第218話 獣人貴族・黒猫

「うおおおおお! ヴィクトールはどこだああああ!!」



 走る走るアルベルト、流れる汗を全力で拭いながら。暦はとっくに六月に突入し、そろそろ暑くなってくる頃合い。加えて彼は狐の獣人なので、毛皮の比重が重い身体特製上汗の量が平均の二倍ぐらいはある。



「ぬおおおおお……!! ってあれ?」



 彼が意識を取り戻したのは、周囲に高級そうな天幕が並んでいたのに気付いたからだった。



「え……何これ……貴族の天幕か?」




「……もしかして、ここは貴族の区画か? ていうか俺、今回の地図もらってねーじゃん!!」



 頭を抱え、項垂れる。尻尾も落ち込んで地面にくっつく。



「うおおおおおお!!! 俺はどうすればいいんだああああ!!!」

「なーに叫んでいるんだい」




 ぽんぽんとアルベルトの肩を叩いてきたのは、呆れた顔をしている黒猫の獣人の女性だった。




「……」

「……」

「……」

「……」





「……キャサリン様ァ!?!?」

「気付くの遅くない? 仮にもボク、ターナ家の当主だよ?」

「ももももも申し訳ございませんっ!!!」



 伝家の宝刀九十度直角お辞儀が発動。グギィと嫌な音がした。



「……今腰やったでしょ」

「あ゛っ、だだだだだっ……!!」

「まあそうさせてしまったのはボクの責任でもある。ちょっと失礼」

「えっそんな申し訳なあだあああああああ!!!!!」



 手刀を一発腰に当てる。折れ曲がったままだった彼の腰は、すぐさま零度直線に元通り。



「あ、ありがとうございます!!」

「うむよろしい。では本題に入ろうか……おっとぉ」




 キャサリンはアルベルトの鎧、特に紋章を注視した。




「ああ、グレイスウィルの鎧……ということは君、アルベルト君か」

「ご存知なんですか?」

「ザイカ自治区から出世したすっごい狐。ボクの耳にも届いているよ」

「お耳に入れられまして感謝いたします!!」

「……多分普段のキミってそんなキャラじゃないよね。まあいいや。じゃあ本題に入ろう、何でここにいるの?」



 カシューナッツを口に入れながら、キャサリンは話を続ける。



「いやですね、ヴィクトールという生徒を探していたらここにいまして。今自分がいる場所もはっきりと把握していない状況であります!!」

「何だそれ……騎士として致命的じゃん。今回の警備兵でしょ?」

「紆余曲折ありまして、先程ここに到着したばかりなのです!」


「あっそう……細かいことは他の騎士に直接訊くか。ボク領主だしいけるでしょ。えーっと生徒の天幕区は……ここを西に行った西門を出て真っ直ぐ。探してるのが生徒なら、まあそこにいるでしょ」

「情報ご提供いただき感謝いたします!!」

「猫は気まぐれだからこれぐらいするのさ~。んじゃお達者で」

「失礼します!!」



 また駆け出していくアルベルトだった。





「はぁ……慌ただしかったな」


「そんなあいつがアルゴルの一人息子……」



 キャサリンの脳裏には、先程の騎士をいぶし銀にしたような風貌の、狐の獣人が思い浮かぶ。



「……ごめんねえ。ボクは彼を止められなかった」


「あいつが影にのめり込んでいくのを……知っていながら……」





「……ん?」



 物思いに耽る彼女の前に現れた、一匹の鼠。特徴的なのは頭巾を被っていて、隠密行動でもしそうな雰囲気であることだ。



「……グレッザか。いつもご苦労様。全く、アイツも用心しすぎだっての」



 彼が持っていた手紙を回収して読み上げる。



「……例の連中の影。しわがれた老人に、生気のない眼の女……」


「ふうん……」




 くしゃくしゃに丸め込み、ポケットに突っ込んで彼女はどこかに赴く。







「……ふぅ」



 ここ最近は一年一組の天幕に、無理矢理収容される時間が多くなっている。



「……」



 お陰で少々腰が痛い。今も気分転換に外に出て、顔を洗っていた所だ。





「……ん」

「お、ヴィクトール」

「外に出てたのか! お疲れだぜ!」




 身体をほぐしていた所に、声をかけてきたのはルシュドとクラリア。


 どちらも長いタオルを首からかけていて、汗を拭った痕跡が残っている。




「アタシ達素振りしてたんだー。やっぱり身体を動かすのが性に合ってるぜ!」

「ヴィクトール、凄い。頭、使う、いっぱい。おれ、無理」

「……」




 眼鏡を押し上げてから、その場を後にしようとする。




 お互いに、今この場で言うことなんてないはずだったが。




「……そうだ! ヴィクトール!」

「……」


「アタシはな、お前の忠犬だ! いや、忠狼だ!」

「……何だと?」



 突然の宣言に、立ち止まり振り向く。



「アタシは馬鹿だから考えることは得意じゃねえんだ。でも戦うことなら得意だ! どんな無茶な命令でもこなしてみせるから、ガンガン頼ってくれ!」

「……」



「あとな、アタシは直感で動くんだ! あのウィルバートとかいう奴に対してもそうだ! アタシはあいつを許せねえ! ずっとその気持ちでいる! あいつをぶちのめすつもりでいる!」

「……貴様」



「だから……アタシの気持ちは以上だ! 会う度に別のこと考えてて忘れちまってたけど、今は覚えていたから、伝えておいたぜ! 伝えたからな!」

「……」



 自分から彼女に言いたいことはないので、今度こそ立ち去ろうとする。





「ヴィクトール、おれも!」



 だがそれは許されなかった。





「おれ、話、聞いた! ヴィクトール、馬鹿、された! おれも、馬鹿、された! だから……気持ち、わかる! 悔しい!!」

「……」


「おれ、見返す、したい! ヴィクトール、見返す、したい! きっと、そうだ!!」

「……!」


「だから、おれ、頑張る! ヴィクトール、見返す、できる……ように! 頑張る!!」




「……貴様……」

「おれ、気持ち、伝えた! だから……えーと……ばいばい!」




 それからは何も言うことなく、ただ手を振っているだけの二人。




「……」


「貴様等……」


「本当に……俺の周囲には、何故あのような奴ばかり……」




 それだけを呟いて天幕に戻っていく。






「ヴィクトールはここかー!!」

「ぎゃーっ!?!?!?」




 生徒の天幕区にやっと到着したアルベルトが開け放ったのは、偶然にもアーサー達の天幕であった。




「……ってええ!? アルベルトさん!?」

「ん、お前は……イザーク!! アーサーも一緒か!!」

「お、おはようございます」

「おはよう! でも多分十時は回っていると思うぞ!」


「いやそれよりも! いたんですかここに!?」

「ついさっき到着した!」

「あの……ヴィクトールに用があるんですか?」

「おおそうだ! そいつはどこにいる!?」

「……」




 アルベルトを怪訝そうに見つめる生徒が、彼の後ろに立っていた。イザークはその生徒を指差す。




「えーと……ヴィクトールはアイツです」

「そうか! おーいお前、俺から言いたいことがだな!」

「その前に、何を言いたいのかオレ達に聞かせてください」



 何となく予想がついていたからこその質問である。



「言うことなんて一つだよ。あいつ、魔術大麻を持ち込もうとしたんだろ? そんなんはぁーいけない! 絶対に良くない! だから俺が説教をだな!」

「……何だ、そんなことですか」

「そんなこととは何だ!?」

「それについてはもう十分に反省したから、大丈夫って意味です」

「むぅ?」




 アルベルトが後ろを振り向くと、生徒の数がたった数秒で増えていた。


 ヴィクトールの側に、近くに居た生徒達が続々と集まってきたのだ。




 いくらかの生徒は、腕に橙色の腕章をつけている。生徒会役員であることの証明だ。




「あれからコイツすっごい反省して。今はこうして皆で策を練ってるんすよ」

「そう……なのか?」

「そうだよなぁ? ボク達皆で協力して、あんのケルヴィンのいけ好かない生徒会長をぶっ潰そうとしてるんだよなぁ?」

「……」




 表情こそ真顔だったが、少しだけ頷くヴィクトール。





「……」


「……」




「……そうか!! それならお兄さんは安心したぞ!!」




 大勢の生徒達を前に、がっはっはと笑うアルベルト。




「……お兄さん? んん?」

「文句あっかお~ん!?」

「何かテンション空回ってないですか、アルベルトさん」

「そうかぁ!? そうかもなぁ、なんつったって急に予定がいい方向に返上したからなぁ!」

「確かに、騎士の皆さんの中にいませんでしたよね。ついさっき到着したって言ってたし」

「んで、お兄さんにできることは――」




 周囲の生徒達を見回す。



 訓練の相手になると声を上げる前に――




「……アルベルトさん」

「ん? おお、お前は……ルシュド!」

「は、はい。久しぶり、です」



 真っ先に彼はおずおずと声をかけてきたのだった。



「おれ、訓練したい。その……えっと……イザーク……」

「あー、向こうに行っても大丈夫だぞ? オマエは皆が言ってる内容とか、よくわかんないだろうしな。きっと身体動かしている方が性にあってるっしょ」

「……うん」


「そんな申し訳そうにすんなって! オマエでもわかりやすいように、ばーっちり考えてやっからよ!」

「……うん。おれ、頑張る」



 イザークのあっけらかんな物言いに、ルシュドは若干胸を張れたようだ。



「よーし……演習場はどっちだ?」

「ここから北東。ルシュドはわかってるんで、案内してもらってください」

「わ、わかった。こっち、です」



「んじゃあお前ら、ラストの試合頑張れよ! お兄さん期待してるわ!」

「あの、アルベルトさんはお兄さんというよりおじさんでは「さー行くぞールシュドー!!」

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