第316話 北と南、氷と炎 後編

<午後七時 貴族天幕区>




「母上、食事のご用意ができました」

「まあ、イリーナったら……いつも貴女は気が利くわね。ふふっ」

「女王陛下、こちらも紅茶の準備ができましたわ~」

「レオナ様もありがとうございます。来てくださっただけでも有難いのに、美味しい茶葉まで持ってきてくださって」

「うふふ~、この茶葉は透き通った味がしますの~。女王陛下のお口に合うと思いまして、準備したんですの~」


「ガルルゥー」

「――」

「偶にはこういう食事も悪かねえな。毎日だと御免だが」

「フォーさんの出不精~。ではでは、挨拶をいたしましょう~」






 イズエルト女王ヘカテの天幕で、一緒に夕食を食べるのは娘のイリーナと聖教会のレオナ。マーク、ニーナ、フォーのナイトメア三人衆も呼び出し、おっとりとした食事が振る舞われる。






「うふふ、やっぱりこの味……イズエルトの名物料理と言ったら、シチューよね」

「最近は味を凝縮したルウなんてものが売られてますけど~。でも一番は、牛乳をことこと煮込んだものですわよね~」

「その音や様子も含めてのシチューだからな。とはいえ、作る時間なんて早々取れるものじゃないが」


「現代人は何かと忙しいもんな。そうだろレオナ?」

「もう……フォーさんの方からそういう話題に持っていくんだから~」






 真に人が思い詰めている時は、如何なる方法を持ってしても、気分を変えることはできない。






「女王陛下……こちらに来られてから、しっかりと休まれてますか~?」

「……少し、考えちゃうことはあるわね」


「それでしたら……わたくしに話してみませんか~? リンハルトの娘として、何かお力になれるかもしれませんわ~」

「……」




 おっとりとした声色の中にも、確かな力強さが内包されている。


 ヘカテはしっかりすることを諦めて、今はそれに甘えることにした。






「……色々あるけれど、今はウェルギリウス島のことが心配なのです」


「昨年の冬の気温が……軒並み例年の平均より寒くなっているようで……」




 たったそれだけでどうして頭を悩ませるのかと言うと、苦く残る過去があるから。






「それでもしかしたら、また『大寒波』が起こってしまうのではないかと……それが不安なのですね?」

「……ええ」

「……」




 イリーナは唇を噛み締めながら、母の話に耳を傾けている。




「『大寒波』の時も……ウェルギリウス島を中心にして、異常な気温の低下が確認されている。それが再び観測された」

「そうなんですのフォーさん~。一度ならず二度までも……とは、わたくしも思ってしまいますわ~」

「そもそもウェルギリウスってのが、色々秘密を抱えている所だからな。一度訪れたことはあるが……」




 そうなのか、とイリーナが顔を上げて尋ねる。




「あの島は王侯貴族であっても、許可を得なければ来訪できぬ島。一体どのような……ああ」

「思い出されましたかイリーナ様~。わたくし、一応聖教会所属の司祭でして~。まだ若い頃……今から八年前だったかしら~。カンタベリーの地で修行していた時に、研修として行ったのですわ~」

「聖教会はこんなこともやってんだぞって趣旨で、上層の町だけ見せてもらった。とはいえかなり閉鎖的で、暗い雰囲気だったぞ……」

「皆様他人と交流する気がないんですもの~。息が詰まりそうになりましたわ~。それに質問をしても、最低限のことしか教えてくださりませんでした~」

「大監獄がある以上仕方のないことかもしれないが……」




 そんな島も名目上はイズエルトの領地なのだから、やはり上に立つ者は考えないといけない。




「肝心の大監獄の所有者は聖教会……よくよく考えればおかしいものだ。外国が治めている土地に、堂々と自分達の物を造るなど」

「昔から……彼らはいつもそう……」




 ヘカテは紅茶にシナモンをたらふく入れ、それを一気に飲み干す。痺れる喉通りと引き換えに身体は一気に温まる。




「……トレック様が仰られました。『大寒波』はもしかしたら、作為的に引き起こされたのではないかと。仮にそうするのなら、その誰かの目論見が今も潰えていないことが、とても恐ろしいのです」

「二度もイズエルトの民を苦しめようと言うのか……? 一体何を考えてるんだが……」






 秋の夜更けに思考を溶かす三人の耳に、




 一際大きい怒号が聞こえてくる。






「グルルルルルルルル……アアアアアアアッ!!!」


「おい! 落ち着けよルイモンド。落ち着かないと話もできんだろう!」




「ガアアアッ!!!」


「憤りたいのはこちらの方なんだぞ。それを抑えているんだから、せめて対話をしてくれ!」




「……グルルルル!!!」


「ああ、お前らの言い分もわかっている。あいつをどうしても連れ戻したいんだろ! それで昼間あんな暴挙に出て、弱った所を無理矢理回収しようとした!」




「だがな――俺にだって、譲れないもんはあるんだよ!!!」








 竜族特有の唸り声と、それと会話をしている中年男性の声であった。






「……ルイモンド様」

「今回いらっしゃってるんですよね~。女王陛下、絡まれたりしていませんか?」

「いえ……どうやらこちらには微塵も興味がないようで。臣下達が配慮してくれているのも、あるのでしょうけど……」

「ガルッ!」

「まあマークったら。何かあった時にやっつけてくれるのはいいけど、程々にしてね?」


「そもそも珍しいよな、引き籠り気質の竜族がこうして堂々と観戦に来てんだから。連中は単純だから、目的がはっきりとしやすいものだが……」

「何だか対外関係を構築することが目的ではないように思えますわ~。まあそれ以外の理由なんて、見当も付きませんけど~」

「あいつらもあいつらで、公開していない秘密が多いよな……その点ウェルギリウスと似てるかもしれん」






 ああそういえば、とフォーが話を切り出す。






「さっき言ったウェルギリウスの視察の件なんだがな。その時ルイモンドを見かけたんだわ」

「……?」


「引き籠り気質と言っておいてあれなのですけど~。わたくしもはっきりと覚えてますわ、だって容姿が他とは浮いているんですもの~」

「まあウェルギリウスの住民の中には、竜族は結構いるんだけどな。それでもあの体格は目立つ」

「ふむ……」




 ウェルギリウスには竜族が多く住んでおり、そこから新天地を求めた者が向かった先が温泉で有名なムスペル島、というのは誰もが知っているイズエルトの歴史。


 だがその竜族達のルーツは明らかにはなっていない。加えて、ガラティアに住んでいる竜族達が、わざわざ北国まで向かっている話も、滅多に聞かない。




「同胞の視察……と、考えるのが妥当か」

「でもそれを行うとしたら……人間側の指導者、スミスさんが何かしら連絡をくれるわ。私はその話は初耳です……」

「……」




「俺達が見たのは、ルイモンドが数十ぐらいの竜族を引き連れて、ダンテ家の人間と話していた所だ」

「ああ、黒死の仮面の。我々が幾ら手紙を出しても応じなかったのに、竜族が来た時に姿を見せていたのか?」

「そうみたいですの~。不思議ですわよね~……わたくしその時、彼が連れてきていた男の子が、あの烏みたいな仮面に怯えていたのが目に焼き付いていて……」




 益々顔を顰めるイリーナ。そこには若干の不快感が浮かんでいた。




「ウェルギリウスは子供を連れてきていい場所ではないだろう……」

「というのが常識だが、とにかくルイモンドは連れてきていたんだよ。顔付きとか角や鱗の生え方が似ていたから、息子か親戚だろうな。そいつも連れてわらわら大監獄に入っていった」

「……」




 その後彼らがどうなったのか、当然知らない筈なので、以降は何も言わなかった。


 とにもかくにも、そういう事実があっただけである。






「……気分がいいものではないわね」


「私達が……イズライル様が、全てを懸けて手にした自分達の国。なのに、全然関係のない誰かが、勝手に踏み荒らして……」




 そこでとうとう、ヘカテは涙を零してしまった。






「……母上。こちらをお使いください」

「ありがとう、イリーナ……ううっ」

「女王陛下……」


「……やっぱり、イズエルト周りのいざこざってのは、女が背負うには重い問題だ。リンハルトもカルヴォートも生きててくれりゃあなあ……」

「ウェンディゴ族の宿命とは言え、神も残酷なことをしたものです……」






 まだ秋とは言え、夜は冬に匹敵する程寒い。




 そろそろ愛する故郷の民が、冬の備えを始める時期だろう――

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