第244話 幕間:アスクレピオスが携わる戦争・前編

<帝国暦1057年 6月29日

 アスクレピオス所属の医術師の回想>






 ――普段の私の仕事は、アスクレピオスの本部……つまる所は戦闘からは最も縁遠い場所にいて、前線で命を懸ける同胞達がしかとその力量を振る舞えるよう、事前の根回しと事後処理を行うことだ。この協会の象徴でもある杖なんかよりは、ペンを握っている時間の方が余程長い。一応回復魔法も使えるんだがな。この前も息子の擦り傷を治してあげて、パパ凄いやと全身全霊で褒められた所だ。


 ところがなんと、つい三日前のこと。そんな私にも前線に出るように命令が下された。命令を伝えに来たのはグレーテル。我等がボスにして悠久の時を生きるエルフ、ヘンゼル様のナイトメアだ。私は甘い物がそこまで得意ではないため、キャンディとクッキーとその他身体に悪そうな色合いの菓子でできた、彼女の姿を見ると気分が悪くなる。


 とはいえ相手が相手なので、命令は絶対である。すぐに妻と息子に召集が来たことを知らせた。妻は帰ってきたらとびきりのシチューを作ってくれると約束してくれた。息子は大号泣して、出発直前まで私から離れてくれなかった。




 仕事場から徒歩数分で見られる、家族の笑顔。それがあるからこそ、私は意にそぐわない仕事でもやってこれたというのに。マーシイ神よ、これが私への試練だとでも仰られるのでしょうか――








<帝国暦1057年 7月4日

 ハルトエル王太子によるミダイル海上基地の視察>






「……ケルヴィンが協力に応じなかった?」

「ええ。グラド市街及び国境付近に駐屯の許可を要請したのですが、断られてしまったんです」

「その理由は?」

「自分達が蒔いた種ではないのに、取り計らう義務はないと」

「……」



 魔術でできた堅牢な家屋を眺めつつ、ハルトエルは続ける。



「……それ故のこの海上基地か。費用はどれぐらいかかったんだ?」

「おおよそ二千万ヴォンド。この提案をしたのはセーヴァ様で、あの方によりますとアルビム商会に発注したとのことです」

「……ぼったくられた可能性がないか」

「それを検証するのは、一度首を突っ込んだことを最後まで終えてからです」

「ああ、全くその通りだ……」



 この戦闘が始まってからというものの、油断していると迷いが生じ、心を奪われてしまう。



「……どうされましたか、殿下」

「……いや。この戦いに意味はあるのかどうかを考えてしまってな。全く情けない、前線では主君を信じて多くの人が戦っているというのに」

「……」




「後で振り返ってみて意味はなかったと判断できても、今を生きる彼らにとっては命に関わる程の意味を持つ……さて、次の所に案内してくれ」

「はっ……」








<帝国暦1057年 7月17日

 クロンダイン国境付近にて、ある騎士と宮廷魔術師の会話>






「ようブルーノ。へへっ……まさかここで会うことになるなんてな」

「アルベルトか……傍にいてやらなくていいのか?」

「何のことだ?」

「レーラだよ。あいつ、さっきすれ違った時かなり沈鬱な表情してたからさ。同期であるお前が励まさなくていいのか?」

「……一人にしてほしい、ってさ」

「……そうか」




 かつて町の一部だった瓦礫を適当に漁り、それに座って一息つく。




「……ねえっ。さっきのアドルフ様の命令、どう思うっ?」

「……害するようなら一般人にも手を出していい、だろ? ……正直俺は気が進まない」

「あいつらはもう道を踏み外しちまったんだ。まだ意思の疎通ができる分、マキノの方が可愛い」

「こんな状況で褒められても嬉しくないんだけどぉ」


「アドルフ様だって、苦い汁をグビグビ飲み干してから判断なさったんだ。それに俺達が難癖つけるのは違うと思うぜ」

「……ああ、きっとそうだな。俺さ、ここに来て一番衝撃だったことがあってさ」

「何だよ急に。反乱軍の非道さか?」

「それもある……かもな。フォンティーヌだよ。あの美しい白翼が、あそこまで血と泥に濡れていたのを初めて見てさ……」

「……ああ」


「きっとアドルフ様の盾になって、守ってくれていたんだねぇ……うっうっ」

「マキノ、お前も相当なもんだよ。常に俺の傍にいてくれたじゃないか。ありがとう」

「ちょっ、そんなノリでお礼を言われると何だか動揺しちゃうなぁ……」

「しろしろ。ん……角笛の音?」

「召集か。一体何があったんだが……行くぞ」








<帝国暦1057年 7月23日

 アスクレピオス所属の医術師によって纏められた、カルテの一部とその見解>






「死因:心臓破裂。急激な血管の肥大に心臓が耐え切れず、肉ごと破片になって飛び散った。残留血液より約十二種類の危険成分を検出。マギアニウム、弱性マギアニウムも含む」


「死因:急性脳梗塞。特筆する点として、一般的に言われる血管が詰まるタイプの脳梗塞ではなく、本当に脳が固まる--石化により身体の中枢機能が麻痺し、それに伴い諸機能が停止し死に至っている。血管及び血液も凝固し採取は困難、よって血液検査は未実施。しかし被験者と交戦した魔術師から、直前に葉っぱのような物を口に含んだとの証言有」


「死因:出血多量。咽頭部の過度な炎症により、分泌する唾液ですらも発作を引き起こし、それを排除するべく喉を掻きむしった模様。爪による引っ掻き傷以外にも、中央に直径三センチの円形の傷跡有。恐らく棒のような物で喉を貫き、それが原因で死亡したものだと思われる。血液検査により致死量のマギアニウムを検出」






「……どいつもこいつも死因がバラバラだが、共通点はしっかりしてやがる。魔術大麻の服用。反乱軍の連中は民衆を戦力にするために、とびきり強いのを独自に調合したと推測。その証拠に多くの死体からマギアニウムが検出されている」


「マギアニウムは人工的に作られた神経作用の薬、しっかりと過程を踏んで生成された物は手術に使われる麻酔に用いられ、また暗く沈んだ気分も明るくしてくれる。故に用量を守れば人体に害を及ぼすことはない。だがどうせ下民の集まりだ、金がないから粗造された物を買い漁って適当な薬草と混ぜ合わせたんだろう」


「クロンダインの栄光とか抜かしている癖には、やっていることが非道すぎるぞ、あのカストルとかいう男。守るべき民をこのような惨状に晒して何が残る?」








<帝国暦1057年 8月2日

 タンザナイア市街に急設された診療所での一場面>






「放せ! 放せよ!! てめえらは俺に何をしやがるんだ!!!」

「何もしませんので、安静にしていてほしいのですわ……フィル様、もう少し魔力を強めてほしいのですわ」

「い、今頑張ってる所だよ! うげえ!」


「あらあら、折角助けている所を蹴り飛ばすなんて、困った患者さん達なのですわ。ならば、このボナリス様の名に懸けて絶対の癒しを与えるとするのだわ!」

「これ終わったらフィルにも癒しを頂戴くださいませ~~!!」




 瞬き厳禁、患者はすぐに容態を変化させる。瞬きしてもその速度には変わりないのだが。




「おぉーいそこのウサミミ。五番の箱に入っている薬草持ってきてくれや。中身を確認する」

「……」


「聞いてんのかテメエ」

「わっ……?」


「かーっ、ったくよぉ。そんなに長い耳を持ってんのに俺サマの声が聞こえねえのか? ああ?」

「……エルク・ウィルソン君」


「俺サマの名前フルネームで呼んでいる時間あるならさっさと箱持ってこい」

「ああうん、そうだね……」






 綿密にシフトを組んで、秒単位で休憩を回す。しっかりと休憩するのだって、時には気合が必要。






「まあエルクったら! こんな所で葉巻なんて吸って、患者さんの容態に関わったらどうするおつもりですの!?」

「テメエが何とかしてくれんだろボナリス。つーか何とかしろや」

「むきー! 私だって私だって、必死にドラムを叩きたいのを我慢しているというのに! 貴方はこれ見よがしに趣味の時間だなんて、残酷にも程があるのだわー!」

「キーキーうっせーんだよ黙れ……っとそうだ」

「何ですの?」


「テメエに訊いておくけど。あのウサミミ魔術師について何か知らない? さっきの仕事中ずーっと俺サマの顔見てきてうんざりしてたんだけど」

「マーロン様のことかしら? うーん……あ、そういえば彼には一人娘がいらっしゃるってお聞きしたのだわ!」

「娘だぁ? 特徴は?」

「えーっと、兎の耳が生えていて……貴方と近い年齢だってお聞きしましたわ。演劇部と魔術研究部を掛け持ちしていて……」


「あーわーっかったーぁ!! 演劇部ねー演劇部!! ってことはラディウスの同級生か!! そうかそうかふーん!!」

「ちょっと、一人で納得していないでほしいのだわ! 私にも分かりやすいようにお話しなさい!」

「却下。テメエはキャンディでも齧ってろチビ」

「かーっ! チビですって!! それだけは言われたくないのだわー!!」








<帝国暦1057年 8月6日

 朝方に行われたタンザナイア市街での戦闘の様子>






「いたぞぉ!! 帝国兵だ!!」

「……」


「俺達の自由を邪魔しやがって!! 殺せ!!」

「――」


「全てはクロンダインの栄光に!! うおおおおおお!!」

「……」






「……ごめんなさい」




 ギャッ――








「はぁ……はぁ」

「お疲れレーラ。流石は歴戦の魔法戦士。私の封印されし緋色の凛眼マスカレイド・アイを解放するまでもなかったわね」

「……」


「冗談はそこまでにしなさんナ、ユンネ嬢」

「貴方も来たのね、鋼の雨を掻い潜る斥候デューイ殿」

「はいはわかったわかっタ。にしてもレーラサンよォ、何だかこの戦いでかなり精神やられてるみたいだけド、あれかナ? 昔の記憶がフラッシュバックしてるとか、そんなカンジ?」


「……そう。そうかも、ね……」

「……うーむ。私の中でのレーラは、戦場に咲く気高い青いスイートピーみたいなイメージだったのだけれど。何だかどんどんイメージが刷進されていくわ」

「んなこたーどーでもイーからサ、気を病んだなら一時撤退に限るゼ。幸い我が軍はたーっぷり動員されていル。オイラ達が撤退してモ、どんどん代わりは投入されていク」

「やめてよ……その言い方……」

「おっとォーすまんすまン。では帰……」




 ろうとしたが、ここで戦況は大きな分岐点を迎える。






「……ん?」

「何の音?」

「ジシン? こんな時に?」




「……横揺れじゃなくて縦揺れね。地中より何かが突き上げてきている」

「そしt強い上に長いわね……」

「……あっちダ」

「え?」




 デューイが指を差した方向を、周囲にいた誰もが見つめていた。


 その先にあったのは、尖塔が特徴的な建物――クロンダイン王城。しかし皆揃って、その威風に感心しているわけではない。






「……!? 何だ、あれは……?」

「城よりも大きい……? どういうことなの?」

「……団長が心配ダ。オイラ、行ってくル」

「ちょっと、無茶はしないでよね!?」








<帝国暦1057年 8月6日

 クロンダイン王城にて>






「全員、防御姿勢を取れ!!」




       グオオオオオオオオオオ……




「くっ……地鳴りが収まらないな……」

「あっひゃア。こりゃあ酷い。城がどんどん崩れていくねエ」




「デューイ!? お前何でわざわざ……」

「んなもん団長が心配だからだロ。一体何が起こったのか説明してくんネ?」




「……つい先程、俺達はここに入城した。反乱軍が終結に同意してくれた今、残るは王国軍の制圧だけだからだ」

「エ? 同意したのかあの迷彩共」

「民が疲弊していく様を見て、ようやく目を覚ましてくれてな……だが王国軍は我々を殲滅するまでは止まるつもりは一切ないらしい」




        グオオオオオオオオオ……!




「まあ自分の国をこんなにしっちゃかめっちゃかにされちゃあなア。デ?」

「王国軍の指揮官……ダイアー王子は玉座の間に籠っていてな……俺達が扉を開けた瞬間には、複数の魔術師と主に魔法陣を構築していた」

「その結果がこれト。化物を呼び出す魔法陣だったのカ?」

「どうやらそのよう――」




       ガアアアアアア!!






「「!!」」 





「……何だ今ノ。一撃で城の二階部分ガ……」

「……」




「……」

「……」




     (……象?)








 きっと其れには、片時も目を離せない戦場であっても、


 周囲からの視線を惹き付けて、絶対に逃がさない何かがあるのだろう。




 誰もが空を見上げて、かの姿を目撃した。薄い身体であっても、確かに存在していたことを認識していた。








「……オイ団長」

「……?」


「化物……様子がおかしくねえカ?」

「……ん?」




 ガアアアアアアア……




       グッ……ウルルゥ……




               ガァ……ガァ……




「これは、咆哮というよりハ……悶絶じゃネ?」

「……」




 彼ら二人のような歴戦の強者は、


 稲妻が迸るように勘付く――






「――ッ! 来ル!!」「総員、目を覆い隠せ!!!」

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