第179話 幕間:シルヴァの砂漠紀行
「お客様、失礼いたします」
「……どうしましたか」
「あちらのお客様からでございます」
「……ほう?」
傭兵ジョシュは渡されたグラスを傾け、それがやってきた方向を見遣る。
そこにいたのは銀色のロングヘアーを持つ男性。顔の中央で二つに分け、悠然と流している。中央の前髪を少し残して上げている、所謂インテークヘアー。細い顔つきを髪が浮き上がらせている。
そんな彼はジョシュの視線に気付くと、手を挙げて返事の代わりにする。
そして剣を背中に担いだ、二足歩行で赤毛の子狼を連れて、ジョシュの隣にやってきた。
「……『ヴァルハラミッドナイト』。この店で最も高いカクテルじゃないか」
「これなら私の頼みも断れないだろう?」
「俺は疲れてるんだ。面倒臭い頼みは聞きたくねえ」
「何、その心配には及ばないよん。単に私の話し相手になってほしいだけ」
「……」
ベージュのコートを着て、ボタンは全てかけられている。僅かにきらきら輝く質感からは、滅多にお目にかかれないカシミヤ製であることが窺える。腰回りには黒いベルトを締め、鎖状のアクセサリーを吊り下げていた。
「……お兄さん、商人の息子か何かか? 着ている物も高いみたいし、作法も俺なんかと比べて丁寧だ」
「まあ、一応それに値する身分ではある」
「へえ……んで、そんなお坊ちゃまがこんな辺境に何用だ」
「私は家にいるのがそんなに好きではないのでね。時々ふらりと長期の旅行に出るんだ」
「ふうん……」
カクテルを半分程飲み、ジョシュは徐にクロスボウを手に取る。
「ナイトメアか?」
「ああ。時々コミュニケーションも兼ねて、俺が手入れしてやってるんだ」
「ほう、それはいいな。よーし私毛繕い頑張っちゃうぞー」
「……いい。やめろ。気色悪い」
「罵倒の三段構えとはお見事」
子狼は恥ずかしそうに顔を横に振り、男性の身体に戻っていく。
「そちらのナイトメアも、実に可愛いらしい狼ちゃんだこと」
「こんな見た目とは裏腹に、剣の腕は素晴らしいぞ。やってみるか?」
「いんや、遠慮しておく。何分酔いが回ってきているんでなあ」
「フッ、それもそうか」
カランと音を鳴らし、店の扉が開く。
「う……うう……」
だが入ってきた人間は、客と呼ぶにはあまりにも無残な姿をしていた。
「……っ! おい兄さん、大丈夫か!?」
「わっ、私は……げほぉっ!!」
腹と胸から血を流し、顔はすっかり青褪めている。扉を開くとそのまま倒れ込み、咳き込みと同時に多量の血を吐いた。
「……こいつは酷い。誰か、カウンターの裏に治療の魔法具があるから取ってきてくれないか!?」
「わかった!」
数人の客が、倒れている彼を介抱するべく動き回る。しかし二人は入り口から離れた奥の席にいたので、立ち上がることなく様子を見ていた。
「……君は彼をどう見る?」
「もう長くは持たねえだろうなあ」
残ったカクテルをマドラーでかき混ぜながら、二人は入り口からの音に耳を傾ける。
「こ、この先で……私のキャラバンが、賊に……」
「賊だと……?」
「が、外套の、右肩に……獅子の、紋章が……」
「……! タキトス盗賊団か! あんにゃろう……」
「……へえ、タキトスに遭っちまったのかい。そりゃあ運が無かったな」
「知っているのか?」
「そりゃあ傭兵や商人の間では有名な連中よ。あんたも知ってるはずだ……目を着けた者の全てを悉く奪い、非道の限りを尽くす」
「しかも厄介なことに、こいつらイングレンス中にネットワークを構築していてな。堅牢に守備を固めていても的確に弱点を突いてきやがる。オーガに戦斧、盗賊に情報さ」
「……改めて情報を並べられると厄介って思っちゃうなあ」
ジョシュと話していた男性はそう言いながら、立ち上がって騒然としている入り口に向かう。
「失礼。キャラバンが賊に襲われたと、そう言ったよね」
「え、ええ……」
「……その方角と、できれば距離を教えてもらえないかな?」
「……!! まさか兄さん、あいつらを倒しに行くのか!?」
「冗談じゃねえ! あいつらは只の盗賊じゃないんだ、返り討ちに遭うかもしれねえんだぞ!」
「それでも、やられっぱなしというわけにはいかないだろう?」
「……」
倒れている男は蚊の鳴くような声で、口元に耳を近付けた男性に耳打ちをする。
そして情報を得た男性は、彼が事切れた後に、ジョシュが後ろに立っていることに気付いた。
「……行くんだろ? それなら俺もお供してやるよ」
「……酔っているんじゃ?」
「あんたの背中を見ていたらそんなん覚めちまったよ。これでも一端の傭兵だ、連れていって損はないぜ?」
「おっほ、大変心強い」
男は立ち上がり、ジョシュを見つめたまま隣にいた店主に金貨を三枚握らせる。
「急いでいるので釣銭は不用だ。ここの酒は中々美味だった……また立ち寄る機会があれば、よろしく頼むよ」
砂塵が舞う外に出つつ、ジョシュに声をかける。
「私はシルヴァだ。さっきの子狼はカルファ。君は?」
「ジョシュだ。姓は無い。ナイトメアはゴウというんだ」
「よろしくな、ジョシュ、ゴウ。では行くぞ」
「ああ。道案内は頼むぜ、シルヴァ、ロウファ」
エレナージュ王国の領土の大半を占める砂漠は、大きく二つに分かれている。
片方はラース砂漠、国の南半分を覆う神秘と過酷に包まれた地。もう片方はキール砂漠、国の北半分を覆う人と魔物が行き交う地。
現在二人が進んでいるのは後者のキール砂漠、キャラバンが通るために整備された道に沿って歩いていた。
「……先程の店から東、道なりに七百メートル。この辺りのはずだが」
「数十分と経っているから、移動しているかもしれねえな」
「ならばどこに……っ」
先を歩いていたシルヴァは足を止め、手を伸ばしてジョシュを制する。
「……話し声だ。近くにいる」
「どれどれ……」
「いやあ~マッシュの兄貴! 先程の技、お見事でした!」
唾を飛ばす音が混じった声で、毛皮を加工したベストを羽織った盗賊は媚びへつらう。
「へっまだ褒めるには早いよ。獲物はまだ残っているじゃないか。勝ったと気が緩んだ瞬間に何か起こるもんなんだぜ?」
「……!」
「そうでございましたな! おいゴラァ! さっさと残りの積み荷を降ろせぇ!!」
「……」
数人の賊に捲し立てられて、フードが着いた外套を深く被った男性は荷車の積み荷を降ろしていく。
「牛乳、チーズ、その他発酵食品……そんな中に混じって
「……」
「ほらさっさと降ろせよ。そいつも全部纏めて頂いてやるから。無駄にはしてやんねえよ?」
「……」
そうして最も厳重な箱に入った積荷を、地面に置いた時――
「――砂漠の空からこんにちはーっ」
二本の剣閃が、盗賊達の頭上を駆けた。
「なっ、なんだぁ!?」
「敵襲だ!! こいつは……何者だ!?」
「通りすがりのスコーティオ弟でございますよっと」
シルヴァは地面に着地すると、すかさず剣峰を後ろに回す。
直撃した盗賊の一人が、そのまま前に倒れ込んだ。
「よぅし」
シルヴァは来た道に向かって親指を上げる。
「……オッケー!」
それを受けて後方で待機していたジョシュは、動く物体に向かって次々と矢を放つ。
粗雑に見えるが的確に射抜く。彼の普段からの仕事ぶりが窺えるというものだ。
「カルファー、とにかく賊共を倒していってくれい。手段は問わない」
「何だよ、おれの手段は剣しかないの知ってるくせに!」
悪態をつきながらもナイトメア・カルファは剣を振り降ろし、次々と盗賊達を斬っていく。
両手で持ち、体重をかけ、自分よりも遥かに大きい剣を器用に操る。
彼を子狼と侮った者から、彼の剣の錆と化す。
「……スコーティオ? てめえマジで言ってる?」
へらへらとした神経を逆撫でるような声の方向を振り向くと、青髪に縦長の顔の男が曲剣を右手にシルヴァを睨み付けていた。
「うむ、マジマジ大マジ。あの陰険なセーヴァの弟。特に証明できるものを持ってるわけではないけれどぉっ」
素早く目の前に迫ってきたその男、マッシュの剣閃を後ろに飛び退いて回避。
シルヴァが着地した衝撃で砂が少し飛び散った。
剣を鳴らし、砂を飛ばし。時々飛び散る汗はきっとこの暑さによるもの。
シルヴァはマッシュの攻撃を剣身で受け流しながら、様子を窺う。
「……魚人? 砂漠なのに?」
「ああん? 頬の鱗見えたの? へぇ……」
「この暑さじゃ干からびて死なない? いやこっちとしては死んでほしいんだけど――」
突如シルヴァの後ろで生まれ、そして迫ってきた水球を、
すんでの所でカルファが剣で防ぐ。
「……おまえ、与太話はいい加減にしろよ!」
「会話が多いのは強者の余裕って言うだろ?」
「よく言うよ、汗だくの癖に!」
「はっはっはっはっ――
ハァッ!!」
会話の隙を突いてきたマッシュの一撃を、剣の中腹で受け止め、
そのまま力を込めて弾き飛ばす。
「ぐぅっ……!」
「言っただろ、私はスコーティオ弟だって。伊達に剣の修行は積んでいないさ」
「それに魔法でもおまえは敵わないと思うぞ。砂に埋もれたくなれば、さっさと投降しろ!」
カルファは剣先をマッシュに向けて言い放つ。
「へっ……」
「へへっ……」
「へっへっへっへっ……!!!」
「……なんだよ。気でも狂ったか?」
「いや違う、これは――!」
シルヴァは緊迫した表情で上を向く。
そこにはどす黒い雨雲が浮かんでおり――
「――
「うわあああああああっ!!」
乾いた砂漠に、暴虐が轟いた。
「……っ! シルヴァ、カルファ! 大丈夫か!?」
雷が落ち切った後、矢を仕舞ったジョシュは二人の元に駆け付ける。
彼が到着したタイミングで、カルファが砂から身体を起こす。遅れてシルヴァも起き上がり、口に入った砂を横に吐いた。
「……おれとシルヴァは大丈夫だよ。咄嗟に水の結界を張ってくれたんだ」
「魚人は水属性を操れるからな……同じ属性で打ち消したんだ」
「そうかそうか。しかし……」
ジョシュは荷車を中心にして周囲を見回す。
先程まで動いていた盗賊は、その大半が雷の影響で黒く焦げ、ただの炭化物と成り果てていた。
雷を司る神ですらも、その顔を判別できやしないだろう。
「……あの青髪の奴か。こちらからでも動きが見えた」
「奴め、仲間を犠牲にここから脱出したとは……何たる非道」
「というか盗賊やってる時点で……っておい! あいつはどうしたんだ!」
「あいつ?」
「ほら、盗賊達に脅されて積荷を降ろしていた奴!」
「ん、それなら……あそこに」
シルヴァが顎でしゃくった先には、フードの男性がうつ伏せに倒れている。
「彼にも結界をかけたんだ。まあ咄嗟すぎて我々三人が限界だったがな」
「……俺、後衛で本当に良かったわ。おーい起きろ!」
ジョシュは倒れている男性に駆け付け、容態なぞお構いなしに身体を揺らす。
「う……」
「大丈夫か兄ちゃん。タキトスに遭っちまうなんて、お前も災難だったなあ」
「……助けて、くれたの、ですか」
「ああそうだ。兄ちゃんの仲間が命からがら逃げ出してきてな。こっちで襲われているって教えてくれたんだ」
「そ、れ、は……」
男が顔を上げた瞬間、被っていたフードがほろりと外れ、中の顔が露わになる。
「君は……!」
「あ……シルヴァ、様……?」
「……知り合いか?」
「君の口は堅い?」
「仕事に悪影響を及ぼさないのであれば」
「まあどのような返答であっても、説明を簡単にするために言うんだけど。彼はクライヴ・パルズ・ロズウェリ、ロズウェリ家の嫡男だ」
「……パルズミールのトップだと?」
ジョシュは改めて彼の顔を見る。灰色の髪に頭から生えた狼の耳、実際に会うのは初めてだが、精悍とした顔付きからは良家の生まれであることが窺える。
「……どうして」
「我々には、我々の、事情が、あ……」
「こんなザマで事情とか言ってられるかよ。襲った側も襲われた側も殆ど死んで、商品も黒焦げになったんだぞ」
「……」
クライヴは目だけで周囲を見回し、そして悔しそうに拳を握った。
「さて、この後どうするか……こんな砂漠のど真ん中じゃあ、助けを呼ぶなんて無理だ」
「……じゃあこれを使うしかないか」
シルヴァは懐から球体を取り出す。それはコートの中から出た瞬間、白く輝き出した。
「瞬間移動球か。噂には聞いていたが初めて見たぞ」
「一度使ったら補充のために実家に戻らないといけないから、あまり使いたくはないんだけど……」
「ここで使わないでいつ使うんだよ? もしもの時の瞬間移動、だろ? 今はどう見てももしもの時だ」
「ああ……至極真っ当な言い分だぁ」
光球を地面に叩き付けると、魔法陣が展開される。それは風に煽られ、点滅を繰り返している。
「行き先はどうなっている?」
「リネスの南西門前。あの町なら医療設備も整っているはずだ」
「よし、じゃあ……この魔法陣の中に入ればいいんだったな? そして兄ちゃんは俺が担ぐとしよう」
「ありがたい。前線を張っていたせいで、疲労が物凄いんだ」
ジョシュに次いでカルファが魔法陣に入る。最後にシルヴァが入り、彼は呪文を唱えた。
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