第414話 すれ違い

「というわけで、今日の授業は終わりだ! 皆の者は早く帰るように。そして女王陛下への祈りを捧げることを忘れないようにな!」




 教師担当の聖教会司祭と共に、さようならーと気だるげな声を出す三年一組一同。


 それからだらだらと帰りの準備が進められていく。




「あ゛ー……祈りとか面倒臭えよ」

「……」


「何だっけ? えーと、私欲に溺れ奈落に落ちた暗獄の魔女……」

「止めろ」

「え?」




 イザークの肩を掴んで、強引に止めさせようとするアーサー。




「……オマエ、こういうの嫌いか?」

「……ああ」


「まあそれもそうか……だってボクも好きじゃねーもん」

「そう思うなら……止めてくれ」

「わーったよ、止める止める。だからその、手を離してくれねえか。肩壊れるわ」

「……悪かった」




 エリスとカタリナも帰り支度を済ませ、立ち上がる。




「じゃあ帰るか……」

「あ、あたし、課外活動」

「あっそうなの? 行ってらー」

「うん……」






 それから何回か口を開こうとするカタリナ。



 しかしそこから言葉が出ることはなく、



 もどかしい様子で立ち去ってしまう。






「……カタリナ、最近あんな感じだよなあ。課外活動で何かあったんだろうけど……」

「……」


「全然話してくれねえからどうすっか……っておい、エリス」

「……ん?」


「オマエ……オマエもそうだよな。ぼーっとすることが多くなった」

「……うん。ごめんね」

「そんな悪そうな顔すんなよ……オマエは何にも悪くないんだから」

「……」




「……本当に、そうなのかな」






 その呟きは二人の耳には入らなかった。



 彼らは既に歩き出していたから。






「バックバーックお家にカムバックー」

「えー……何だっけ。チャンチャンチャリオットに轢かれてご臨終?」

「それ替え歌の方だろ。ていうか何処で知ったんだよ」

「アデルが歌っていた」

「アイツかぁ……」


「……エリス? オレ達もう行くぞ?」






 そう呼びかけられたので、覚悟を決めて歩き出すことにした。




 歩き出すことにすら重い覚悟を決めないといけない時代になってしまった。












 そしてアーサーとエリス、二人揃って離れに戻ると、木箱が置かれているのに気が付く。






「苺だ……」

「だが……小さいな」

「……」




 中に入り、すぐに箱を開封する。ぎっしり詰まった苺の上に手紙が一つ。








『前略 愛しい娘エリス そしてアーサー


 堅苦しい挨拶はさておき、二人も知っているだろう。

 今ログレスは大変なことになっている。

 それはアヴァロン村も例外ではないんだ。


 実害はどうにか免れたけど、

 今度は比較的被害が少ないってことで

 周辺の救援を頼まれている。

 普段の村の数倍の人が歩いていて、

 治める側もてんやわんやだ。




 ……僕もこっちが忙しくて、

 苺の栽培規模を一時的に縮小することを迫られた。




 だから苺を送れるのはこれが最後だ。

 暫くは売る為の分しか栽培できなくなる……


 でも手紙は定期的に送るから、

 返事を送ってほしいと思っている。




 どうかこの状況下でも強く生きていこう。

 シュセ神の御言葉が二人に加護を齎さんことを願って……




 草々 ユーリス・ペンドラゴン』








「……」




 エリスは手紙を読んだ後、木箱の中の苺をじっと見ていた。


 アーサーも何も言わず、ただリビングの定位置で、同じようにするだけ。






「……ねえ」

「……何だ」

「わたし、部屋戻っていいかな」

「ああ……構わない」

「うん……」


「……オレも部屋にいていいか?」

「いいよ」

「……ありがとう」




 それだけやり取りを交わすと、苺を数個取って自分の部屋に戻っていく。











「……」



「……カヴァス」




 部屋に入り、ベッドに身を投げ出した後、



 自分の騎士――使い魔。



 本当の存在意義は何であるのかわからないそれに、問いかける。




「……ワン」

「オレは……何なんだろうな?」

「ワン……?」




 理解できない様子を見せる。



 しかしお構いなしに続けた。



 もしかしたら、問うという行為自体に意味はなかったのかもしれない。






「オレは主君を、エリスを守る為の存在だ」


「エリスに害を与える存在は……容赦なく斬り捨てる。それが存在意義だ」


「でも……」





 自分の心境を言葉にして表出する。



 目に見え、耳に入ることにより、心境は実在する物として固着されていく。



 漠然が明確に変わり、それが意味する通りの影響を明瞭に齎す。





「オレはどうして、先生を殺さなかったんだろうな?」


「エリスを刺そうとしていた。その時点で、脅威であることはわかっていたのに」


「先生……そうだ、先生だ。先生だから、殺せなかったんだ」


「存在意義に反することを――」






 存在意義。



 認知しているそれと、第三者が示すそれ。



 白と黒が脳内で混ざり合って、何もわからない灰色に染まっていく。






「……破壊と殺戮」



「熾烈な戦闘を生き残る」



「身に余る力――」





 何故だ? 



 何故なんだ?



 所詮は卑しい賊の戯言だと、どうして聞き捨てない?



 あの時見つけた文書だってそうだ。



 嘘の記述、古代の人間が戯れに書いた妄想だって可能性もある。



 なのにどうして――






 それが真実であると、重く受け止めているんだ?






「エリスを守りたい」


「でも、エリスを傷付けてしまう」


「……」




 使命を果たさないといけない。



 しかし果たそうものなら、存在意義は否定される。



 葛藤の天秤に重しが二つ乗せられた。一つは使命、やらないといけないこと。もう一つは、



 もう一つは――






「……やりたくないこと」



「したら傷付いてしまうこと……」



「……」






 目元が熱くなるのを、彼は意にも留めず、ただ天井を見上げていた。



 足元では犬の形をしたそれが吠えているだけ――












「……前略、親愛なるお父さん、お母さん……」


「グレイスウィルも、生徒が少なくなったり、外部の人が来たりして、大変です……」


「……」




 またしてもしっくりこない。数十枚目に上った便箋を、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に捨てる。




「はぁ……」




 机に向かうことを諦めて、ベッドに横になる。



 天井を見ることに不安を覚えて、横になって目を閉じた。






「……」





 目を閉じたって思い起こされるのは嫌なことばかり。



 四月の襲撃から始まり、アラクネの顕現、そして身近な担任の狂気。



 信じていた人が散って、第三者も不幸になって、信じていた人に裏切られて。





「……みんな、わたしの周囲の人ばかり」



「わたしが……」




 心境は言葉にすれば形を得る、得てしまう。



 それが何を齎すのか、形になるまでわからない。




「わたしが、いたから……」





 それが齎した物に気付いた後、



 毛布に顔を突っ伏しておめおめと泣いた。





「わたしがいなければ、もしかしたら……」



 そう思うならば、ここでいっそ死んでみるか?



「……」



 そうはできないだろう。






 生命である以上、生きるという行為には執着するように、細胞の深層に刻み込まれて造られている。



 微かにでも希望が見えるのならば、その先に向かって進もうとするように、本能が無意識を支配するのだ。






「……もしかして、わたし、もう逃げることしかできないのかな」



 何処に?



「……」



「空の上とかに……?」






 星々に居並ぶ天上、そこには創世の女神と偉大なる八の神々が鎮座して、大地で暮らす人々を静かに見守っているという。






「翼……」



「翼があれば、そこまで飛べるのかな……」





 仮にそうしたら、今まで親しくしていた人とはお別れだ。



 実家から祈ってくれている家族、学園生活でできた友人、優しい先輩に可愛い後輩、頼れる先生や外部の大人達。



 それから、



 それから――





「アーサー……」





 彼の名前を口にして、不意に雫が零れ落ちる。





「アーサー……」



「あなたはいつも、わたしの傍にいてくれるよね……」





 その分傷付く可能性も高いということ。



 他の人が陥った状況に、ともすればそれ以上の惨禍に、



 巻き込まれる――





「いやだ……」



「そんなの、いやだよ……」



「あなたには傷付いてほしくないの……!」



「わたしの、為に……」





 夏の最中に布団を被る。窓の外から燦々と日の光が入り込む。





 薬指の指輪、埋められた金剛石が輝いた。











 チェスゲームの戦況は至って混沌。



 クイーンの軍は確実に人数が削れた。関係ない人間から近辺の人間まで、満遍なく。



 しかしまだ取りには参れない。もっと数を減らす必要がある。



 この状況の特異な現象として、普段は特にクイーンと関係ない駒が、急に壁として立ち塞がることがあるのだ。








 そんな盤上の駒を見つめながら、




 彼は満足そうにある物を弄っていた。




 黄金の、紫色の装飾が為された杯。




 一片のひびもなく接続されたそれを、彼はずっと手にしている。






「……ご無礼をお許しください」

「おや……君の方から来るとは。珍しいこともあるものだ」




 彼がそう言った相手は、しわがれて腰の曲がった老人。杖を突きながら歩いてきて、そして彼の前で跪く。




「思えば君も随分と調整が進んだものだ。ここ最近はかなり安定しているね」

「有難きお言葉……貴方様が仰る通り、ワガハイも前線で戦える程の力を身に付けました。故にあの女や男のように、ワガハイにも独自の使命を拝命していただきたく……」

「ふむ……」




 盤上を再び見遣る。クイーンの軍はまだ数を減らせる、減らす必要がある。


 ログレス平原の動乱に加え、もう一押しが必要だ。




「……それなら一つ頼もうか。但しこれは、下の連中と協力して行う必要のある任務だ」

「はっ……それならワガハイにこそ適任でありますな。他の三人は我が強過ぎて、協調性が皆無だ」

「君はそれを補うつもりで造り上げたからな。では今から言う内容を……先ずは連中に提案してみてくれ。何があろうとも飲んでもらうが、まあ大方喜んで同意してくれるだろうさ……」






 今宵の月は三日月。



 彼の機嫌は頗る良い。か細いそれすらも、今は肴にできるぐらいには。



 薬指の指輪、埋められた金剛石が輝いた。

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