第338話 月空を舞う

 慌ただしく夜が更け、平原の魔物の大半が寝静まる時間になっても――


 大人達は結局戻って来ず、生徒四人で就寝の準備をすることになった。






「お待たせ! 寝間着持ってきたよ!」

「リップルありがとー!」

「ニャオ~ン」

「えっ、私の分も? 気が利くなあキャシー……」

「ワンワン」

「……まあ、オレは学生服でも十分だよ」




 数秒程無言の時間が続き、そして何かに気付くアーサー。




「……外に出てる。着替えが終わったら呼んでくれ」

「……」    こくり


「了解です!」

「うう、まさかアーサー先輩に寝間着を見られるなんて……」











 外に出ると、やや曇り空の向こうに星が浮かんでいた。




 風がそわそわと吹いてくる様は、あの夜のことを思い起こさせる。






「……あいつら、武術戦の時も何かしでかそうとしてたよな」

「ワンワン……」

「武術戦の時は、今回以上の大惨事になっていたかもしれない……」

「クゥーン……」

「……カムラン魔術協会。警戒した方が良さそうだ」






 空から視線を降ろすと、入り口からやってくる人影に気付く。






「あれは……」

「ワン、ワーン!」

「……ふぅ。何だこんなにぞろぞろと……」






 見知った仲間が八人。イザークやリーシャは真っ先に駆け寄ってきた。






「よっ! そっちはどうだ?」

「至って普通。目立った症状もないよ」

「そうか、それなら良かった!」

「この中にエリスがいるんだよねー?」

「あっとちょっと待ってくれ今は」




     ずばーん




「へんたーい!!!」

「もがぁ!!!」



 謎の球体を顔にぶつけられ、転倒するリーシャ。



「……着替え中なんだ。だからオレは外に出ていた」

「そ、そっすか」

「……?」



 白くゆったりとした、長袖の寝間着に着替えたエリスが、訝しそうにしながら外に出てくる。



「!」

「あひぃ~……エリスおはよ~……」


「! ……!!」

「えっ、ちょっ、何ですか……?」




 エリスは大慌てで、天幕の中からリップルを引っ張り出す。






「……あ゛っ!? まさか臭い玉直撃しちゃった!?」

「……臭い玉?」

「防犯対策に持ち歩いているんです!! 投げ方が悪かったのか今回はばくはもわーっ!?」

「てめーこのやろー!!! あははははー!!!」




 リップルの頬をびよーんと伸ばすリーシャ。それを軽く通り過ぎて、エリスは友人達の前に出る。




「……今日はありがとう。エリスが声かけてくれたんだよね、今回も。あたし、本当に幸せだよ」


「そうだそうだ! 色々飯が食えて最高だったぜ!」

「アナタ作る側だったでしょうが」

「おっとそうだったぜ!」

「……まあ、気分転換にはなったわ。ありがと」


「作る方も楽しかったからどーってことはないな! マジ企画してくれてサンキューだぜ!」

「貴様は貴様の可能な範囲で皆を励ました。良いことではないか」

「おれ、楽しかった。エリス、お陰。ありがと」

「……どーもっ」


「何よぉハンス、そんな冷めた返事してー!!」

「どわっ!?」

「エリスゥー!! 私めっちゃ元気出たから!! 本番も頑張るから、応援しててねっ!! 約束!!」




 リーシャが差し出した小指に、自分の小指を引っかけて。




 涙ぐみながらそれを切る。






「……オレも楽しかったぞ、エリス。皆で楽しくやることができた。ありがとう」

「……」




 涙が邪魔をしてきて、気持ちを文字にすることができない。



 それでも友人達はわかってくれている。



 わかってくれる友人が身近にいる――






「……っと」

「どうしたヴィクトール?」

「伝声器が……こちらヴィクトール」

「持ち歩いていたんかいそれ」

「連絡がどうこうって言って、さっき持たされたのよ」




 ヴィクトールは数回応答した後、電源を切って向き直る。




「明日の日程が決まったそうだ。試合は取り行う」

「……!」

「マジでっ!?」


「但しこちらの生徒の体力を考慮して、時間が変更される。それまでしっかりと休めということだな」

「ふーん……まあいいわ、やばくなったらワタシの魔法陣で全部癒してあげる」

「やる気だな、いいことだ。それで、日がある程度傾いた午後二時からの開始、終了は夕時の午後五時になる。前々からこの時間には雪がちらつくと予測されていた」

「じゃあ防寒対策をしっかりしろと!!」

「気温の変化によって支障が出ないように体力を温存しろということだ。故にもう寝た方がいいだろう」


「オッケー!! じゃあねエリス!! また明日ねー!!」

「ばいばい。エリスもしっかり寝るんだよ」

「おいアーサー、天幕だからってエリスに変なことするんじゃねーぞ!?」

「するわけないだろうが……」






 それから何言か軽口を叩き合い、八人は視界から外れて夜の闇に向かっていく。






「……せんぱい! 紅茶淹れておきました!」

「ふふっ、楽しそうでしたね」

「ああーもう……頬が、真っ赤っ赤……」

「自業自得だからね……?」

「ニャーン」




 全員が去った頃合いを見計らって、ファルネアとアサイアが天幕を開ける。芳醇な茶葉の香りが解き放たれた。


 エリスとアーサーは釣られるように中に入り、腰を落ち着ける。




「……む、セイロン。流石だな、オレの好みを理解している」

「まあ私もセイロン飲みますから。美味しいですよね」

「……美味しいよな」


「せんぱいには苺のフレーバーティーです!」

「なーにちゃっかりお揃いにしてるのよぉ」

「ああーっ!! リップル!!」

「……」




 ファルネアからいい匂いを搾り出す様に、エリスはむぎゅーっと抱き締める。




「……はひぃ」

「あははー……エリス先輩、すぐファルネアのこと抱き締める……」




「……」

「……アーサー先輩。お願いです。寝間着をじろじろ見ないで……」



 中央に大きく獅子の絵が描かれた厚手のトップス。緑の袖に白地なので良く目を引く。



「うわーん、こうなるならもっとマシなの持ってくればよかったよぉ……」

「ニャオ~ン」


『ファルネアちゃんの寝間着かわいい』

「ふええ……ありがとございま……」



 ピンク色のギンガムチェック、所々に輝く石が埋め込まれている。肌触りも良く高級品であると一目でわかる。



「ところで先輩の寝間着ってどんなんなんですかぁ」

「灰色のスウェットだ、特に特徴もないぞ」

「えー……」


「オレは寝間着にまで気を遣う性分じゃない……」

「モテませんよ?」

「必要ない」

「にゅー」

「ニャー」

「ワンワン!! ワンワンワン!!」

「何でカヴァスはアサイアに共感しているんだ……」






 こうして駄弁っていくこと十数分。






「ふう……そろそろ紅茶が回ってきたかな」

「ぽよぽよですぅ~」

「よし、寝ましょう。明日は叫びますから、イメージトレーニングをしながら寝ましょう!」

「お前は役者だから、結構な声出そうだな」

「いや~まだまだですよ~」




 布団を引っ張ってきて、それぞれ床に着く。




『おやすみ また明日』


「ああ、お休み」

「おやすみなさい」

「ふわあ……むぁた、明日ぁ……せんぱい……」






 風が吹き抜け、雲を切り裂き隙間を作る。



 小さき星々の中央に、大して座する満月一つ――








(……みんな、優しかったな)



(わたしのせいなんて、思ったけど、けど……)



(ずっとこのままじゃ、その気持ちまで不意にしちゃう)






(前を向かなきゃ……)



(わたしは、わたしのできることをするの)



(……)






(……)
















 空を飛んでいる。




 お月さまがぽっかり浮かぶ夜空。今飛んでいるのはそう。




 星の海を揺蕩い、地上を見下ろし、大地に降り立つ。






 少し遅れて、あの人が隣にやってくる。




 肩を抱き締められて、何か言葉をかけられた。吐息が柔らかい。








 わたしは知っている。




 もうこの世界には太陽は昇らない。




 あの人がそう望んだから。




 ずっとお月さまが空に浮かんでいるの。




 きれいなきれいなお月さま。あの人が大好きな、まんまるきいろいお月さま。










 この世界には多く人が住んでいる。




 でも顔も名前も知らない人ばかり。覚えてた人もいるかもしれないけど、忘れちゃった。




 忘れちゃうことはどうでもいいことなんだって、あの人は言っていた。






 あの人の真似をしてみた。手を伸ばせば黒いものが辺りを覆い尽くす。巻き込まれたら死んじゃうくらい。




 これはまだ優しい方。あの人はこんなことはしない。槍で心臓を貫くの。血がいっぱい飛び散るけど、あの人は嬉しそうにしている。




 心臓を貫いても、眩い光の奔流なんて出やしない――







 いたいんだろうなあ




 するどいもの、からだにささったら、いたいよね








 ごめんね。わたしにはどうすることもできないの。




 だってあの人のことを愛しているから




わたしは愛でられるにんぎょう。

わたしは狂い果てたどうぐ。

わたしは何も言えないしもべ。

わたしは欲望を受け止めるどれい。




 もっと満たして



 あなたの愛で わたしをいっぱいにして








 皆死んだ。緑の平原は赤く染まった。



           いやだ



 あの人が振り返った。わたしに近付いてくる。




           こないで




 お月さまがわたしとあの人を照らす。あの人は笑っていた。





          いたいの いやだ





 身体が浮く。どんどん空に舞い上がって、翼が羽ばたく。






         いたいいたいいたいいたい






 黒い翼をはためかせて――






 お城に帰るんだ――






    かえったら  いたいこと






 ああああああああああああああああああああああああああああああ











「……!!」




「……」






 布団を捲って、目が覚めるとそこは天幕。




 小鳥の囀りが遠くから聞こえ、朝日が透き通って入る。






 周囲を確認する。アーサーは真っ直ぐに、アサイアは手を少し出し、ファルネアは布団を抱き枕にしてぐっすり寝ている。




 まだ誰も起きていない、早朝と言った所か――






「……」




 汗がべったりと纏わり付いて気持ち悪い。




 寝間着のままで着替えもせずに、三人を跨いで外に向かう。











 何事もなく手水場に着いた。案の定誰もいない。




 すぐに近い場所に入って、顔に水を浴びせる。








(……今のは夢? 夢だよね、寝てる間に見たから)



(なのにどうして、あんなに心に残っているの?)



(夢なんてすぐに忘れてしまうはずなのに。どうでもいいことのはずなのに)



(ずっと忘れはしないって、どうしてそう思ってしまうの?)



     にんぎょう






(いや――)




     にんぎょう    どうぐ


          しもべ     どれい




(わたしの中から出て行ってよ――!!)








「おい」




 ぎゅっと腕を掴まれ、動きを止められる。




「……やり過ぎだよ。寝間着がびしょびしょじゃねーか」




 気だるけな声でそう咎めたのは、ローザだった。






「……!」


「……こんな朝早くに、一心不乱に……怖い夢でも見たか?」

「……!!」






 濡れるのも気にせずに抱きかかり、また抱き返される。そうしておめおめと涙を零した。






「よしよし、辛かったな……きっと黒魔法の気にやられたんだ。深く考えることはねえ」


「……とか言っても無理だよなあ。私もそれに近い感じだったし……なら楽しいことするに限るな」




 ローザはそっとエリスの顔を見下ろす。


 今の彼女は、姉のような優しい表情をしていた。




「先ずは三人が起きてくる前に、美味しい朝食を作ってしまおう。ささやかなお礼ってやつだ」


「それから寝間着を洗濯してもらって、演習区で応援だ。いっぱい声出して嫌なことは忘れてしまおう」


「……」




 言葉の全てに頷いて、忘れるように努める。




「よし……んじゃあ行こう。ソラ達もぼちぼち戻ってくる筈だ、今朝は大所帯になるぞ……」

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