三節 楽しい三学期
第139話 一年風邪
神聖な十二月も過ぎ去り、いよいよ年が明けて一月。ここまで来ると月日は翠緑深まる春を求めて、一目散に突き進む。大地が人々に与えし冬の試練は佳境を超えた所だ。
「おはよう……っと」
「ワン?」
雪が煌めくある朝。いつものようにアーサーはカヴァスと一緒に起きてきたが、リビングにエリスの姿はなかった。
「まだ寝てるのか。今日は平日だが」
「ワンワン?」
「……」
ソファーに座って数分待ってみるが、一向に来る気配はない。
「……行くか」
「ワン」
アーサーは意を決して、エリスの部屋に向かう。
「……起きているか。もう朝だぞ」
ノックをしながら声をかけるが、中から返事は返ってこない。
「今日は平日だ。このまま寝ていると、授業に遅れる」
再度同じように声をかけるが、やはり返事は聞こえない。
「……入るぞ」
三回目をしようと思い留まり、アーサーはドアノブを回して中に入る。
「……あ……」
そこで初めてエリスの声が聞こえた。
だがそれも蚊が鳴くような、痩せ細った声である。
「ごめんね……けほっ……返事、聞こえなかったね……」
「……!」
入り口から見ても理解できるが、近付くにつれてより鮮明になる。
エリスの頬は赤く染まり、目も開いているかどうかわからない。どう見ても体調が悪いのは明白だった。
「何かね……身体が熱っぽくて、喉も痛くて……薬を飲もうって思っても、何故か……筋肉痛が、酷くて……」
「……」
「……けほっ! ううっ……!」
「……っ!」
身体を起こして咳き込み出したエリスを、アーサーは抱き締めるようにして支える。
「あ……」
「横になっていろ。無理をするな」
「……あり、がと……」
「……」
アーサーの後ろでは、カヴァスがずっとその場を回り続けている。
「ワンワン! ワンッ!?」
「……そうだな、あんたは連れてこい。オレはここにいる……」
「ワオン!?」
「一人で、置いて行かれる方が……怖いだろ」
「……ワンッ!」
「おはようカタリナ!」
「おはようなのです!」
「あ……おはよう、リーシャ」
「おはようございます、リーシャ様」
「お前らー! 今日はいい天気だぞー!」
「痛みを感じるような寒さだが、それがかえって心地良いな」
「なのに朝からコイツらと遭遇して最悪の気分よ」
「おっ! クラリアとサラもおはようさん!」
百合の塔一階ロビー。多くの生徒が朝食を食べ、準備を終えて魔法学園に向かう途中。カタリナ、リーシャ、クラリア、サラの四人はそこで合流した。
「べっぶじゅん!! ううっ、さみーよ!! この寒さにはアタシのもふもふも悲鳴を上げているぜ!!」
「勢いよくするなとは言わない、だからせめて口元を手で覆ってくれ」
「はーっ……くしゅん!! もう、クラリアからもらいくしゃみしちゃった……」
「……北国出身でしょ、アナタ達。ここは世界のど真ん中にある島なのにそんなんでいいの」
「聞いた話だと、今冬で観測された中では最も強い寒波が押し寄せているらしい。今の気温はイズエルト並だ」
「確かに今日は冷えると思ったけど、そんなに……風邪ひいちゃいそう……」
四人は肌にこびりつく寒さに感想を交わし合いながら、園舎に向かっていく。
「ん……」
「どしたのカタリナ」
「何か……こっちに来るね。凄い勢いで」
「え、本当?」
そう言われて観測する間もなく、四人のすぐ真横を――
「わあっ!?」
「うおっ!?」
小柄な四足歩行の影が通り過ぎていった。
「何今の」
「塔の中に入っていったみたい……?」
「……まあワタシ達には関係ないでしょ。早く行きま「ちょ、ちょっとー!? お願いだから引っ張らないでー!?」
ロビーに入って一分程度。先程入っていった影が人を引っ張って出てきた。
白くて大層毛並みの良い犬が、白い猫耳の女性のナース服の裾を引っ張って無理矢理歩かせている。
一匹と一人は、知り合いである四人には一切目も暮れず、塔を出てどこかに向かっていった。
「……カヴァス?」
「やっぱり? カヴァスだよね、あの犬……?」
「で、連れて行かれたのはジュディ先生ね。百合の塔保健室担当の」
「ってことはアーサーに何かあったのか!? うおおおお! おおおおお!?」
「お前はこっちだクラリア。友達のことが気になるのはわかるが、先ずは自分が第一だ」
「んー……私達もそうしよっか。早く行こう!」
「ふむふむ……」
「……」
「あの……すみません、カヴァスが急に……」
「いいのいいの。立ち上がれない程だるいならしょうがない。流石に急に引っ張られたのにはびっくりしたけどね!」
「……」
ジュディは突然離れに連れてこられたが、ベッドで横になっているエリスの姿を見るや即座に検診を開始した。
「でね君、そんなじーっと見てなくてもしっかり検診するから大丈夫だよ!?」
「……ああ」
そのすぐ隣でアーサーが固唾を飲んで見守っている。飲み込むことに夢中で顔は固く強張っている。
ぎこちなく見守られていたが、そこは本職の保健室教師。慣れた手付きで診察を進めること五分後。
「……ん、これで終わり。まあ薄々感じていたけど一年風邪だねこれ」
「何だと……!?」
青筋を浮かべて迫ってきたアーサーを、ジュディは両手で制する。
「あ、一年程患うって意味じゃないよ!? グレイスウィルの一年生って、ほとんどがこの島の外からやってくるじゃん? だからこの病気に対する免疫が形成されていないんだよね」
「……成程。一年生が多く罹るから、一年風邪か」
「そういうこと。正式名称はイスパル風邪って言って、症状は高熱、吐き気、喉の痛みの他に、特有のもので筋肉痛がある。病原菌が筋繊維まで入ってくるって話だけど、詳細は絶賛研究中」
「アルブリア島の固有の病気で、グレイスウィルの国民は全員一度罹ってるか、あるいは抗体を接種しているかで患者が出ることは滅多にない。だからこそ一年生の患者が目立ってるわけだけどね」
「……」
ジュディはどこからともなく取り出した診断票に、すらすらと書き込みながら説明する。
「まあ患者数が多い病気だからね、特効薬もばっちり発明されてるのさ。今から塔の保健室に戻ってそれ持ってくるよ」
「ありがとうございます……」
「なあに、生徒のためにアレコレするのが保健教師の仕事だから」
「……オレにできることは?」
健診に使った魔法具を仕舞っているジュディに、アーサーは食い気味に訪ねる。
「おっ、積極的ぃ~。先に言っとくと、私はこの離れの事情を知ってる人間だよ。それを踏まえて言わせてもらうと、これは人間の病気だから君は絶対に感染しない。魔力生命体だからね、身体の作りが違うのさ。だから君が看病してあげるんだよ?」
「……看病」
「ご飯作ってー、喉が痛い時はお茶とか持ってきてー、水枕替えてー、後は傍にいてあげる! 普通の風邪と同じようにしてあげてね!」
「……」
「じゃあ十分ぐらいしたら薬持ってまた来るから~」
「はい、よろしくお願いします」
「うん、お大事にね」
ジュディは優しく言葉をかけた後、立ち上がり部屋を出ていく。
「……」
「……ふう。どきどきしたけど、治る病気で良かったなあ……」
安堵して再び横になるエリスを、アーサーは見遣る。
「……大丈夫」
「……ん」
「……大丈夫、だ。オレが……するからな」
「……うん」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます