第322話 ヴァイオレット
<魔法学園対抗戦・魔術戦
十四日目 午前十時 運営本部>
「あ~本当心臓に悪いよ……」
「ヘンリー猊下の対応、任せてしまってすまないな」
「いや、運営本部の長は俺ってことになってるし……これぐらいはな」
運営本部の休憩室にて、フォンティーヌに差し入れをしてもらいながら羽を伸ばすアドルフ。ルドミリアが先にいて、合流し茶を嗜んでいた所だ。
「ところで……」
「いやー、今年は寒いな。十一月なのに空っ風が舞うこと舞うこと」
「その……」
「ていうかもう今年も終わるじゃないか。早いなー、新時代六十一年目」
「おい……」
「このまま何事もなく今年っていうか、今年度が終わってくれるといいんだがなー」
「……」
アドルフの言葉に故意を感じたルドミリアは、
周囲に意識を張り巡らせる。
「……花を摘んで参ろう」
「いってらっしゃい」
バタンと扉が閉められ、休憩室にはアドルフとフォンティーヌだけが残される。
「……」
「ヒヒン……」
「……わかってるって」
そのまま窓に向かい、
ティーポットに残った紅茶の出涸らしを捨てる。
「……っと」
「嫌らしいこといたしますね」
何もない白い壁。
出涸らしがポタポタ零れる僅か隣から、壁と同化していた人間が現れる。
徐々に色が濃くなり人の形を成す。深緑の髪を刈り上げた、紫の瞳の青年だった。
「人の気が緩んでいる所に盗み聞きを働こうとする奴に言われたくないんだが」
「俺に気付いて敢えて話題逸らしをしていたんですよね。どの辺で気付きました?」
「フォンテイーヌが察知して、こっそり教えてくれたよ」
「おお、それは噂のナイトメアってやつですよね? 俺知ってますよ」
「……」
窓から身を乗り出し、彼の姿をよく観察する。アドルフの記憶にあった人物であった。
「……ヴァイオレット。現クロンダイン指導者カストル直属の画家」
「あら、俺のことご存知だったのですか」
「奴は毎日お前を連れ歩いているからな。覚えないわけがない」
「へへっ、そりゃあどうも」
「……それにお前の動きは不穏な点が多すぎる。つい先程情報が入ったぞ、訓練している生徒に手を出したと?」
「それについては弁明させてください。実は生徒の中に俺の知り合いがいまして。久々に会えて嬉しくなっちゃったんですよ」
「……」
「……本当ですよ? 嘘ならこうして説明しませんもの」
「……嬉しくなって手を出すのか?」
「あはは、一緒にいた魔術師にも言われましたよそれ」
これ以上は訊いても無駄だと感じたので、話題を変えることにした。
「今ここにいるのは誰からの指示だ?」
「俺に指示を出す人間なんて一人しかいないでしょう?」
「……まあな。で、そいつがグレイスウィルの状況を何かしら探ってこいと、そう言ったわけだな?」
「そう言ったわけです」
「……」
窓に身体を寄せ、考え込む様子を見せる。
「……菓子をくれてやろう」
「毒入れて殺すおつもりで?」
「断じてそのようなことはしない」
「ああ、あの方について色々吐けと。ご安心ください、そんなことしなくても吐きますから」
「何?」
「正直言うと俺、あの方に心の底から忠誠誓ってないんですよ。偶々利害が一致して、利用している。そんな感じの関係性です。そんな俺からすると、願わくばあの方を止めてくださらないかなーって、何となく思っているわけですよ」
「ふむ……」
「まああんまり言うと俺が殺されかねないんで、ちょっとしか言えないんですけどね……」
そう言うとヴァイオレットは、懐から草を一本取り出す。
三本の草が麻紐で一纏めにされている。赤、紫、青の三色で、時々黒く発光していた。
「言ったことには責任持ってくださいね? 菓子と交換ですよ」
「……ほら。バタースコッチだ」
「ありがとうございますね。グレイスウィルの貴族様がお食べになられるんだ、嘸かし濃厚な味なのでしょう……」
バタースコッチと交換に、その魔術大麻を手にしたアドルフは、一瞬眩暈に襲われた。しかし何とか食いしばる。
「アルビムから魔術大麻を仕入れているって話はご存知ですよね?」
「そのせいでタンザナイアが凄惨たるものになった」
「例の内戦の時は仕入れたのものを闇雲に浪費していただけでしたが、あろうことに改良に成功してしまったんですよ」
「それがこいつということか。効能は?」
「それ言ったら本当に殺されるので、貴方様の方でお調べになってください。こいつの通称は『アスラ』です」
「……?」
「おっと……」
ヴァイオレットは寄りかかっていた壁から離れ、数歩歩き出す。
「このポッケの中には簡素な魔法具が入っておりまして。これが振動すると、あの方からの召集って合図なんですよ。そしてたった今物凄い震えています」
「そうか……では、お別れということだな」
「もしかしたら、また会う機会もあるかもしれませんねえ」
「その時は殺し合いの場ではないといいな」
「本当ですねえ。では、これにて」
「ああ、貴殿の方も達者でな」
互いに手を軽く上げ、それを最後に彼は去っていく。
「只今戻った」
図ったのか偶然なのか、ヴァイオレットの姿が見えなくなった瞬間にルドミリアが部屋に戻ってきた。
「ああ……ご苦労だったな」
「花摘みが苦労ってどういう了見だ」
「確かにそうだな」
「……なあ」
「ん?」
「アスラって聞いたことあるか?」
「アスラ……?」
頭を軽く落とし、そしてすぐに手を叩いて頭を上げる。
「思い出した。クロンダインに伝わる伝承上の存在だよ」
「伝承上?」
「闇の巨人ギリメカラ、それが眷属としていた魔物。顔が三つで腕が六つ、俗に三面六臂と言われる姿をしていて、非常に凶暴で好戦的。ガネーシャに忠義を誓い、力を授かった人間でないと討伐できなかったらしい……」
「……三面六臂」
「で、それがどうしたんだ急に?」
きょとんとするルドミリアと、内心で悪寒を感じるアドルフ。
バタースコッチの入った深皿、一つだけ欠けたそれが、涼しい顔でその場に鎮座している。
<午前十一時 貴族区>
「いやあハンニバル殿! こんな所でお会いになるとは奇遇ですな!」
「がっはっは! そちらも元気そうで何よりだ、カストル殿!」
「……」
貴族区に戻ってきたヴァイオレットの目に入ったのは、
満面の笑みを浮かべて笑うカストル。
そんな彼と話すハンニバルの姿だった。
「ん? おお、ヴァイオレットではないか! 戻ってきていたのか!」
「……ええ。貴方様にお呼ばれしましてね」
「そうかそうか! ハンニバル殿がいらしていたのだ、お前も挨拶しなさい!」
「……」
横目で流し見た後、頭を下げる。
「おうおう、聞けばお主は画家をやっていると聞く。どうだ! ここらで一つ、ワシの肖像画でも描いてみんか!」
「逆にお伺いしますが、描かせてもらってもよいのですか?」
「カストルが気に入っているからな! その実力が如何程のものか、ワシは気になっているのだ!」
「へぇ――でしたら、ご要望にお応えしまして」
「我々の天幕までお越しください! そこでお描きになりましょうぞ!」
「了解した! では早速向かおうではないか!」
(……)
(……他の貴族連中がいるにも関わらず、二番目が出ている)
(ハンニバルがいて、安心しているからか)
ヴァイオレットも直ちに二人の後を追おうとするが、
木の後ろから、犬が尻を出していたのに気が付いた。
パウンドケーキの尻にキャンディの尻尾である。
「……何をしてるんですか、ヘンゼル殿」
「くっ……」
「ワッ!? クゥ、ワオン……」
「いいですよ。見つかってしまったからには仕方ないです」
ごそごそと出てくるその人物に心当たりがある。クロンダインの地に駐在している医術師、ヘンゼルだ。
「私のことは知っているようなのでさておき……こちらは私のナイトメア、グレーテルです。張り切るのはいいのですが、ご覧の様にヘマをしてしまうことも多々あり……」
「それなら煩わしく思うこともあるのでは?」
「とんでもない。そんな欠点も含めて、私はこの子を大切に思っている」
「……それがナイトメアですか」
近寄ってくるグレーテルを撫でてみると、赤いソフトキャンディでできた舌を出し、うっとりと地に伏す。
「ナイトメアのことを好ましく思っていないのですか?」
「いや、それはどうだろう。そうではないと言ったら少しは嘘になる。使い魔共のせいで、人は想定外の動きをしますから。お陰でこちらの計画が狂う」
「……」
「だが――一人じゃないっていうのは、羨ましくもある」
撫でるのを止め、立ち上がってヘンゼルと視線を合わせる。
「貴方様の事情もわかりますよ。同じクロンダインで仕事をしている以上、あの二人の間には割って入りにくい」
「……」
「まあアスクレピオスとして思う所があるのでしょう?」
「連中がいなければ、犠牲者が出ることはないのにと」
首も振らなければ、返事もしない。
「……貴方のことも聞いていますよ。五年前、あの内戦が終わった時――貴方はどこからともなくやってきて、彼に従いだした。しかしその態度を見ていると、彼のことを信じ切っているわけではなさそうだ」
「……わかります?」
「彼の部下である人間は、皆一様に気が狂っていますからね」
「おおう、そこまで言いますか」
「手放しに彼のことを賞賛する、たったそれだけしかできない人形。その中で飄々としていられる貴方は大層目立つのですよ」
「……どうです。我々と来ませんか。狂気に陥る前に、医術の聖域に」
すぐに首を横に振り、返事をする。
「いや、それには叶いません。俺は俺の事情であの方に従っているので」
「……事情とは?」
「それは俺の容姿から察してくださいな。聡明な貴方ならおわかりでしょう?」
「……ああ」
「さて、与太話もここまでにしましょう。そろそろお二方の糸が切れる頃合いだ」
一人と一匹に軽く会釈をし、ヴァイオレットはその場を去っていく。
「ワッ、ワッフン……」
「……腹の読めない男」
「バウワウ!!」
「確かに撫でられたきみはそう思うかもしれないが。私はそれを不気味に思っているんだよ」
「クゥン……ワオン!」
「そうだな。彼の動向にも気を付けなければ……」
「……考えてみれば、私はカストル殿のことを何も知らないな」
「内戦の数年前に、突然現れた謎の指導者……」
「その出自は何処なのだ?」
その場を去ろうとしたヘンゼルだったが、ふと気を引くものが視界に入った。
「……」
「ワゥンッ!!」
迷彩柄の服を着た連中――革命軍の者が、
黒いローブの人間達と話をしている。
声が大きいので会話の内容は丸聞こえだ。
「……ほぉ~ん、やるじゃねえか。付け焼き刃の一般人集めただけにしては、よくもこれだけの地域を占領できたもんだ」
「ありがとうございます!」
「そこはもっとこう、丁寧な言い回ししろよ!!!」
「あうっ!!!」
黒いローブの人間達が優位に立っている様子。革命軍の兵士は何も言い返せない。
「ぐっ……うっ……」
「カッカッカ……まあいい。その辺の島々を根城にしながら、アンディネの方にも進出できるだろう……よーし、次の指示を出す! そこに攻め込むように!」
「……はっ!」
そうして話の中心人物達が退散していった後も、ヘンゼルは立ち尽くしている。
(……やはり一枚噛んでいたか。カムラン魔術協会……)
(民兵が殆どの革命軍が、異様に大陸進出に精力的な理由……彼らが後ろ盾になっているのか)
その後も程よく怪しまれない程度にその場に留まっていたのだった。
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