第195話 キアラ

「うーん……」



 放課後のホームルームが始まる少し前。ルシュドは教室に置かれているフラッグライトの前に立って、思索に耽っていた。



「おれ、やること、いっぱい……」

「どうされましたかぁ?」

「わわっ……」



「先生。おれ、やること、いっぱい。だから、悩んでる……」

「ふうむ。どんなことで悩んでいるのか、お聞かせ願えますかなぁ」

「えっと……」



 戦っている時に周囲を見回せないこと、しかしそればかりに気を取られてしまって、自分の戦いができなくなってしまうことがあること。



 ルシュドが担任のミーガンにそのことを話すと、彼はふうむと唸って腕を組む。



「……おれ、可哀想だって」

「ん?」

「前、おれ、可哀想、言われた……おれ、可哀想、言われる、嫌だ。だから……」


「……それはどの時に、誰から言われたんですかぁ?」

「昨日、訓練、してた、言ったの、友達……」

「……成程」




 ミーガンは教師として、生徒の悩みに真剣に向き合う。彼は真面目な生徒に対しては、真摯な態度で接するのである。




「……ルシュド君。私は一年生の頃から君を見ていたわけですがぁ」

「は、はい」

「どうにも君は、真面目且つ純粋過ぎるきらいがあるようですねぇ」

「真面目……純粋?」

「ええ。自分に投げかけられた言葉を、文面通りに捉えて受け止めようとする。それ自体は悪いことではないのですけどぉ、人間ってそれをやり過ぎると疲れてしまう生き物なんですねぇ」

「……」



「今の君の課題はぁ、自分に必要な言葉だけを聞く力といった所でしょうかぁ。応援する言葉だけ受け止めていればぁ、自然と力は沸いてきますよぉ。それと……」

「……?」



「もしかしたらそのお友達はぁ、何か別の意図があって可哀想と言ったのかもしれませぇん。或いは咄嗟に出てきた表現という可能性もありまぁす。なので一度訊いてみることをお勧めしますよぉ」

「訊いてみる……」



 そこでミーガンは話を切り上げ、教卓に向かう。



「さあ、ホームルームを行いますよぉ。君も席に着いてくださぁい」






 程なくして、ホームルーム終了後。



 すぐさまルシュドは二年三組の教室に向かい、ハンスを呼び出して一緒に演習場に向かう。その道中で早速切り出す。






「……あ~、昨日の話?」

「うん……」


「そっか……きっと試合に夢中で、可哀想って所しか聞こえなかったんだね」

「……?」


「いやさ、エリスとリーシャと他の騎士共がうるさくてさ……それで勇姿を見てもらえてないきみが可哀想だなって」

「……そう、だった?」

「ああうん、そうなんだよ」




 事実は知れた。これで会話が終わるかと思いきや、ルシュドは続けたい気分になった。




「……おれ、竜族。牙、爪、角、鱗、ないけど……竜族」

「……知ってる」



「おれ、何もない。だから、皆、言う。おれ、可哀想。皆、そればっかり、言う……」

「……」



「おれ、強く、なりたい。可哀想、言われる、嫌だ。可哀想、言われる、情けない……皆、認める、ない……」

「……そう」



「……ごめん。何かごめんな」

「……」





 気まずい空気。それも演習場に足が差しかかった時、一変する。





「……ルシュド先輩!」

「……ん?」

「あ……」



 入り口の茂みから、がさがさと姿を見せる女子生徒。ルシュドは彼女に見覚えがあった。



「キアラ……こんにちは」

「知り合い?」

「料理部、一緒、一年生。キアラ、こっち、ハンス。おれ、友達」

「ハンス先輩……よろしくお願いします。わ、私はルシュド先輩にお世話になっている、キアラです。ナイトメアはサラマンダーのシャラ……」



 ポニーテールからシャラが出てきて、舌をちょろちょろ出して挨拶する様も、すっかり見慣れた光景だ。しかしハンスはそうでもない。



「……」

「あ……あの、ハンス先輩……?」

「落ち着け、ハンス。シャラ、挨拶、こんにちは。悪いこと、思って、ない」

「……くそがよ」



 ハンスが唾を吐く様を見て、キアラは慄いてしまう。



「キアラ。ハンス、いい人。大丈夫」

「……はい」


「……んで? ルシュドに何か用があるんだろ?」

「あっ……そ、そのっ、これっ」




 キアラは持っていた籠を差し出す。



 中には市松模様のクッキーが山のように。しかし丁寧な四角に焼き上がっている物はほとんどなく、歪な形のものや色が綺麗に分かれていないものが多い。




「……先輩、訓練頑張ってるって聞いて。その、まだまだ下手ですけど……頑張って、ほしくて……」

「……おれに?」

「は、はいっ! 先輩のために、作ってきました!」



 キアラの純朴な姿に、ルシュドは目を丸くする。



「あ……」

「……お気に、召しませんでしたか? 迷惑でしたか……?」

「……いや! 全然! おれ、嬉しい!」

「先輩……!」





 この空気に耐え兼ねたのか、突然ハンスが足音を立てて歩き出す。





「わわっ、ハンス……?」

「えっ、な、何で私まで……!?」



「……つっまんねえんだよ……くそが……」



 二人の間に割って入り、二人を拘束しながら、演習場をずいずい進む。






「ふぃ~! メーチェお疲れ~! 今日もいい汗かいてるな!」

「……」



「あれ? メーチェどうした?」

「我が主は直近に行われた筋肉トレーニングの疲労が蓄積して、現在放心状態にある」

「何だって!? そいつは大変だ! デネボラァ!!」

「あいよ!!」



「ちょっ、おまっ、水かけてくるなあああああ!!」

「目が覚めたな。これでトレーニングを続行できる」




 びっしょり濡れたメルセデスの側に、ぽんと置かれる形で放置されている手鏡マレウス。


 隣にいたルドベックが巻き込まれているが、アデルとメルセデスはともかくルドベック本人が気付いていない。そこにキアラがやってきてきょとんとする。




「……あの、ルド君?」

「む、キアラか。どうしたんだ、そんなに目を丸くして」

「えっと……その、びしょびしょだったから。汗?」

「ん……? こんなに汗をかいた記憶がないのだが」

「あっキアちゃん! こんなむっさい所にどうしたの!?」



 メルセデスが首を伸ばし、釣られてアデルも首を伸ばす。



「メーチェの友達か! 初めまして、オレはアデル!! 将来グレイスウィル騎士になる男だ!!!」

「そ、そうなんだ……?」


「やめろアデル、テメエの熱さでキアラが火傷しちまう!!!」

「えっと……これからよろしくね……」



 そこまで言うとキアラははっとしたかのように口に手を当てる。



「あ、そうだ……私、ルシュド先輩の所に行かなきゃ」

「ルシュド先輩だぁ~?」

「うん。そ、その……こっち連れてこられた後に、訓練見ていっていいって、言われて……」

「じゃあ私も行くよ~! マレウスもアデルもそれでいいでしょ!?」

「御意」

「オレは構わないぜ!!」

「俺もお供しよう。先輩の動きから何か学ぶことがあるだろうからな」







(自分にとって、良いと思うことだけを……)



 ハンスやミーガンの言葉を頭の中で反芻する。



(気の迷いは、隙を生み出す……)



 頭を動かしながら、身体も動かす。言われたことをよく意識しながら。





「どうした! 力が籠ってないぞ!」

「はいっ!」




 思考に気を取られていると、シャゼムの声が引き戻しにくる。かれこれ二週間程度、彼にはずっと世話になってきた。



 それに応える意味合いも含めて――




「――おらぁっ!」



 身体に流れる炎の力を、


 脚に集中させて、蹴り上げる――





「――ッ!!」



 大盾を構えていたシャゼムが、地面に足をつけたまま後ろに飛ばされる。獣人特有の体格と力で何とか踏ん張った形だ。





「……ふう」



 渾身の一撃を決めたルシュドは、涼しい顔をして一息つく。しかしそれも一瞬で、すかさず構えを取る。



「……ふむ。手の火傷がちょっときついかな? 休憩するぞ!」

「は、はい!」



 シャゼムに返事をしてから構えを解き、長椅子に戻る。






「先輩……お疲れ様です!」



 手応えを感じている彼を出迎えたのは、小さな拍手であった。



「ルシュド先輩!! かっこよかったっす!!」

「……お見事でした」

「すっごく凄くて、凄かったです!!」

「語彙力」

「黙れ」




 キアラ、アデル、ルドベック、そしてマレウスを叩き付けているメルセデス。


 後輩達に出迎えられて、ルシュドは頭を掻く。




「よかったなあルシュド、お前褒められてるぞ~?」

「うう……そんな……」

「謙遜すんな、俺も凄いと思ってるから。いつの間に火を操れるようになっちまって……さっきは脚だったけど、それ以外もいけるのか?」


「えっと、殴る、いけます。ファイアパンチ」

「うひょーかっけえ! 二年生でそんな芸当できるって、頑張ったなあ本当に!」

「……おれ、頑張った、ました」



 ルシュドはハンスの方を見つめるが、当の本人は恥ずかしそうに顔を背けて、キアラのクッキーを齧っている。



「どうする? この後もやるか?」

「えっと……あと、一人、頑張る。ます。先輩、訓練、どうぞ」

「んじゃあ……お言葉に甘えて。お前らも訓練戻れよー?」

「オレ、シャゼム先輩にも稽古つけてもらいたいっすー!!」

「嬉しいこと言ってくれるじゃないかアデル~!」



 一気に駆け寄り右腕でアデルをわしわし撫でる。ついでに左手でメルセデスの耳を掴む。



「ちょっ、まっ、耳はだめえええええ!!」

「おっとすまん! お詫びとしてメルセデスにも稽古をつけてやろう!」

「え゛っ」

「サボタージュの時間はこうしてあっさりと終わった」


「シャゼム先輩、俺も一緒にいいですか?」

「いいぞいいぞルドベックぅ! 皆で一緒に強くなろうな!」

「……ぞんべらばっちょぉ~……」



 アデル、メルセデス、ルドベックの三人はシャゼムの後ろに続く。




 その場に残された一年生はキアラだけになった。



「……その」

「……はい?」

「おれ、頑張る、できた……きっと、クッキー、おかげ」

「……!」

「あ、ありがとう……」



 先程炎を脚に纏わせていた時よりも、今の方が身体が熱い。






「――そう!!! そうだよ!!! それでいいんだよ!!!」




 火照った身体を覚ますような、風の如き言葉であった。




「……ハンス?」

「きみさあ!! 応援してくれる人、いっぱいいるんだからさあ!! その……後ろ向きな言葉なんて無視しちゃって、そういう人達の言葉にだけ耳を傾ければいいと思うよ!!」

「……」




「――クッキー食べたよ!!! じゃあね!!!」




 呆然とするルシュドとキアラの隣を、ハンスはすごすごと帰っていく。






「……お礼、でしょうか?」

「お礼。そう思う。ハンス、いい人」

「そうなんですね」

「うん。だって……」



「訓練、頑張る、できた。ハンス、おかげ……おれ、感謝、してる」

「先輩……」




 周囲には二人しかいない。いいムードになってきたと思いきや――




「……!! 違う!!」

「え?」

「え、えっと、ハンス、おかげ、本当。でも、キアラ、おかげ、本当……!」

「……え?」



「ああああ……! ジャバウォック!」

「知ーらーねー。自分の口で言えや」

「え、ええええ!?」




 空に向かって飛んでいくジャバウォック。そこから近くの木陰に隠れたのだが、ルシュドには見えていない。




「その……大丈夫ですよ」

「うっ!?」

「先輩、さっき私のおかげで訓練頑張れたってこと、気にしてるんですよね。でもハンス先輩のおかげで頑張れたってことも事実で……あれ? 結局どういうことなんでしょう?」

「お、おれ……」



「うふふ……」

「ねえシャラ、笑ってないで考えてよ……」

「自分で考えなさいな」

「えっ……!?」




 キアラの身体を伝って、シャラが地面に降りる。それから彼女もまた、茂みに向かって隠れていった。




「せ、先輩……!? そ、その、けけけ結局どういう意味なんでしょうか!?」

「えっと、おれ、おれ……!!」




(……仲睦まじいなあ)

(本当にねぇ)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る