第255話 ギネヴィア、酒、呪文
大して風が吹かなくとも、日光が遮断できれば相応に涼しい。腰もしっかりと落ち着けて、丸机に置いた紙束を開いていく。
最初に開いた頁に描いてあったものに、アーサーは目を奪われる。
それには、ギネヴィアの肖像画と覚書がされていたからだ。
「ギネヴィア研究ね」
「聖杯の力を奪うという禁忌に触れた魔術師が、本当に悪人だったのかという研究だな。まあ有識者なら一度は通る道だ」
「そうなの?」
「鉄板の題材だからねえ。で? この紙束の持ち主はどう結論づけてる?」
「……」
ヴィクトールは一ヶ所、気になった場所を指差す。
『男たらしの魔術師』よりの引用――
「ああ、これ知ってる。名前だけだけどね」
「ギネヴィアが男たらしだってってこと?」
「そうみたい。ギネヴィアに誑かされて、魔力を根こそぎ取られた男共の悲哀が描かれた詩集。でもこれの成立って帝国時代の初期、カムランの戦いの後だったはずよ」
「『ギネヴィアの生年は歴前百五十九年から百三十四年。年齢に換算すると二十五歳だ。この詩集では果実が実りをつける頃から成熟し落ちる頃という記載があり、大方十四歳から二十歳の頃に嫐ったことになる』」
「『一方で十四歳の頃には既に禁術に没頭していたという記載もあり、果たして男を弄ぶ時間があったのかは疑問である』……か」
「じゃあ……ギネヴィアは悪く描かれているってことか?」
「『しかし第二十九節、蜂蜜酒に薬を盛られた男の詩において、別の文献において女に薬を盛られたと、騎士に懇願している文献がある。これにより第二十九節は事実であり、他にも事実が幾らか混ざっていると推察される』……とのことだ」
「何よアーサー、残念そうな顔して」
「いや……」
エリスの言葉と顔が過ぎったから――
一体彼女は、あの時どうしてギネヴィアについて言及したのだろうか。
それに対していい返答をしてやれると思ったが、駄目だったようだ。
「他にも様々な文献からの引用が見られるな……どれもこれも名立たる歴史書や古典文学だが、内容は先程言った物と変わらん」
「つまり?」
「ギネヴィアは歴史書に記されている通りの邪悪な魔女。以上」
「ハッ、つまらないの」
「どうして?」
「ギネヴィアは悪であるっていうのが定説で、それに証拠を裏付けただけだからよ。これが善人で、それを立証するにあたった未発見の文献とかあったら白熱なんだけど」
「この紙束の持ち主はそこまでではなかったということだな。実際、次のページからは別の内容に変わっている」
「あら、飽きちゃったのね。まあいいわ、気を取り直しましょう」
「これは……日記か?」
ぱらぱらと頁を捲っていく。
たった数頁で、しかも内容が抽象的。固有の名詞や指示語が抜け落ちていたからである。
「うーん、折角持ち主の本性に迫れると思ったのに、これじゃあ本末転倒ね」
「まだ最後まで読み終えてないのに、そのような……ん?」
「何だこれ、研究文?」
「……青い酒?」
「ここだけ綺麗に復元されているな……」
「読んでみようよ」
「そのつもりだ」
<青い酒について>
これを勧めてきた生徒によると、この酒はチダニー会という組織が製造しているものらしい。
そのような組織は聞いたことないと言ったら、公にしていない秘密の組織とのこと。
原材料は適当な魚。と海水とわかめと海苔と普通の酒と魔力結晶。
あのおぞましい青は魔力結晶から来ているものらしい。
(帝国暦…年 …月…日 追記)
何でもこれを飲むと深海の底が見えるとのこと。
滅びた街があって、そこを泳いでいる幻。最奥まで行くと玉座があって、そこの後ろの扉が開いて……何かに目覚めた所ではっと現実に返るらしい。
そして、この何かに目覚めた生徒を調べた結果、夏季休業前に休んでいる生徒と一致。
触れてはならない世界に触れてしまい、戻れなくなったのだろうと推測。
(帝国暦…年 …月…日 追記)
前述の何かに目覚めた結果、身体に魚鱗が生えてくることがあるらしい。それは大抵幻であるのだが、そうでない例もある。実際、話を聞いた生徒はそうだった。顔を真っ青にして腕に魚鱗が生えてきたと相談してきた。
魚鱗が生えてきた生徒は特にそうだが、酒の存在を知った生徒は執拗に勧誘を受ける。恐らくチダニー会の人間だろう。いや人間か? 魚鱗が生えてくるような酒を進めてくる……人間がいるのだろうか?
もしかして、連中も魚鱗が生えているのでは? 魚人は本当の姿、上半身が魚だったりするのを誤魔化す魔法を使えると学んだ。それで隠しているのではないか?
「……都合良く時間の所だけ復元されていないの、くそかよ」
「青い酒ねえ……ブルーランドカクテル? いや、魔力結晶がどうのって書いてあるわね。着色粉末を用いていない……」
「そもそもそのような酒なぞ聞いたこともないぞ。希少だと言うのなら、俺でも一度は耳にするはずだが」
「チダニー会とやらも気になるが……一体どこの組織だ?」
「わかんないなあ。そもそも、この日記がどこで書かれたのかを証明する文章もまだ復元されてないよね」
「アヴァロン村で書かれたにしては、どうにも引っかかる文章が散見されるんだよな。近場でさえも馬車で三十分……森に囲まれたあの村に、そこまで気楽に行ける町は存在しない」
「あと生徒とか夏季休業って単語……これ書いたの教師? それとも生徒?」
「学園を調べた第三者の可能性もあるぞ」
四人が議論を展開している最中。
ジャバウォックが申し訳なさそうにアーサーの肩を叩く。
「あー……お前ら、盛り上がってる所すまねえ」
「どうし……って」
「話が難しすぎて、ルシュドが気絶しちまった……」
彼は文字通り目を回して、地面に突っ伏している。
「うーん。ただでさえ帝国語難しいのに、内容の考察なんてもっと無理だよなあ……」
「……ならば呪文の被験体になってもらうのはどうだ?」
「は?」
「前回の発見から約十ヶ月、ようやく二個目の呪文だ」
ヴィクトールが見せ付けた所には、このように書かれてある。
『慰めと癒し』
「……癒し」
「どう考えても
「ワタシがやるわ、
「ああ、前回は唱えただけで発動したからな。恐らく今回もそうだろう」
「じゃあやってみるわ」
杖を取り出して、先をルシュドに向ける。
「慰めと癒し」
すると、淡く白い光が発生し――
「……」
「お?」
「……うーん」
「おおっ?」
「ふわあああああ……」
「……!?」
「おれ、元気!」
立ち上がり腕を伸ばして、晴れやかな笑顔を皆に見せる。
「ルシュド……今の気分はどうだ?」
「頭、すっきり。筋肉、すっきり。肩、ぐるぐる。気分、いい!」
「……どういうこと?」
「そういえばルシュドも、トレーニング・ルームの改造に付き合わされていたな。筋肉痛だったのか?」
「うん。でも、我慢我慢。これぐらい、できる。でも、すっきり。良かった!」
「……」
「エリスちゃんにでもやってもらえば~~~???」
「こいつ……!」
「おーほほほ」
アーサーの懇願する視線を、白々しい物言いで遮断するサラであった。
「まあでも、効果はこんなもんね。体力回復と、身体の不調を治す。触媒への刷り込みが必要ない呪文としては優秀じゃない?」
「前回とは打って変わってるな」
「その前回ってどうだったのよ。ワタシ詳しく聞いていないんだけど」
「相手を酔わせて、直近の記憶を消す。酔いは薬で簡単に冷めるし、記憶は二、三日で復元する模様」
「使い所が思い付かないわ」
「だろうな……しかしこの二つの呪文の内容から、推測できることがある」
おおっ、と期待するような視線が向けられる。
「この紙束の持ち主は、適当に開発していった呪文を書き連ねていったのだろう。これが魔術師であるなら、どういう経緯で開発したのか、その条件は何なのか、とにかく事細かく追記するはずだ。再現性が乏しくなるからな」
「じゃあ持ち主は魔術師じゃないってことか」
「魔術師というよりかは魔法の専門ではないということだろう。ということは……生徒か?」
「でも生徒が呪文の開発なんてするかしら。したら大人達に取り上げられて、そういう本とか出ているはずよ。ケビン先生とか、こういう事例があるから読んでみろって喜んで勧めてくると思う」
「確かに言えてるな……」
アーサーとエリスの、魔法学総論の課題の対象となっていたかもしれない。
「とにかくさ、まだ情報が足りないってことだよね。紙束はまだまだあるんでしょ?」
「ああ。これが一番状態のいいもので、他にも五つぐらいあったかな」
「じゃあそっちに核心に触れる情報があるかもしれないね」
「果たして全部復元できるのはいつになるのやら」
「気長にやっていくとしよう」
日が傾き始め、島に影を落とす。
「さて……これで今回の内容は全部か?」
「ああ。今日だけで三つの内容を発見できたな」
「ギネヴィアについては殆ど成果はなかったがな。青い酒については、調べてみれば情報が出るかもしれんな」
「海がどうこうって書いてあったから、魚人に聞いてみるといいかも?」
「セロニム先生とかだな。しかしあの人たまにしか来ないからな……どうにかして、チャンスを作るしかないか」
「ルシュド、これからはきみも復元作業に参加していいからな。でも武術部の活動あるなら、そっち優先してもいいからな」
「おれ、友達、大事。だから、こっち、来る。言って」
「ああもう、そう言うと思ってたよ……うん」
「ではこれにて解散……魔力も使ったことだし、カーセラム寄るか?」
「……」
「安いし美味いんだよあの店。先輩方が積極的に行く理由がよくわかる」
「ご飯! おれ、楽しみ!」
「ああもう勝手にして……」
「メロンフロートでも頼もうかしら」
「コーヒー一択だ」
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