第178話 カステラパンケーキ
「エプロン、三角巾、ハンカチ、布巾……よし!」
「指差し確認オッケー! 準備は万全ね!」
一つ一つ荷物を確認し、再度鞄に入れた後、ファルネアはそれを背負う。
「……うう。お料理、上手く作れるかなあ……」
「習うより慣れた方が早いって、
「うん……うん。わたし、頑張る!」
「いい返事ね! それじゃあ出発!」
「いってきまーす!」
誰もいない部屋に呼びかけてから、ファルネアとリップルは外に出る。
そしてここは調理室前。
「……」
「……あれ、アーサー君。入り口でどうしたの」
「いや……」
アーサーが親指で指した方向に、キアラも首を伸ばす。
「ふひひ……うふふ……くはははは……!!」
そこにいたのはホイップクリームのような髪型の生徒。
壁に耳を押し付け、浅黄色の瞳をぎらぎらさせながら、気色の悪い声を上げている。
「感じる、感じるぞぉっ……! リーシャ先輩の熱いエネルギーをっ……!」
「うぇっへっへっへ~!!!」
「……え、何だろうあれ。変態?」
「間違いないな」
そこにとたとた走ってくる、小さい影。
「アーサー君、キアラちゃん! おはようございまああああ?」
「駄目だファルネア。純粋な君はあれを見てはいけない」
「アーサー君、お目目も見えないしお耳も聞こえないよ……?」
「ボクがエスコートするから平気さ。さあ調理室に入ろう」
到着してから十分後、調理室の外に変態がいることも知らずに――あるいはなかったことにして、活動が始まる。
「さて皆さん……おはようございまーす!」
「ございまーす!」
「あら、そこの金髪の一年生! 大変元気がよろしい!」
「えっ……えへへっ!」
ファルネア軽く頭を掻いて微笑んでみせる。「ねえアーサー、今のファルネアちゃん可愛かった……」「落ち着けエリス」
「さて帝国暦1061年度初の料理活動、今回作っていくのは、一年生の要望を受けたこれだーっ!」
そう言うと部長は唐突に声色を変えて、
「『ふはははっ!!! 中々キレのある剣捌きだったぞグリッターシュトラウトッッッ!!!』」
「『そういう貴様もなーッグランアスリウスーッ!!! その堅き拳はッ、我が魂を震わせたッ!!!』」
「『死闘を尽くしたら腹が空いたぞ、グリッターシュトラウトッ!!!』」
「『拙者の腹の虫が鳴って騒いで仕方ないぞ、グランアスリウスッ!!!』」
「『こういう時には、甘い物を食すに限るな!!!』」
「……でお馴染みの『グランアスリウス・ウィズ・グリッターシュトラウト』第一巻から、カステラパンケーキを作っちゃいま~す!」
部長がスキレットのフライパンを見せると、わあっと歓声が小さく巻き起こる。
盛り上がる他の部員とは裏腹に、ルシュドは切羽詰まって机に突っ伏す。
「超人気絵本シリーズの偉大なる初代だな~。ウチも読んだことある!」
「私の実家にもあったな~。皆でこぞって読んでた記憶ある」
「オレは初めて聞いたぞ……」
「わたしは名前だけかな。読んだことはないよ」
「ならばウチが説明しんぜよう。グランアスリウスとグリッターシュトラウトという二人の魔人が、素敵な森の
「子供向けにしては情報量が多いな……」
「加えて料理の描写がめちゃくちゃ美味そうって特徴もある。巻末には必ず、作中で登場した料理のレシピが付属してるの」
「じゃあ親と一緒に作れるってことだね。嬉しい~」
そうこうしている間に、手前のテーブルに分けられた材料が置かれていく。
「……グラ……グリ……うーん……」
「落ち着けルシュド、もう忘れてしまえ。無理に覚えようとすんな」
「そうだ、今は料理を作るのに集中するんだ」
「……頑張る」
それでルシュドは落ち着きを取り戻し、呼吸の乱れもなくなった。
「短めの単語はある程度覚えられてきたんだがなー。文章や長ったらしい単語になるとごちゃごちゃになっちまうな」
「……うう」
「でもまだ二年生だし、これからだよ。わたし材料取りに行ってくるねー」
作り方を書いた紙も渡され、エプロンに着替えたファルネア達は意気揚々と調理に取りかかる。
「えーっとまずは……予熱? だって」
「それあたしやるよー」
同じ班の部員が魔術竈に近付き、つまみを回す。
「こんぐらいかな?」
「ありがとう!」
「こっちは卵黄と卵白に分け終えた所だよ。さて、ここからが辛抱だ」
アーサーは三つのボウルのうち、卵白が入った二つを押し出す。
「ふんわりと泡立つまでかき混ぜるんだ。かなり力が掛かるようだから、二つに分けておいたんだ」
「ありがとう! じゃあわたし、かき混ぜるのやるね!」
「じゃあもう片方は私が……」
ファルネアとキアラは、ボウルと泡立て器を受け取って混ぜ始める。
「よいしょっ、よいしょっ……」
「……」
「……はあ、はあ……」
「……ふー」
ファルネアは一回ボウルを置いて息をつく。一方のキアラも休憩したが、彼女の方がより泡立っていた。
「……キアラちゃん、すごい……」
「え、そんなことないよ。私もよくわかんないけど、何かできちゃったんだ……」
「どうして……」
「調子はどうかなー?」
「はうわっ!?」
エリスが向こうからやってきたのに驚いて、ファルネアは腰を抜かす。
「え、エリスせんぱい……!」
「どこまで行ったかなって思って。あ、今卵白泡立てていた所?」
「はい。それで腕が疲れちゃって……」
「確かに女の子には辛いかもねー。こっちは男子が二人いるから、気合で頑張ってもらったけど」
「せんぱい……」
「ん?」
「……全然、泡立ちません……」
「どれどれ~?」
エリスは二人が泡立てていたボウルを覗く。
「ははぁー、なるほどねえ」
「私は何とかできたんですけど、ファルネアちゃんが……」
「んっとねー、これってコツがいるんだよね。空気を含ませるようにっていう」
「空気?」
「ちょっと失礼」
そう言ってエリスは、
ファルネアの右手に泡立て器を持たせ、
自分は彼女の後ろに回って、ファルネアの右腕を掴む。
「はっ、はわっ……?」
「見ててね、ファルネアちゃん」
エリスはファルネアの腕を動かし、回し方の実演を行うのだった。
「ただぐるぐる回すんじゃなくて、こうやって立体的に、上に突き上げるように動かすの。空気を混ぜ込むイメージって、わかるかな?」
「……はうう……」
とは言われても現在ファルネアの脳内にあるイメージは、頭の後ろから柔らかい物を押し付けられる感触である。
しかし先輩を悲しませるわけにはいかないので、
「……わかりましたぁ……」
「うむうむ。こんな感じの動かし方でやってみてね。キアラちゃんもだよ?」
「は、はい! ありがとうございます!」
「ふふっ、元気がよろしい。それじゃあ頑張ってね~」
エリスが戻っていった所で、ファルネアは我に返る。
「……ファルネア? 大丈夫かい? こっちもうできることが終わっちゃったんだけれど」
「溶かしバターも小麦粉も準備オッケー。あとは卵白を入れて生地をふわふわにするだけなんだけど……」
「頑張る……」
「……え?」
「ファルネアは、せんぱいのために頑張る!」
「ふおおおおおーーーーっ!」
左手でボウル、右手で泡立て器。
二つの道具を手に持ち、
猛烈に、それでもかしゃかしゃと小気味よい音を鳴らして、卵白は泡立っていく。リップルは頭を抱える。
「空気をっ!! 含ませるっ!! 上にっ!! 突き上げるっ!!」
「ファルネア! 優雅なレディがそんな獣みたいな雄叫びをあげるんじゃないわよ!」
「今のっ!!! わたしはっ!!! 優雅なレディではないっ!!! 料理と向き合うっ!!! 一人の料理人なのっ!!!」
「うああああ~!! こんな姿、
「……キアラ、彼女に何かあったのかい?」
「エリス先輩が来てからあんな風に……」
「なるほど……なるほど?」
こうして賑やかに料理活動は進んでいく。そして――
「ああ、いい匂い……! もう涎が止まらないから、挨拶は簡易型! いただきまーす!」
「いただきまーす!」
部員達の目の前には、鍋に入ったままふっくらと焼かれたパンケーキが置かれる。
「ふわあ……」
「ファルネア、君が頑張って卵白をかき混ぜてくれてから、ここまでふわふわになったんだよ」
「うん……うん!」
スプーンを手にし、パンケーキをちょっとつまむ。よく焼かれた断面がお見えになる。
「いただきまー……ふわあ、美味しい……!」
「思ってたよりふわふわだ……」
「むぐ……むぐ……しかし驚いたな。まさか卵白を泡立てることで、ここまでふわふわになるなんて」
「今後の料理で使えるかな? でも泡立てるの疲れちゃったしなあ……」
「まあ、とっておきの料理の時にはいいんじゃないかな? はあ、それにしても喉が渇く……」
一方のエリス達も、自分達作ったパンケーキに舌鼓を打っていた。
「あ~うめ~。ウチ今グランアスリウスの気分だわ~」
「こんな美味しいパンケーキ食べたら、そりゃあ仲良くもなりますよね」
「んだんだ。喧嘩も悪いことではねえけんど、やっぱり平和にしていくのが一番だって」
その言葉に、アーサーは思い当たる節があったようで。
「……エリス」
「なあに?」
「一年前オレが何していたか、覚えているか」
「……えっ?」
思いがけない話題に、思わず素っ頓狂な声が漏れるエリス。
「覚えていないのか?」
「う、ううん。覚えているよ。ただアーサーから言われるなんて思ってなかっただけ」
「そうか」
「……確かアーサー、料理なんて食べられればいいって言ってたよね」
「……そうだな」
「いじめの現場に遭遇して、剣で切り込もうともしたよね」
「あ、ああ~……そんなこともあったな」
「何で目が泳いでるのよっ」
「そんなことはないぞ……」
その間にアーサーは、パンケーキを平らげてスプーンを置いた。
「お味はいかが?」
「……美味かった」
「……成長したね」
「……ありがとう」
「なーに二人でしんみりとした空気になっちゃってんのよー!」
「そうだぜウチらに混ぜ込んでやるー!」
「……混ぜ込む?」
「『グラグリ』談義! 全部で大体五十巻ある中から、どの作品が一番好きか話してた!」
「ちなみに私は第二十八巻の『ダチョウのお母さん』! これ図書館でも読めるやつなんだよ!」
「……ルシュド、悪いが食器を片付けてくれないか」
「う、うん……おれ、そっち、いい……」
こうして今年の料理部も、無事にスタートを切れたのだった。
「……ふひひ……リーシャさんの匂いと……パンケーキの匂いで……正直僕死にそう……」
「まーだいるよあの変態……」
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