第562話 大人になるって楽しい
今日は土曜日である。
朝である。
騎士王であろうとも朝は目覚める。
「……」
違和感を感じる。
騎士王であろうとも違和感を感じる。
主に鼠径部辺りに。
「……ちくしょうが……」
現在時刻は午前九時。朝食を食べ終わった生徒達は、それぞれの休日を始めていく。
「……で、オマエはまだ洗濯していると」
「……」
寮の洗濯事情はというと、汚れた物は各階層に置いてある洗濯籠に入れておくと、職員が回収して洗って返してくれる。但し名前と部屋がわかるようにしておかないと落し物ボックス行きなので要注意だ。
いやーそれでも自分で洗いたいんじゃーという生徒の為に、寮の裏手には盥と井戸が完備された洗濯区画が用意されている。そこでシーツと下着を洗っていたアーサーの元に、今日は何をしようか悩み中のイザークがやってきて現在。
「手伝う気がないなら帰れ……見世物じゃないんだぞ……」
「や、今日の予定どうすっか相談に来た」
「……練習とかは?」
「偶には手も休めねえとなって」
「そうか……」
特に汚れがあった箇所を重点的につまみ洗い。匂いがややきつめの石鹸でこすこす擦る。
「他の三人は?」
「ハンスは訓練、ルシュドはその付き添い、ヴィクトールは生徒会」
「暇なのオレ達だけか……」
「そうなるねえ」
「……」
盥から救い上げて、汚れが残ってないか目視で確認。ついでに臭いも確認。
「……お前さ」
「どうした」
「何も思わないのか」
「何が」
「例えば……この前のレーラさんとか……」
「まあうーん、目を引くなあとは思ったけど、魔法音楽やってる人にも結構ああいう服装の人いるし」
「……慣れか?」
「そうかもなあ。あと根本的に興味ねえし」
「ならばお前の興味は……魔法音楽か……」
「脳の隅まで魔法音楽詰まってると自負してるぜ」
一方で騎士王の脳には煩悩が詰まっているようで。
「ルシュドは人間性重視だからそこまで気にしないだろうし、ハンスは心の底からは興味ないだろうし、ヴィクトールはハンス以上に興味ないだろうし……」
「オマエだけだな、興味あんの」
「止めろ!! 敢えて明言しなかったのに!!」
「んでもまあー仕方ないっしょー。だってエリっちがあんなんだぜー?」
「……」
すぐさま脳裏に顔及び上半身が映る。
恐らくは――いや恐らくだ、あくまでもあくまでも、これには想像も含まれているのだが――
レーラよりもあると思う。
「どうなのさぶっちゃけ」
「何が」
「エリスのパイオツみーもーみーもーしてーなーとか思わないの?」
ガツンッ!!!
「いっで!!! オマエ拳握って殴ることねえだろ!!!」
「お前が!!! お前が悪い!!! ストレートに言うお前が!!!」
これは流石に周囲の視線も集めたことに気付いて、二人は押し黙る。
「ない。断じてない。騎士王たるオレが思うことなぞ決してない。創世の女神に誓ってもいい。高潔なる騎士であるオレがそのような不純な妄想を繰り広げることなぞ有り得ない」
「ほうほう、つまりは潜在的欲望としてあるんだな」
「だからなぁ!!」
言葉に合わせて身体を翻した余波で、盥の中の水が飛ぶ。石鹸混じりのそれがイザークに少しかかった。
「騎士である前に十四歳の少年ではないのかオマエはぁ~~~???」
「……」
「ヘイヨー認めちまえ? 現にオマエずーっと顔真っ赤じゃねえか」
「……はあ」
そろそろ頃合いだと感じて、シーツと下着を盥から取り出す。
「ああいいよ……くそっ。そうだよ。オレはずーっと思ってるよ。二人で会う時だっていつもそこに目が行ってる。見るだけじゃ満足できないって……そう思うこともある」
「だがなあ、それを本人に言ってなあ、快く承諾してくれると思うか……?」
「……その通りっすね」
さり気なく盥を持ち上げるイザーク。アーサーは洗濯物を籠に入れた。
「中身は適当に捨ててくれていい」
「へーい」
「ああそうだ……今日の予定。フィールドワークに必要な物を買い出しに行くのはどうだ。明後日からだろう」
「そういやそんなのもあったな。いいぜ、一緒に買いに行こうず」
こうして第二階層に外出する二人。エリスとカタリナも誘おうと思ったが、二人はギネヴィアのボイストレーニングに付き合っているとのこと。
まあ真面目でしっかり者な二人のことだから買い物は済ませるだろうと、信頼して男子二人で買い物決行。
「次の予定地何処だっけ?」
「スミア町。ログレスの丁度真ん中辺りの、そこそこでかい町」
「真ん中か。まあだからと言って特に何かするってことはないけど」
日用品、おやつ、不足していた筆記用具を買って、適当にぶらぶら通りを歩く。
「今は何時だ?」
「ええと、正午五分前」
「じゃあ飯でも食うか……」
そう言いながら、自然と大衆食堂カーセラムに足が向いていく。
数分しないうちに到着。しかし。
「……とまあこんな感じなんだ。そこの表に名前書いてて待ってろや」
入り口に近付くや否やおやっさんにそう言われる二人。
店内は入り口から人が溢れる程の大盛況である。
「まあ、昼時だしこんなもんか」
「ここまで来たんだし並ぶか。何分ぐらいかかるかな」
「十五分はかかるんじゃないの?」
急遽設置されたらしい椅子に腰かける。
「でもまあ、何もしないってのはなあ」
「この辺でも見て回ってきたら? ボクが並んでおいてやるからさ」
「なら頼むよ。時間が来たらサイリでも寄越してくれ」
カーセラムの近辺は雑多な第二階層の中でも特に雑多で、岩の天井に届かんばかりの高層建築物が並ぶ。そのどれもがあまり手入れがされていないようで、くすんだ色合いで人々を見下ろす。
「っ……何だこれ。うわ……」
掃除されていないゴミ捨て場が目に入る。ここに出したゴミは専門の所に持っていかれて、燃やして処理されるのだそうだが。
「これ燃やしたら何か変なの発生しないか……?」
鼻をつまみながら、隣を通りかかろうとするアーサー。
(おいおい、某を無視して行ってしまうのかい)
(なぁんてな……そんなことはしないって、某はばっちし理解しているぜ)
(どうだ、某の放つこの、オーラは……ついつい目を引いてしまうだろう? いや、引くに決まっているね!)
等という声が聞こえたかどうかは知らないが。
アーサーはそれを直視し、そして釘付けになった。
「……」
あたかも当然のように手が伸びる。
他のゴミ同様に、かなり薄汚れてはいたが、表紙は確かに認識できる――
「な、な、な……」
際どい服装、過度な露出をした、胸部が引き立っている女性――
そして特に極めて下半身を煽ってくるような煽り文句がたっぷり添えられた、表紙。
(……)
これには御年十四歳職業ナイトメアの思春期少年の手も動くってもんだぜ。
中を捲って見てみるととこれまた凄まじい――
(……ううっ!!!)
思わず背後や横を確認してしまうぐらいには凄まじい。
誰もいない。そりゃそうだ。こんな臭い掃き溜めのような所に来る人間なんぞ基本いない。
いや待て、こうは考えられるだろう。誰も来ないと確信しているからこそ、この本の持ち主は、捨てる場所にここを選んだのではないだろうか?
(これは……他人に見られてはいけない……!!!)
直感に近い確信を得るアーサー。
しかし何ということだ。
彼は背後と横の確認はしたが、真上の確認を怠ったのだ。
「にやりぃ~……」
「やってますなぁ、ニイさん……!!!」
(……!?!?!?)
ぶわぁと風が舞う。
男だ。コバルトブルーの髪を後ろで纏めた結構ガタイのいい男。
その男は、何処かの建築物から、自分の真横に着地してきたのだ。
「おおおおおおおっ、おまっ、お前っ!!!」
「っと……んっふっふ……よりにもよって貴方様でござったか……」
「なななななな何だよあんたはー!?!?」
「そんなに声出しちゃイヤイヤよんっ♪」
口元に指を持っていく仕草で、ようやく気付くアーサー。
「あ、貴方は確か! カーセラムの! ラニキさん!」
「おっと覚えてくださっていましたかぁ。いやあ、今日は休日だったもんで、馴染みの店に来たらとんでもねえ出会いをしちまった」
「そ、そうですか……」
目をじっとりと見つめながら、持っていた本を背中に隠す。
「それは全世界のきょぬーファンを虜にした合同ウッスイホン『ゆめいっぱい』ではあーりませんかぁー!?!?」
「わーっ!!!」
油断した隙に背後に回られ、本を取り上げられてしまう。
「あのっ、そのっ、別にっ、そんなっ、つもりじゃ……!!!」
「いやあ……悪かねえぜ、ニイさん……」
必死に照れを隠そうとするアーサーの肩を掴んで離さないラニキ。
「確か四年生だったか……いいか十五歳ってのはな……誰かが支えてやって昇らせてやらないといけないだぜ……」
「な、何がですか……?」
「『大人の階段』ってやつさぁ……!!!」
ラニキはアーサーの背中に手を回し、そのまままるで何処かに誘導するように動き出す。
「あ、あの、ど、何処へ……?」
「ワンダーランドさ……安心しろ、悪いようにはしねえぜ……」
「えっと、カーセラムで順番待ちしてるんですけど?」
「見るだけ、見るだけ! まあ入り口でも結構なもん置いてあるから、財布のヒモ緩める準備はしとけ~?」
「……」
今から連れて行かれようとする場所が、どんな場所なのかは大体想像が着いた。着いちゃった。
故に存在意義より先に、本能が疼く。
「……」
「鼻の下伸びてるぞ」
「気のせいです」
「足も早くなってないか?」
「気のせいです!!!」
食事をしてからもぐだぐだしていた客が多かった為、結局店に入れるようになったのは三十分後だった。
しかし今は怪我の功名。イザークの名前が呼ばれる前に、アーサーは戻ってくることができた。
「おっとおかえー……り?」
「……」
「あの……遅かったけど、何かあった?」
「……」
無言でイザークの隣に座るアーサー。
「あ、もうすぐ呼ばれるみたいっすよ」
「……」
「……何でそんなにへろへろなの? 帝国主義にでも追われた?」
「そんなことではない……」
「そっすか。いやまあ、それならそれでいいんだけど」
「……」
「……イザーク」
「ん?」
「大人になるって……」
「悲しいことだって言ったら右ストレート」
「楽しいことだな……!!!」
「フックと見せかけての右ストー……えっ?」
イザークは知らない。
アーサーの鞄が、ほんのりと荷物が増えて膨れ上がっていることを。
アーサーは知らない。
自分は素知らぬ顔でいるが、依然として鼻の下は伸びたままでにやけているということを。
そして二人は知る由もない。
(……流石に人妻関連までは引き込めなかったが)
(しかし、一歩沼に落とすことは成功したぜ……!)
影から動向を見守る、このラニキという男が、何者であるかを。
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