第463話 女王と呼ばれる少女・前編

「――では、次の者」






 マーリン様がそう言うと、謁見の間の扉が開かれて、人が入ってくる。




 白髪のおじいさん。皺が多くて、髪も薄くて、今にも消えてしまいそうな声で弱々しく歩いてくる。


 服には土や埃の汚れがある。どれぐらいの道のりを歩いてきたら、ここまでの汚れが着くのだろう。




 おじいさんは顔を一切上げずに玉座の前まで来た後、跪つく。








「……汝の願いを」

「はい……我々の村は、ここ最近干ばつが続いております。池は干からびてしまい、作物は実らず……終いには村の者も干からびる毎日でございます。どうか、どうか、聖杯の恵みを我に……」






 そう言いながら杯を差し出す。きらきらしているけど、金でできているのかな。




 なんてことを思っていると、マーリン様はエリスちゃん……玉座に座っている彼女に合図を送る。











 するとエリスちゃんは、カーテンの奥の玉座から立ち上がり、お爺さんの前まで歩く。




 右の手袋を静かに外し、おじいさんが差し出している杯に手をかざした。




 一連の動作の美しさときたら、本当の……女王さまみたいだ。






「……」




 目を瞑り集中すると、




 杯にはどこからともなく水が注がれていく。




 それはエリスちゃんの手のひらから滴っているようにも見えて--








「……もう良いぞ」

「ああ……ありがとうございます……」






 頭を下げたまま、おじいさんはカーテンの向こう側に歩いていった。
















遥か昔。


創世の女神マギアステルは、

イングレンスの世界をお創りになられた。


秩序を創り、大地と海を創り、そして人を創った。


その後天上にお戻りになる際、

自らの血を魔力として残していった。






しかし、

   人がそれを扱うには、

             あまりにも強大すぎた






触れるだけで命を失い、

側にいるだけで精神を蝕む程の強い魔力。

先達達は、何としてでもそれを活かそうと、

研究を進めていった。


そしてその理想は実現し――結果がこれだ。





女神の血を受け入れることのできる

素質を持った人間に、力を代々受け継がせていく






その人間は、

神聖なる女神の賜物を受け止めるに相応しい杯。




即ち、聖杯。




女神の力を受け継ぐ影響か、

そう呼ばれる人間は必ず女性である。


故に我々は人々が聖杯と呼ぶ物を、

女王とも呼んでいる。


そして騎士は女王陛下に仕え、

一生を懸けて守り抜くのが仕事だ。
















「……まあ。それはさぞかし大変だったことでしょう。よくぞティンタジェルまで参られました。さあさあこちらのお部屋に……」




 わたしが一階の広間を歩いていると――


 エリザベス様が誰かと話しているのが見えた。




 その男性は酷くぼろぼろの服を着ていた。いや、服というかぼろ切れレベルだあれは。絢爛な内装との差が非常に激しい。


 ――まあ、それも今に始まったことじゃないか。現にこの間立食大パーティーした場所だって、汚い路地裏だったし。








「……あら。そこにいるのはギネヴィアじゃない」



 うわ気付かれた。いやうわって思うのは失礼だけど。



「は、はい……おはようございます」

「そう、それでよろしい」





 すぐにいそいそと近付いて頭を下げる。香水の匂いが鼻に入ってきて、むせ返りそうになるのを我慢する。



 エリザベス様に会う度こうしなきゃいけないから、正直疲れるんだよね……





「お仕事をされていたのですか?」

「ええ。ティンタジェルの中だけでなく、周辺にもみずぼらしい方はいらっしゃってるの。そういった方々を迎えに行くのも仕事のうちなのよ」

「先程の人もそのように?」

「町を囲む城壁にべったりとくっついていたんですって……そこまでできたのに、何故町に入るという所まで思い付かなかったのかしら」




 言ってもこの町って、それなりに圧力あると思うんですよ。聖地だし。




「……」

「どうしたのかしら?」


「……」

「あの四角い帽子が気になるのかしら?」

「ひぃっ!?」




 バレた。こうもバレちゃうものなのか。




 エリザベス様の言う通り、わたしが見ていたのは白いローブに四角い帽子を被った人達。


 白いローブという点では武器持ってない系の騎士と大差ないけど、その帽子と赤い肩掛けが特徴的で、何か他の騎士とは違うーって感じがした。







「彼らは聖教会の人間ね。私の部下でもあるのよ」

「聖教会? そして部下ですか?」




「前に説明したでしょう、私の仕事は聖杯の恵みを齎すための、広報活動だって。それを手伝ってくれる人達」

「普通の騎士とは違うんですか?」

「まあ、私が指揮して作っている組織だから。騎士と言われると少し違うかしら」

「なるほど……」




 そんな話をしていると、



 角帽子を被った人がこっちに近付いてくる。




「……下がっていいわ。私に話があるみたい――貴女もお仕事、頑張ってね」

「はっ、はいっ! 失礼します!」




 


 数歩向かって行った後、振り向いてちょっと確認してみる。






 エリザベス様の周りには何人も人が集まってきていた。それはさっきの聖教会の人もそうだし、一階に並んでいた普通の人もいた。何か膝をついてプロポーズっぽいことをしている人まで現れた。






(あれが魅力ってやつなんだろうな……)




 とか何とか思いながら、わたしは三階に戻る。











 その後に何をしているかというと、



 エリスちゃんの部屋でくつろいでいる。






 ぴっかぴかの家具を観察したり、ふっかふかのソファーで目を閉じたり、それでも退屈になったら選定の剣カリバーンを眺めてみたり。



 別にサボりではない。この部屋では好きにしていいと、エリスちゃんに言われたからね。女王陛下の指示に従っているから、これでいいのだ。






「……エリスちゃんっ」



 ふと思い立って声をかける。


 先日町で買ったあれを使ってみようと思ったからだ。



「……なあに、お姉ちゃん?」

「髪梳かしてあげようか」




 まん丸でくりくりとした、緑色の瞳がわたしを見つめる。ベッドの上から。




「……うん! お願い!」

「えへへ……それじゃあ、椅子に……あれ、ソファーの方がいいかな?」

「ベッドでいいよ! 来て!」




 ぱんぱんと布団を叩く。



 ここはもう乗るしかない。






「失礼しま~す」

「早く早く!」

「で、では、わたし、やります!」



 つやつやした赤い髪に櫛を入れる。これは雑貨のお店で見つけた掘り出し物なのだ。



「……」






「……お姉ちゃん? どうしたの?」

「んーと……エリスちゃんの髪、さらさらで気持ちいいなって」

「そうかな……?」




 彼女は横髪を少しすくって、撫でてみている。


 言われたことが本当かなって。確かめるように優しく。




 少しした後目を閉じて、しみじみと言った。




「……きっとお姉ちゃんが言うなら、そうなんだね」


「そうだよそうだよ!」


「えへへ……わたし、髪がさらさらだなんて、言われたの初めて……」





 エリスちゃんはわたしと過ごし始めて、色んな初めてが増えたらしい。



 わたしが言う色んなことは、これまでエリスちゃんが味わってこなかったこと。





 ……お年頃の女の子なのに、それはあまりにも寂しいって、何だか思っちゃった。






「ねえねえ、今度はわたしがお姉ちゃんの髪、梳かしてあげるね!」

「えっ?」



 そんな感慨に浸って、思考がわたしの時間を止めている間にも。



 エリスちゃんの時間はどんどん進んでいく。わたしにぎゅーってしてきて、わたしを見上げながらそう言ったのだ。





「……だめ、かな?」

「ううん、全然そんなことないよ!?」



 今までそんなことなかったから、驚いただけ。



 エリスちゃんにとっての初めては、わたしにとっての初めてでもある。





「じゃあやるね! でも……わたし、上手にできるかな?」

「何事も挑戦だよ挑戦。わたしは痛いとか言わないから、大丈夫だよ」

「ほんとに……?」

「本当本当! だって女神の剣に選ばれた騎士ですからー!」





 とか何とか言っちゃうぐらいには、嬉しかったんだろうなあ。



 何だかもう--エリスちゃんという存在に会えたことに対してさ。











基本的に、女王陛下の行動は定められている。


日が昇ってから沈むまでが謁見の時間。

その間玉座の間に居て頂いて、

客人に聖杯の恵みを与える。


その時間は他の騎士達が、

警護に入っているから問題はない。




貴君の仕事はそれ以外だ。




主に夜に女王陛下の身の回りの世話--

着替えや風呂の世話だな。

それを行ってもらう。


更に深夜帯の警護も行うこと。


最も、結界を施しているから

侵入者なぞ早々ないがな。
















「ふぅ……」

「ふぅ……」


「……なあに、それ」

「お姉ちゃんのまね」

「え~……もう、照れるなあ」






 すっかり日も暮れて、現在は午後八時ぐらい。




 人生で一生縁のないと思っていたお風呂。わたしは今、それを体験している。




 背中には浴室の壁、そして抱き締めるような形でエリスちゃんが前に座っている。






「きゃっ……」

「ん? どうしたの?」

「そ、そこは……やめて……」

「あ……ごめんごめん。胸に当たっちゃってたね」




 エリスちゃんは十二歳で、わたしはうろ覚えで十五歳ぐらい。年の差はわたしの方が上なのに、エリスちゃんの方が発育が良い。


 胸もふわふわ、お尻もぷるぷる、肌もすべすべでむちむちのカラダ……


 一方わたしはつるつるぺったん……






 って何考えとんじゃーい!!!






 エリスちゃんがこっち見てた気がするけど、そんなのはお構いなしに、わたしは話題を変えた。見つめる先は手だ。






「綺麗な手袋だよね……それ」

「そうでしょ?」




 エリスちゃんは右手の手袋を外し、わたしに見せてくる。白いレースの手袋で、質感も装飾も美しかった。そういうのに疎いわたしでさえそう思えた。




「モードレッドさまがくださったの。日常に支障をきたすことのないようにって」

「モードレッド様が?」



 意外……なのかな。どこでこんなおしゃれなの見つけてきたんだろ。



「でも日常に支障って、どういうこと?」

「うん……わたしね、何もしていないと、願いを叶える力が勝手に出ていっちゃうんだ」

「……うーん?」



 湯けむりに抱かれながら、思考を巡らせる。一緒にあったまった血も巡る。ぽわぽわする。



「例えばわたしがご飯を食べたいって思えば、ご飯の方からわたしの元に来ちゃうの。でもご飯ならいいけど、悪い願いだったら……」

「あーなるほど……玉座の間にいる時以外でも、勝手に願いを叶えちゃうんだね」

「そうそう、そうなの。でもこの手袋と、それから靴下も身に着けているとね、力を抑えてくれるの。勝手に願いを叶えることもないから、安心なの」

「そっか、そうなんだ……」



 マーリン様には、エリスちゃんとお風呂に入る時は手袋と靴下は着けっ放しで、そこを洗う時は一つずつ外せって言われたけど……改めてその理由がわかった。








「……すぅ」

「……エリスちゃん? 大丈夫?」


「んむぅ……お姉ちゃん、わたし、眠くなってきたなぁ……」

「そっか。それじゃあ、その前に身体洗っちゃおう。来て来てー」

「行く行くぅー……」






 夢心地のエリスちゃんと共に、わたしは浴槽から出る。顔から足先まで、すっかり温まって真っ赤だ。






「今日のお風呂熱かったかな?」

「ううん、大丈夫。わたし、お風呂は熱い方が好きなの。ぽわぽわして気持ちいいから」

「わかるー。ぽわぽわすると、いい気分になるよね」



 細かい網目の入ったタオルに石鹸を擦り付け、水をかけて更に擦る。



「さーエリスちゃん座って座ってー。わたしが背中流してあげるからねー」

「はーい」











「あわあわ~。あわあわ~」

「あわあわ~。えへへ、楽しいなあ」





 ……





「今日はいつもより多めに泡立てておりま~す」

「わたしわかるよ~。いつもこれぐらいでしょ~」

「バレちゃった~」





 ……





「どこか痒い所はございませんか~」

「首の辺りが少々~」

「かしこまりました~」





 ……





 やっぱり気になる。








「……お姉ちゃん? 手、止まってるよ」

「あ……ごめんね。あったまって頭がぼーっとしてた」

「そっか。実はわたしもそうだったんだ。えへへ」

「髪の毛も洗うから寝落ちしないでねー」

「はーい」




 エリスちゃんの背中。



 少女らしい身体付きの中で、一つだけ浮かび上がっている不自然。






(……翼、だよね……)




 肩のラインから腰のギリギリまでの長さ。横幅はそれぞれ背中に収まるサイズの、二つの翼。




 それは羽の一枚一枚が浮き出て見えるような、荘厳な雰囲気。今にもこの背中から生えてきて空を飛べそうだ。でも……






(……何で、黒いんだろう……)






 それだけが気掛かりだった。



 聖杯は、神聖なものであるはずなのに、何故……



 穢れを象徴するような漆黒なんだろうか。

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