第398話 お互いの用事

 四月早々聖教会の本部から偉い人がやってきた。それも最上位の大司教その人だ。カンタベリーの地にいる人がアルブリアまで色々乗り継ぎやってきたのだ。




 とんでもない事態にアルブリア中の人々が動揺を見せている。学生も例に漏れずざわついていたが、司祭達を見かけることが多くなったこと以外には大した影響がないので、下旬に差しかかる頃には忘れ去られていた。






 そしてこの少年、アーサーは現在、それよりも重要な事案に突き当たっている。








「……」


「何でだ……」




 またしても朝起きたら布団が濡れていた。股間の所を中心にして。






「総合戦の時もそうだ……あいつらの生温かい目がきつかったんだぞ……」



 カヴァスを呼び出し、洗剤と盥の準備をするように指示する。






「アーサー? ご飯できたよー?」

「あ、ああー。今行くー」








 リビングに行った




 そしてご飯を食べた








「エリス、今日の予定は? 出かけるつもりだと言っていたが」

「んっとね……経過観察ってやつ。ローザさんとかソラさんに会って、今のお話をするの」

「ああ、それでもう一度治療が必要かどうか判断するのか」

「うん……」


「……自分ではどう思ってる? もう一度やった方がいいと思うか?」

「……」





 自分の状態については不安はない。男性を見て怯えることもないし、言葉による意思疎通もできる。


 しかし、魔法は依然として使えない。




 いや、使えないこと以上に重大なことが、あの総合戦で起こってしまった――





「大丈夫か?」

「え、ああ、うん……」


「……オレも用事があるから、今日は別行動だな」

「そうだね……」




 互いに気まずくなって、スープを口に含んだ。











 それからアーサーは、盥でわしゃわしゃ布団を手洗い。




 若干の曇りで一抹の不安を覚えるものの、後は自然の大気に任せることにしてアーサーは出かける。エリスは洗濯をしている間に出ていったようだ。




 そういえば行く先を訊いていなかった、と思い出しつつもどうしようもできないので、アーサーはそのまま騎士団宿舎に向かう。








「カイルさん、こんにちは」

「ん……貴方はアーサー殿」




 目的の彼は、宿舎前の広場で剣の素振りをしていた。どうやら仕事中だったらしい。服装はラフな武道着であった。




「まあ今の仕事は訓練なので。休憩がてら話を聞きましょう」

「ありがとうございます……」

「ついでに言うとお前が何を言いたいのかイズヤはばっちりわかってるぜ」

「ワオンッ!?」




 剣を下ろして腕を伸ばすカイルに、アーサーはすかさず魔力水を渡す。木箱に詰められていた騎士団の所有物だ。




「ああどうも……ふぅ、美味しい」

「アーサーも飲んでけとイズヤは薦めるぜ」

「いいんですか?」

「どうせ金を払うのはイズヤ達じゃないことを知っているぜ」

「じゃあ……遠慮なく」




 キンキンに冷えているその水はどこか甘味が感じられた。




「ぷはぁ……」

「いい飲みっぷりだとイズヤは感心するぜ」

「どうも……」

「さて、落ち着いた所で本題に入りましょうか」

「はい……」






 前から持ちかけていた、失禁に関する話をした。








「またしてしまったと」

「はい……」


「ふむ……」

「カイルさん?」




 態度は考える素振りを見せつつ、脳内ではイズヤと念話。






(イズヤ……これはもう、俺が教えてやるべきなのだろうか)

(そもそも自分で調べろっていう時点で無理があったとイズヤは猛省しているぜ)

(自分も今猛省しているよ。しかし……正直、俺は伝え方がわからん)

(そんなこったろうとイズヤは薄々感じていたぜ。よかったらイズヤが伝えてやることを提案するぜ)

(お前は回りくどく且つ時々直球だから駄目だ)






 などと思考を巡らせている所に、




「よーうカイルゥ!! 何だアーサーもいんのか!!」






「あ、アルベルトさん。こんにちは」

「何用ですか先輩」

「おっとほんのり酒精の臭いをイズヤは感じたぜ」




 ブルーランド風のシャツに短パンにサンダルという、休日スタイルでどかどかやってきたアルベルト。右手には麦酒の入った紙コップが握られている。




「心配すんなまだ三杯目だ! まだ理性はある!」

「これから理性をなくすつもりでしょうに何を」

「ところでアーサー! お前カイルと何話してたんだ!?」

「いや、その……」




「……イズヤ」

「確かにこういうのはアルベルトが適任だとイズヤは思ったぜ」




 カイルは肩を叩き、去ろうとしたアルベルトをを振り向かせる。




「実はアーサー殿が失禁をですね」

「カイルさん!? まっ、やめてください……!!」

「ふーん……?」






 相談の内容を漏らさず聞き終えたアルベルト。




 恥辱を感じているアーサーとは対照的に、本当に酔いが回っているのかと思わせるぐらい冷静な態度を見せている。






「カイル、お前はちゃんと説明したのか?」

「いえ……自分で調べなさいと言いました」

「駄目だぞ~駄目駄目。こういうのはな、本人が疑問に思った時点でな、周りの大人が説明して正しい知識を植え付けてやんなきゃ」

「……成程。やはり自分は甘かったのですね。肝に銘じます」


「アルベルトさん?」

「よーし、このクールで無愛想な丸刈り若造に代わって、このアルベルト様が迷える少年に大人の階段を登らせてあげちゃうぞ~」

「ええ、登らせてあげてください」








 そうしてアルベルトは、夢精と呼ばれる現象について懇切丁寧に説明を行ってくれた。








「以上、大まかな説明終わり。どうだ?」

「……」





 頭を抱えたり、腕を組んだり。挙動不審になってカヴァスを撫でてみたり。





「俺の尻尾でもいいぞ?」

「……いいです」

「わあっはっはっは」


「動転しているようですね。まあ当然ですが」

「ワッフーン!!!」

「……」





 ある程度カヴァスをわしゃわしゃにした所で一先ず落ち着いた。





「……アルベルトさんも偶に起こるんですか?」

「俺はある。稀~になぁ」

「自分は殆どないですね。何でも体質によって発生頻度が全く異なるのだとか」

「そ、そうですか……」


「でも十歳ぐらいの餓鬼には多いって話だぜ。何てったってぐっと我慢する力が全然備わってないからな~。まあ、よくあることってこったい」

「……」



 顔を両手で覆う。



「その態度、原因に心当たりがあるな?」

「……はい」

「言ってみ?」

「流石にそれは失礼だとイズヤはしばくぜ」

「あだっ!!」


「しかしある程度見当もついてしまうというものですが」

「……言わないでください」

「勿論」






 脳裏にちらつく彼女の顔。



 特に昨年の夏、ブルーランドで見た水着姿が鮮明に思い起こされている。






(……やめろ)



(エリスは守るべき人だ……)



(それを、それをそんな目で見るなど……)






「……思い悩んでるなあ。まっ、難しい年頃だ本当に。俺としては性欲にある程度は正直になれって思うんだが、そういうの話せる相手いるか?」




「いねえか。つうか話聞いてねえか」

「先輩が話し相手になってやればいいじゃないですか」

「俺は最近の若いもんの性癖なんてとんと見当








  ヒュッ




         ドカーン!!!!!!!!!







 --つか、ねえ?」











 騎士団管轄区まで聞こえてきた爆音。




 つまり、音の発生源は――






「……着替える時間が惜しいわ」

「自分もです」

「アーサーはどうするんだとイズヤは問いかけるぜ!」

「行きます。気になるので――」
















「エリスちゃーん! こっちこっちー!」

「ウェンディさん! おはようございます!」




 白と緑のワンピースに身を包み、エリスは地上階のとあるカフェに向かう。


 その入り口では私服姿のウェンディとレベッカが待っていた。




「やっほー! 総合戦以来だね! 元気だった?」

「はい、おかげ様で!」

「それは何よりー!」


「ふわあ……あっ、ヤバっ、欠伸っ」

「仕事明けですか?」

「いやさあ……聖教会本部から来たじゃん。それで騎士団もしゃんとしようぜって話になってさあ……」

「そんなに不味い状況なんですか?」


「何か~団長が余計なこと言っちまったせいで目ぇ付けられてんのよ。ねえウェンディ?」

「あれは人として当然の反応だったと思うけどなぁ……」

「わたし気になります」

「気になるなら仕方ない」




 一部始終を教えるウェンディ。




「そうでしたか……団長さん、残念でしたね」

「顔には出してないけど、きっと計り知れないぐらいに消沈してるわよ。告白妨害された上にその人は遠く離れて……他人事ながら涙出そう」

「そうだ……恋愛話と言えば」




 ウェンディがずずっとエリスに顔を詰める。




「な、何ですか……?」

「エリスちゃんとアーサー君はどうなのかなーって」

「じゃあ、先にウェンディさん……」

「およーっ、今日はその手に乗らないよーっ。散々こっちから話してきたんだから偶にはいいでしょっ」

「……」


「別に、今の気持ちとかそんな感じでいいわよ。だって一番身近にいる男の子だもん……こう、思う所はあるでしょ?」

「……」




 窘められるようにして、口を開く。






「……好きか嫌いかで言ったら、好きです」




<ぶっ込んできたねえ

<お黙り




「一緒にいると……安心するっていうか。この人なら信頼できる。心を預けてもいいって思います……」






 後半の方はやや語気が強めであった。






 レベッカは一瞬ウェンディと顔を見合わせながらも、話を聞き続ける。




「その気持ちっていつ頃から抱き始めたの?」

「うーん……はっきりとはわかんないです。強いて言うなら去年の秋から、かな?」

「第四階層のお家に通っていた時期か~」

「私達も何やかんやで揶揄ってた記憶あるわね」

「……はい」


「……その時の揶揄いが、現実になりつつある感じ?」

「……はい……」

「な~るほっどなぁ~……」






 ここで春模様のブラウス、ダークブルーのトレーナーに身を包んだソラとローザも合流。






「……あ、ローザさん。服が大分個性的ですね」

「うっせえ……私服にケチつけんじゃねえ……」

「違います、似合ってるってことです」

「……どうも」

「照れちゃってぇ~」




 うるせえとソラを小突いた後、ローザは店の中に入るように促す。


 先程までの話は、二人が来たことにより中断されていた。騎士二人は、ちまちま食事をしながら発展させようとも考えている。




「お洒落なカフェだあ……」

「最近できた店だとよ。トレックのクソチビからクーポン貰ってきたんだ」

「何食べようかなー!!」

「アンタは自分で金出すんだからね?」

「……ん?」




 入る前に、エリスが薬指を見つめていることに気付いたソラ。






「エリスちゃん、さっきからずっと薬指見つめてるけど」

「へっ……そのっ、すみません」

「いやいや、そんな謝らなくても。不思議に思っただけだから」

「……はぁ」




 前に貰った指輪はまだ着けたままだ。あまりにも美しいので、時々じっと見つめている。最も他人から見ると、そうとはわからないのだが。




「にしても左手、それも薬指かぁ~。エリスちゃんもそういうの憧れる年頃なんだね!」

「え?」

「ありっ知らないの? 左手の薬指って、指輪を――








  ヒュゥゥゥゥゥゥゥゥン




         ドッカーン!!!!!!!!!








「んっ!?」

「な……」

「ロイ、槍を出して」

「チェスカ、強化態勢」











 ふふふ






 うふふふふふ






 ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ……!!!!!!






 見つけた、見つけた、やっと見つけたわ……!!!!!






 あの人の探し物。あの人への、一番の贈り物――!!!!!











「ネムリン!!!」

「ネーーーーームーーーーー!!!」






ガァァァァァァァァァァァァァァァァン!!!!!











「ぐっ、うっ、があっ……!!!」

「ローザさん……!!!」


「……ヴィーナァァァ……!!!」






     今まさに入ろうとしていたカフェは、


     瓦礫で入り口が埋まった。






     眼鏡が割れ、服に煤が着いたローザは、


     血を吐いた後、彼女を睨み付ける。



     水色のセミロングに、


     金色とピンク色が混じった翅のニンフ。






     オパールの紙飾りを揺り動かし、

     美しい姿で口を突くのは狂った言葉。






「……プランタージの汚い犬。邪魔をしないで! その子を頂戴!!!!!」




「――だあっ!!!」






 ウェンディが背後に回り、一撃浴びせようとするが――






「ぐっ!!!」

「……魚臭いわ。あっちに行って!!!!!」





 結界だったのだろうか。




 何かに弾かれて、

 そのまま地面に叩き付けられた。






「ぶんっ……!!!」

「立ち塞がるの? 邪魔をするの!!! あああああああああああああ!!!!!」






   回復領域を展開し終えたレベッカが、



   鬼気迫った顔で後ろの三人に向かって、






「逃げて!!! 私達で時間を稼ぐから!!!」

「でも、でも……!!!」

「行くぞエリス!!! 魔法学園に――っ!!!」






 遠目からでもわかる。数ヶ月前に嫌々挨拶回りに行ったあの建造物。



 そこから人間が出てきて、次々と通路を包囲していく――






「くそっ、私についてこい!!! はぐれるなよ!!!」

「了解っ!!!」

「は……はいっ!!」






      どうしても心配で、

      走り出す前に後ろを振り向くと、



      ヴィーナの魔法とウェンディの槍戟の、

      目に止めることのできない交戦が

            続いていた所だった。

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