたいに、思わず肺から声を絞り出していた。



「うっ……! ううっ……! うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーー----------------っ!?!?」



 蜃気楼のように揺らぐ視界の向こうで、リンちゃんは小躍りしている。



「きた……! きたきたきたきた! きたぁぁぁぁぁーーーーっ!! その調子だっ! テメーのドロドロした欲望を見せてみろ! いままで溜めこんできた、腐りきった憎悪をぶちまけてみろ! ほら、来るぞ来るぞ来るぞ来るぞっ! ドッカァァァァァァァァァーーーーーーーーってな!!」



 しかし、リンちゃんの期待に反して、



 ……すぽぽぽぽぽーーーーーーーーーーんっ!



 爆音ではなく、ポップコーンが弾けるみたいなポップな音が、わたしの中から起こった。


 異常な暑さから解放されると、わたしの口の中から、わたがしみたいな可愛い雲がフワフワと出てくる。

 そして目の前で、モコモコと形を作り上げていた。


 それは、文字のようで……。

 まるでケーキ屋さんの看板みたいに可愛い字体で、こう書かれていた。



『お菓子魔女』

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