第286話 金貨の使い道・その三

「うーあーぐーぎゃー……」


「にーしーろーやー……」


「がーがーぐーぐー……」




「何ですの、獣のような声を上げて? 目障りですわ!」






 丁度着替えを終えた所にカトリーヌの声が聞こえてくる。






「リイシア……」

「いいよ……今回は事実だ。反論のしようがない……」

「あらぁ!? 認めましたわね!? 自分が獣のように愚かな存在であると、認めになられましたわねぇ!?」

「先輩、足止めお願いします」

「よっしゃ」




 壁のように立ち塞がった生徒の横をすり抜け、リーシャは更衣室を出る。








「えーっとミーナさんのプログラムは……これですね」

「……へえ、空中三回転に上体反らし。私一年生なのに、難しいのを入れてきましたね」

「それだけ期待されてるってことですよ」

「ふふ、そういうことにしておきましょうか」




 ネヴィルとミーナが話をしている様を、




 じっとりと見つめるリーシャ。




「……おや、リーシャ先輩」

「ウッ!!!!! 先輩こんばんにちわ!!!」

「……」


「……どうしましたか?」

「あっそうだ! ここでリーシャ先輩のプログラムも渡しておきますね! 学園祭で披露するやつです!」




 ネヴィルは至って冷静に、笑顔を浮かべつつリーシャに紙を渡す。




「……体操パートは前転一回転、円舞パート中央回転がメイン……か」

「基本を押さえた構成になっていますね。その分動きは詰めやすいと思うので、練習頑張ってください!」


「……ミーナは」

「ん? いかがされました?」

「ミーナは、難しい技貰ってるのよね……」



 紙を持った手をだらりとぶら下げ、視線を遣る。



「……聞いてました?」

「ほんのちょっとだけ」

「そうですか。まあ私は、予てから練習してきたってのもありますしね」

「……私よりも上手くて当然ね」

「そうかもしれませんね」

「……」




「……その癖、私よりも胸がある」

「……え?」




「何でもない。じゃあ私練習に入るから」






 すたすたと歩き去り、一年生二人を取り残す。






「……兄ちゃん。ここはあんたが何か言ってやる場面じゃないのかい?」

「はっ!!! 確かにそうですシンシンさん!!! リーシャさーん!!!」

「もう彼の所に行ってしまったから無理ですけどね」

「チクショー!!!!!」











「……臨海遠征の疲れが残っているか」

「わかりますか」

「わかるさ」

「……」




 カルが用意してくれた体操マットに身体を伸ばし、先ずは柔軟体操から。




「先輩はどこまで話聞いています?」

「殆ど知らない。精々君が被害にあったということぐらいだ。他に被害にあったという生徒の情報もわからないよ」

「……」




 息をゆっくりと吐き出すが、何故か力が入らない。




「……くそっ。くそぉ……」

「……」


「……こんな、こんなはずじゃ……」

「……」




 リボンの用意をしながら横目で見遣ると、


 彼女の目には涙が浮かんでいた。






「休め。少し気持ちを落ち着かせろ」

「でも……」

「今までは様子を見てきたが、今日は流石に駄目だ」




 そう言ってリーシャの上半身を強引に起こす。




「俺でよければ……話を聞くぞ」

「……」






「……先輩」


「先輩は、巨乳と貧乳どっちが好みですか」






 単刀直入に訊いた問いですら、彼の表情を揺るがせることはできない。


 氷のように冷たく、感情が見えない顔で答える。






「……どちらでも構わない」

「根拠を詳しく」

「人を判断するのに大事なのは身体つきではなく、それを踏まえた上での心の有り様だからだ」


「……人間ができているんですね」

「……そう見えるかもしれないな」

「あはは……」




 笑いながら俯き、その拍子に涙が下に落ちる。




「……馬鹿にされたのか」

「はい。それが苦しくて辛いんですよ。今でも思い出して不快になります。でも私のこれらなんて、友達が味わった痛みに比べればどうってことないんですよ」


「……違う」


「友達は襲われて大怪我負いました。変な薬も飲まされて、今もそれに苦しんでいるんです。そんなことに比べたら、私は、私なんて、きつい言葉浴びせられたぐらいで」

「違う」




「――それは違うぞ、リーシャ」






 涙ぐむ彼女の顔を、




 真っ赤に腫らした顔を隠すように、




 彼は抱き締めた。






「自分の苦しみを語るのに、他人を物差しにしてはいけない。君の苦しみは君だけのもので、その友達の苦しみも友達のものだ」




「……」

「どちらも本人にとっては、最も重大で真剣なこと。それを他人と比べて、我慢することはしてはならない」




「……せん……」

「……君は明るい性格だから、それを保とうとして、苦しみを押し込めてしまう」




「辛かっただろう……」






 ぽんぽんと背中を叩かれ、




 張り詰めていた糸が緩んでいく。






「うぅぅ……あぁ……」




 止めようとしても涙が止まらないのは、




 今まで必死に堰き止めていた竹箆しっぺ返しだ。






「……この後練習はできそうか?」

「……すみ、ません。今日は、無理、かも……ひっく……」

「そうか……なら無理せず帰るべきだ。俺が送って行こう」


「……カフェ……」

「……?」

「塔に行ったら、カフェで、食事、しませんか……えぐぅ……」




 そっと身体を離しながら、カルは戸惑いの目を向ける。




「……お金を貰ったんです。今回の一件で。口止め料とか、そんなんじゃ、絶対にないんですけど、はい」

「……」


「だから代金、全部私が持ちますので……一緒に、お願いします……」

「……」




「……わかった。君の頼みなら、俺は従おう」




 そうして二人は道具を片付けていく。








「……」


「シンシン、ネヴィル君は何故気絶しているのでしょう」

「あんな言葉はかけてやれないと絶望してるんでないんすかねえ」











 こちらは武術部、その部室。


 演習場の隅に設置されているこの部屋では、専用の購買部があり、そこで好きに備品を購入できるのだ。






「クラリスー? これ合ってるかー?」

「ああ、サイズ感ぴったりだ。あとは好きな色を選ぶだけだな」

「アタシ土属性だし、橙色にしようかなあ」

「もっと他の色にも目を向けたらどうだ。カラフルに取り揃えてあるぞ」

「んー見てみるかあ……」


「おれ、武道着、これ」

「偶には赤以外も選んだらどうだ?」

「むー……おれ、迷う」

「こういう時にはあいつがいてくれればいいんだけどな」




 するとあいつの方から来た。




「失礼します……ルシュド先輩、こんにちは」

「クラリアせんぱぁ~い! メーチェですよぉ♪」

「ルドベック、只今失礼致します」






 キアラ、メルセデス、ルドベックの後輩三人。キアラの手には、今日はキャンディが入った箱が抱えられている。






「皆さん、これ……水飴を手に入れる機会があったので作ってみました。レモン味ですっぱいですよ」

「すっぺえええ! うめええええ!」

「メーチェも食べるぅ♪」

「キアラー、おれ、こっちー」

「ん……ひゃあっ!?」




 ルシュドは試着室の中で、武道着を脱ぎながら呼びかけていた。




「先輩、ナイスバルクです」

「な……?」

「チャールズさんが言ってました。筋肉を褒める時に使う言葉だと」

「……」


「悪いルドベック、古代語を含む言葉はこいつに使わないでやってくれ」

「すみません……キャンディ持っていきますね」




 箱からキャンディを数個拝借し、更衣室まで持っていく。




「先輩、私のこと呼びましたか……?」

「あ、えっと、試着、見る、手伝う、おれ、ほしい」

「……え? 先輩の武道着……ですか?」

「うん……」


「はいちゅどーん!」

「きゃあーっ!?」




 のそのそと来たキアラを押し入れるジャバウォック。




「武道着片っ端から持ってくっから~。お二人中でいちゃいちゃとな~」

「「えええええ……!?」」








「うっし。アタシこれにするぜー」

「毎度ありです」




 会計口に立っていたのはハスターだった。今日も黄色いスカーフが印象的である。




「……クラリアさん」

「何だよー」

「君……何か嫌なことがあったのかい?」

「……わかっちまうかあ」

「君の場合は露骨に元気をなくすからね」

「あはは……」




 そこにクラヴィルもやってくる。




「お疲れ様。っと、クラリアじゃないか」

「あ、兄貴ー。アタシ武道着買ったんだー」

「ん、そうかそうか。他には何か買ったか?」

「鉄武具の使用許可を出してもらったぜ。そろそろ次のステージにステップアップってやつだぜー」

「あ、それ、おれも」




 ルシュドがやってきて、試着した武道着を会計口に差し出す。彼が選んだのは青色だった。




「鉄、重い、でも、強い。青銅、木……足りない」

「その通りだ。アタシはもっと強くなりたい」

「もっと敵、倒す、必要……」




 粛々と商品を受け取る二人。






「先輩……」

「……キアラ、俺達から言えることは何もないのだろうさ」

「……」


「マレウス、お前はこういう時に空気読んでくれてよぉ……」

「でも俺は言わせてもらうぞ」




 きっと二人を見つめるクラヴィル。




「お前達、過去をバネにして訓練するのはいいけどな。偶には吐き出せ。溜め込んでいたらいつか爆発して、酷い目を見るのは自分なんだ」

「……」

「……」


「何も完全に休めということではありません。適度に力を抜いてリラックスしてくださいと、そういうことなんですよ」




 ハスターも椅子に座りながら補足する。






「……キアラ、キャンディくれ」

「は、はい!」

「アタシも食うぜ」

「どうぞ、まだまだありますからね!」




 箱をがさがさと漁る二人。持ち上げた手にはキャンディが山のように握り締められていた。




「確かに私、先輩方がどのように苦しんできたかはわかりませんけど……でも、こうしてお菓子を作ることならできますので!」

「俺だったら、訓練相手になることはできます」

「……アタシもできますぅ……」

「鉄武具なんてやられたら死ねる」

「マレウスてめえ……でも事実なんだよ!!!」

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