第79話 騎士王心と秋の空

「……君大丈夫?」

「はうわっ!?」




 見知らぬ生徒の声を聞いて、エリスはやっと我に返った。壇上に用意された舞台装置、張りぼての背景が、人工の照明に照らされ幻想的に輝いている。




「急に固まったから心配したぞ……」

「あっ、ああっ、アーサー……ごめんね! 何だか心配させちゃって!」

「いや……構わん。よくわからんが無事でよかった」



 眼前にいた生徒は二人の様子を見て笑う。葡萄のような紫色のぼさついた髪――いわゆる天然パーマで、横に広がった垂れ目が特徴的だった。



「あっはっは。気付いてたよ、こっちの方じーっと見ちゃってさ。食い入るように見るもんだから意地悪してみたら、ぜーんぜん気付かないんだもん。なあアラト?」

「ふぇ?」




 生徒はエリスの頭に向かって声をかけていたので、その方向を目で追う。



 そして初めて頭の上に何かが乗っていることに気付いた。




「へにゃーっ!?」



 びっくりしてそれを落とそうとすると、それは自分から落ちていった。



 黄色いメガホンが一人でに動いて生徒の手に戻っていく。



「僕のナイトメアだよ! 自立稼働式メガホン、名をアラト! でもって僕はマイケルさ。二年生で見ての通り演劇部。よろしく」

「わ、わたしはエリスです。こっちがアーサーです」

「ふーん、いい名前だね! 僕らはこれにて顔見知りになったってことで訊いちゃうんだけど、夢中になる程そんなに面白かったかな、『フェンサリルの姫君』は?」



 その単語が出てきた途端、無表情だったアーサーが目を見開く。そしてエリスとマイケルが話している隣で、壇上を含めた正面の光景を見回す。



 今見た演劇こそが『フェンサリルの姫君』。あの絵本の内容が彩られて再現されているのである。



「は、はい……! その、わたしの好きなお話だったから……!」

「あーそういうね。ならどうだったかな、話の内容知ってる人として」

「そ、その……役者さんの演技力が、すごくって……本物みたいでした!!」

「今の台詞を聞かせてあげたい。きっと喜ばれるぞ~」




「やべえぞマイケルー! 衣装破れたー!」




 ステージの上から生徒が走り寄ってくる。革の鎧を着た生徒で、恐らく先程オージンを演じていた生徒だろう。


 兜に隠れていた紺色の長髪を露わにし、きりっと整った赤い瞳が印象的だ。




「ええ!? 衣装破れたって……何やったんだよ!?」

「いや、さっきの練習前にさ、屈んだ瞬間にビリっといった! 今はやり過ごせたけど次は無理だわ!」

「くそっ、お前の筋肉量が想定を超えていたか。それはともかくまた直してもらわないと……」

「それならわたくしがやりましょうか、ダレン?」




 その次にやってきたのは、白いドレスを着たままの女生徒。こちらはフリッグを演じた生徒だとすぐに理解できた。






(……)



(はわぁ……)




 透き通るような白い肌にブロンドの髪。吸い込まれそうな淡い緑の瞳。耳は長く背中からは妖精の翅が生えている。




 彼女はエリスの視線に気付いたのか、そっと微笑みかけてきた。




「はうっ!」

「……」



 エリスは堪らず顔を両手で覆い、目線を生徒から背けてしまう。



 アーサーはエリスの隣で口を少し開けたままその生徒を見つめる。唖然としている様子だった。






「いやいや、アザーリアには頼めないよ。生徒会の方でも忙しいのに、こっちで仕事増やすわけにはいかないいかない」

「大丈夫ですわ。そっちはルサールカに片手間に行ってもらいますから!」

「それを差し引いてもなー。お前に頼むと報酬がとんでもないことになりそうだしなー」

「あら、それはどういうことですの?」

「文字通りの意味ですー! とりあえずダレン、どこが破けたか見せてみろ!」

「わかった!」



 マイケルはぶつぶつ言いながらステージに戻っていく。ダレンもその後を追っていった。





「まああの二人ったら! 忘れ物をしていますわ! ぷんすこぷんすこなのですわ!」



 アザーリアはそう言うと、エリスとアーサーの方に振り向く。



「ねえ貴女達、お名前は何て言いますの?」

「は、はいっ!?」



 アザーリアはエリスの正面に移動して、見上げるような形で問いかけた。



「え、えーと、えとととと……!」

「うふふ、緊張しないで。ゆっくり、ゆっくりと、ね?」

「はうぅぅぅ……」




 エリスの肩を愛でるように優しく叩く。出会って数十秒で確信できる――この先輩、後輩の扱いに慣れていると。




(はふぅわぁ~……)



 いい香りが鼻を刺激する。それによって、体温がどんどん高くなっていくのを感じた――





「……えっと、わたしはエリスで、こっちがアーサーで……あ、あと一年生ですぅ……」

「ふむふむ、覚えましたわ。苺のように可愛らしいエリスちゃん。それでエリスちゃん、わざわざ完成していない演劇を見るためにこちらにいらしたの?」

「え、えーとそれは……あれ? どうしてここに来たんだっけ?」



 アーサーはエリスからの尋ねるような視線を感じると、少し驚いたような表情をしながらも答えた。



「……料理部の使いだ。魔術粘着剤が演劇部の方に持っていかれていると聞いて、それで借りに来た」

「まあそうでしたの! 確かにニース先生なら一週間は許してくれるだろうと話していましたが……他の課外活動の方は盲点でしたわ! それでしたら、わたくしがご案内するのでどうぞこちらにー!」



 二人はアザーリアについていく。彼女が着用している白いドレスは、本当に衣装なのかと疑いたくなる程よくできている。




 その道中、アザーリアはエリスの耳元でそっと呟いた。



「後でチケットを差し上げますわ。よろしければ当日も見に来てくださいね、エリスちゃん」

「は……はひぃ……」



 熟れた苺のように真っ赤になるエリスであったが、アーサーはそんな彼女を終始真顔で見ていた。意味が分からないとでも言うかのように。








 こうして目的の魔術粘着剤も入手しあとは帰るだけ。エリスは若干名残惜しそうにしていた。



 とうとう耐えかねたアーサー、美術室に戻る最中でエリスに尋ねる。




「お前、あの女の先輩が来た途端態度が変わったな。会ったことあるのか」

「全然そんなことないよ? ただ素敵だなあって、そう思っただけ」

「……」



 アーサーにはわかんないかもね~とエリスは調子が良さそうだ。



「あ、でもアーサーだってそういう経験するかもよ? 男の先輩で、かっこいいなーって思うかもしれない」

「するはずないだろう」

「わかんないよー、まだまだ半年なんだし。例えばさっきの……ダレン先輩とか、すっごく整った顔付きでかっこよくなかった?」

「わからない」

「そっかー、そっかそっかー」




 話している間に美術室は目と鼻の先に来た。




 アーサーはそこに入っていく直前、窓から秋晴れの空を見遣る。




「んー? どうしたのー?」


「……」




 何の変哲もない、普段より雲量が多いとか少ないとかもない、至って普通の青空だが、



 アーサーにとっては何かを感じさせるもののようだ――





「……」



「今、こうして学園祭の準備ができるのも」



「昔にオレが聖杯を守ったからなんだよな」




 エリスにだけ聞こえる声で、アーサーはそう言った。





「……うん。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。騎士王伝説はあくまで伝説であって、史実ではないから」

「……だとしても多くの人々がそう思ってる」

「それはそう。でも、それはそれこれはこれだよ。アーサーが今ここにいること自体が謎なんだから、昔のことだって謎めいたままだもん」




「……」




 空はいつだって青い。千年前でも現在でも。



 千年前にいたであろう自分も、この青い空を見ていたのだろうか――





「……オレが今ここにいる理由もそうだが」



「オレはどうしていなくなったのか……それも気になる所だ」






(……秋空は人をおセンチにするっていうけど)


(アーサー、騎士王でもそうなるんだ……これは後でハインリヒ先生に報告かな?)






「ワンワン……」



「アオーン!!!」




 開き放しにしていた美術室の扉。



 そこから白い犬が突進してきたことに、衝突されるまで気付かなかった。




「ぐおっ!?」

「バウッ!!! ハッハッハッ……キャイン!!!」

「あ、カヴァス。ほったらかしにしててごめん」

「ワオーン!! ワンワン!!」



 カヴァスはアーサーの背中にしがみつき、肩によじ登った後これでもかと叩く。



「重いから降りろ」

「ワンワン!!!」

「放置してる方が悪い、だって」


「……わかるのか?」

「わかんないけど、この状況と態度で言ってる台詞ってそれかなーって」

「ワンワン~……」



 わかってんじゃねえかと言いたげな顔をエリスに見せた後、再びアーサーを叩く作業に戻るカヴァス。



「さて、カヴァスも突っ込んできたとこだし。感傷に浸るのはおしまいだよ。学園祭の準備準備!」

「……そうだな」




 たとえ自分の過去に何があったとしても――



 今の自分の使命は学生として、主君と共に日々を過ごすことだ。

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