第494話 紅の守護竜

『土の霊脈を巡る旅も終わった後、私は再びログレス平原に向かう。南下する度に空気は様変わりし、暖かい風の包容が私を庇護する』


『平原の丁度中央と思われる地で、私は彼と出会った。その名はロビン・フッド。ウィーエル地方の民達を率いる、誇り高きエルフである』




『私は彼と話し、そして意気投合した--私は腰に差した岩の剣について話し、彼は手にした弓について語った。武器の話で盛り上がったのだ』


『その流れで私は彼と旅路を共にした。私は剣で獲物の肉を貫き、彼は弓で獲物の肉を射抜く。互いの健闘を称え汗を流すのは心地良かった』




『道中で彼の信条を訊ねた。彼は風の化身にして、自由という概念の具現だと信じている。彼は自分が最も素晴らしいと思ったことに対して、とことんまで愚直に生きるのだそう。他人の顔色を窺わずに語る彼は、誇り高きエルフである』


『魔法で風を操り、空を飛ぶ姿からは、枷より解き放たれた人間本来の在り方を見ているようで、とても清々しい気分になれた。そんな彼が治める地、ウィーエル地方の大都市ユディにこれより向かう――』









「おーいアーサー、こんな所にいやがったか」

「ん……」




 やや古さが目立つ『ユーサー・ペンドラゴンの旅路』の本から顔を上げ、アーサーは呼びかけられた方を振り向く。




 イザークが立っていた。そして親指で教室を出るように誘導している。




「そろそろ時間みたいだぜ。屋上にゴーだ」

「ああ、今行くよ」











 四月もそろそろ終わりに差しかかった、からっとした晴れの日。



 この日はぴたりと風が止んでいた。宮廷魔術師達が結界を構築し、あえて凪を作っていたからだ。






 雲の一つも浮かんでいない。これまた天候を操作して、何もない青だけの空を作っていたからである。



 魔術によって生み出された天候。それはその下で暮らす人々に、何かが起こるというざわめきを引き起こす。











「カービィちゃん、空を見上げてどうしたの」

「いえ……何か、実感沸かなくて」




 王城の中庭。今日はこの場所が、グレイスウィルの地で最も荘厳な雰囲気を纏っている。




 ブルーノがカベルネと共に空を見上げている所に、ティナもやってきた。




「何してるんですか二人共」

「空見てた」

「はぁ……でもまあ、こんな空滅多に見ることないですもんね」

「きっと一生もんだよ。守護結界の構築……『紅の守護竜』が飛び回れるような、黎明の空」

「守護竜……」




 さながら、この丁重に整われた空は、飛び回るに相応しい生命を待ち構えているようにも見えて。






「……おっと、現在時刻は午後十一時五十分。そろそろ撤退しようかね」

「はい……」

「まだ何かある?」

「……」




「……あたし達。今歴史が大きく動こうとする瞬間に、立ち合ってるんだなって……」











「国王陛下。そろそろ……お時間でございます」

「……うむ」





 上質な絹を用いたローブ。ただ上質なだけではなく、魔力回路が通されて対象者に魔力を供給できるように設計がされている。



 ハインラインが着ているのがそう。そして、王家に唯一つ製法が伝わっている――儀式用の特別な神具。





「……ユンネ君」

「はっ!」

「ふふ……緊張しているね。普段の君の言動からは想像つかないな」

「い、いえ……!」



 全身鎧に身を包んだ二人の騎士がハインラインに付き添う。片方がジョンソンで、もう片方がユンネであった。



「私が声をかけたのです。彼女の性分からすると、こういった物事には多大なる興味を示すだろうと思って」

「……」


「……おい、本当に大丈夫かお前」

「……まさか普段の私の言動が国王陛下のお耳にも入られていたなんて」

「放心ポイントそこかい。ていうか、やっぱり自覚しているんだな」






 布が敷かれた箱を持っているのはジョンソン。中には儀式で用いるもう一つの神具、聖杖と伝われる物が入っている。



 ユンネはハインラインの世話を担当している。玉座の間から中庭まで誘導していくのも彼女の仕事だ。











「……」






 中庭の中央に敷かれた巨大な魔法陣。直角になる位置に、王家プランタージに次いで権力を持つ、四貴族の領主が立っている。



 彼らの足元にも魔法陣が敷かれ、それは中央の魔法陣に接続してある。



 宮廷魔術師が徐々に動くのを止めていき、最終調整が済んだことを示していた。






「……聖杖を」

「はっ」




 ジョンソンが掲げた箱から、ユンネが聖杖を取り出し手に渡す。



 そして二人は魔法陣の外にはけていく。ハインラインは魔法陣の中央、赤薔薇のレリーフが描いてある場所へ。








「……さて」



「……これは宣戦布告でもある」



「対外諸国に向けて――グレイスウィルは、赤薔薇を踏み躙る者に対して、一切の容赦をしない」



「それは恒久なる平和を築くのに必要なことなのだろう――」








(そう、その通り! 貴方の決断は間違っていないわ!)



(だから自信を持って! 私も身体の中から応援しているから!)



(何より、そんなヨレヨレじゃ――守護竜にも見放されちゃうわ!)






「ふっ……」



「その通りだな、ベロア」






 両手で杖の先を持ち、天に掲げる――











『赤の尾を引き燃えるよな 頭角持ちし紅竜』


『汝は我等に指し示す 勝利と栄光契られた』


『赤薔薇狙う侵略者 虚無の如き白き竜』


『色を喰らいし悪魔共 地をも枯らす悪鬼共』


『赤薔薇に集う民が為 滅びを齎せ紅き竜』




『落ちよ彗星 爆ぜよ星光 真紅の炎で郷地を包め』








 光り出した杖を中央に突き刺す。




 起動した魔法陣に合わせ、領主達も足元にある魔法陣を起動させる。




 魔力の奔流が王に注がれていく――
















「――!」




「こ、これは……凄い!」




「わぁ……気持ち良い風……」








 この日外に出ていれば、誰しもそれを見ることができた。




 静寂を保っていた空を――




 突如として現れた紅い竜が、悠然と飛び出したのである。






 その瞳には何が映っているのか。



 何を思って飛んでいるのか。



 口を開く姿は見えど、声は一切聞こえない。



 丁寧に下層まで飛んでいき、その姿を見せつけていく。



 そうされた者は誰しも己の目を疑い、そして次第に安堵に満たされていく。











「……すごかったね」

「うん……」




 魔法学園でも竜の情報は知れ渡っており、多くの生徒が一目見ようと屋上に殺到していた。



 一足先に席を確保していたエリス達、四年一組の仲良し五人組は、のんびりタピオカを嗜みながら空を見上げる。




「……」

「何だアーサー、容器なんてじっと見て」

「タピオカが……一個くっついて……」

「ああ、まあよくあることだろ」


「お代わりしてくるっ」

「今日五杯目だからそれで終わりね」

「うぐぅー」



 ギネヴィアが席を立とうとしたその時――



 風向きが変わる。



「おわっ!?」






「お、おい! 見ろ! あのドラゴンこっちに来るぞ!」






 誰かがそう叫んだのを聞いて、流石に空に注目する。











 眼前にまで迫ってきていた紅い竜。


 きっとそれは紅い薔薇で、空はそれを湛える花壇。




 壮麗な竜は、魔法学園の屋上近くまでやってきて――


 先程までの興奮が嘘のように、今や静けさを保つ生徒達を見つめる。






 その視線は、心なしかエリスとアーサーに向かっている気がした。








「……」




「……守護竜さん!」






 駆け出して、



 手を振って、



 すれすれの手すりに寄りかかって叫ぶ。






「わたしは、わたし達は、きっと大丈夫です! 困難に打ち勝つ力、戦う力を身に付けていきます!」



「だから……どうか、ずっと見守っていてくださいね!」








 抱擁するような瞳を向けながら、ゆったりと頷く。



 それから屋上を風を巻き起こして飛んでいった後――






 王城の方へと飛んでいき、天辺の尖塔に静かに止まった。








「……どういう原理で止まっているんだろ」

「竜の姿をしているだけで、実際は守護結界だからな。魔術的な何かじゃないか?」

「あ……姿が、どんどん薄れて……」

「でも姿が見えなくても、わたし達を見守ってくれているんだよね……」



 口々に言いながらエリスに駆け寄る四人。



「エリス」

「……」


「……お前の言う通りだよ。オレ達は負けない。絶対に、あの野郎なんかに屈しはしない」

「……うん」

「抱き締めるか?」

「お願い……」



 迷うことなくアーサーの胸に飛び込むエリス。



「……どうしたのイザーク君」

「いや……仲いいなあって」

「いつものイザーク君なら、ひゅーとかわーとか言って囃し立てる場面なのに」

「流石にボクも空気は読むよ……」

「そうだギネヴィア、お代わりはいいの」

「あっやばっ忘れてた! ありがとカタリナちゃん!」






 赤薔薇の如き威光を放つ守護竜。



 かの瞳が見据えるは、先の未来か、討つべき敵か、或いは――
















「……ヴィーナよ」



「あのグレイスウィルが、『紅の守護竜』を再び起動させたというのは誠か?」






 キャメロット島は神秘塔、その最上階。




 浴槽に浸かるマーリンは、最も優秀な配下のヴィーナにそう訊く。






「ええ、その通りですわ……国内外問わず話題になっております。帝国時代の遺産が蘇ったと。そうせねばならない程に、各勢力の力関係が変わったのだと」

「力関係……ふん」




 マーリンは表情を変えずにもたれかかる。



 ヴィーナは長い間、永い時を寄り添ってきたので、



 彼が現在優越感に浸っていることに気付くことができる。








「ヴィーナよ、言ってみろ。紅の守護竜はいつの時代の産物だ?」


「帝国の創立と共に編み出されましたわ。千年以上も前の魔術が、新時代においても通用すると信奉されているのです」




「では、そのような妄信を獲得するに至った、魔術を造り上げたのは誰だ?」


「それは偉大なるマーリン様――」






「マーリン様が、帝国の安寧の為に。誰にもその地を穢されぬように、下界と理想郷とを隔てるように」


「そういった願いを込めて造り上げたのです」






 果実酒を受け取り、それを飲み干すマーリン。



 空になったグラスを無造作に置いた。








「……そうだ。プランタージの者共は、私から独立できたと思っているようだが――」




「結局は私の力に頼らないと、国の一つも守れない、脆弱な連中の集合体よ――」








 偉大なる魔術の復活の裏で、ほくそ笑む者一人。

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