第124話 夕闇に帰還
馬車と人間が飛び込んでくると即座に、鉄格子の門が降ろされる。
その後ろに続く奈落の者達も、一緒に飛び込もうとするが、
目玉から入り、脳味噌中の壁に当たってそこら中に反射する慟鳴を聞いて、一切の動きを停止する。
「――――……・・・・・・・・・・」
沈む太陽と共にその存在が消えていく。
夕闇に煌めく雪に交じって、鈍く暗く憎悪を秘めて光る、黒き力の結晶。それを大気が浄化し、全てを還していく――
「……」
「……」
「……」
「……」
「「「……」」」
「……終わったよ。だから、大丈夫」
エリスが肩を叩かれて上を向くと、ユフィが笑顔になって浮かんでいた。
「――いいいいいいいよっしゃああああああ!!! 無事に帰れたぞおおおおおおお!!!」
エマの歓声に続いて、救援作戦に当たっていた全ての人物が、その緊張を解き互いを労い合う。
「あ゛あ゛あ゛~……もうやだ……グレイスウィル帰りたい……」
「イヨーッ! ローザチャンマジでお疲れサマ! 本当に君のボイスは何時聞いてもシビれるなぁ~!」
「あっ……!?」
アルシェスはローザの姿を捉えると、エリス達を放置してそちらに向かっていった。
「……イリーナ殿。私めっちゃ頭が痛いんだ。助けて」
「うむ……」
「えっ、ちょっ、イリーナ様!?」
「女にかまける前にやることが貴殿にはあるだろう」
「ちょっ、ローブの首元を引っ張らないでえええええ!!!」
イリーナに連行されるアルシェスを見て、ようやくエリスは一息つけるようになった。
「……降りようか」
「……そうだね……」
そして馬車を降りると。
「……あ」
「……し、シスター……」
「ああ……リーシャ、ダニエル……!」
「お姉ちゃん!」
「よかった、リーシャ……お姉ちゃん……」
「ダニエル、大丈夫!?」
「ダニエル……」
「……」
寒さに息を白くしたメアリーがやってきて、リーシャとダニエルを強く抱き締める。その後ろには孤児院にいた子供達がちらほら見受けられた。
「よかった……無事でよかった……!」
「……シスター。暑いよ。嬉しいのわかったから、二人一緒に抱き締めるのはやめてよ」
「……うっ、ううっ……そうね、流石のアルーインでも暑くなっちゃうわよね……」
「だから離してってばぁ……もう、あはは」
強く抱き合う三人を優しく見守るエリスとカタリナ。そんな二人の視界に、子供達の中では比較的大柄な少年が入った。
「ん……? ねえあなた、どこに行くの? そっちは門の方だよ」
「ぎくっ!?」
「孤児院の子だよね……? なんとなく、見かけた気がする……」
「えっ……違うよ? おれは騎士さまの子供だよ? あっちに親がいるから、挨拶しようと……」
目が泳ぎ人差し指を合わせていた少年の元に、血相を変えた少女が迫ってくる。
「アントニー! どこ行くのよ!」
「あ、ちょ、ちょっとトイレに……」
「そう言って逃げるつもりでしょ! そんなのだめよ!」
女の子がアントニーと呼んだ少年をずるずると引っ張り、シスターの隣に立たせる。
「さあ、あやまって! わたしばーっちり見てたんだから。アントニーがダニエルのこと弱虫って言ってたの! それでダニエルが本気で怒って、弱虫じゃないことをしょうめいするために雪原に行ったんでしょ? だから、こうなったの全部アントニーのせいよ!」
「……何だよ! おれにばっかり押し付けて! おまえらだっていっしょになって笑っていたじゃねーか!」
「……あっ……」
「そ、それは……」
「ほら、おぼえているんだろ!? あやまるならおれといっしょにあやまれ!」
「で、でも! 言い出したのはアントニーじゃない!」
「はいはい、不毛な争いは止めて。ね?」
リーシャがメアリーから離れ、口論を続ける子供達を制する。
「……もう、いいよ」
それを見かねたのか、ダニエルが静かに口を開く。
「……たしかに、いやだったよ。みんなから弱虫って言われるの。だから見返したくて、苺の実を取りに行ったんだ。それはそうだけど……でもね、気付いたんだ」
「それで強くなれるって思っていることが、もう弱虫であることだったんだ。本当に強くなりたいなら、何を言われようと……がんばらないといけないんだって。みんなにたくさんめいわくかけて、それに気づいたんだ。めいわくをかけて強くなるなら、それはきっと正しい方法じゃない……」
「ほう、わかってんじゃねえかガキンチョ?」
馬車の裏側からひょっこりとエマが顔を出す。
「その前後に何があったか知らねえが、今回の事件は全部アンタの責任だ。アンタが出しゃばってこなければ私達が子守りをする必要もなかった。その辺は重々承知しているようだな?」
「……うん」
「あとまあ、これは言っておく。強くなるってことは迷惑をかけることだ。迷惑を掛けずに強くなれるなんてことは有り得ない」
「……じゃあ、どうすれば?」
「んなもん自分で考えろ」
「げひゃひゃひゃひゃ! 簡単です、借りた金は利子をつけて返せばいいのです」
「余計な事言うなクソオーク!!!」
「ぶひぃぃぃぃ!」
エマは隣に立っていたセオドアの頭を、中身が見えるか見えないかギリギリのハイキックで蹴り飛ばした。
「……すごい」
「え?」
「お姉ちゃん、まだこどもなのに……力強いんだね」
「……あ゛?」
「というか、もうナイトメア連れてるんだね。すごいね」
「こどもなのに、ただものじゃない……」
「――げりゃああああああああ!!!!!」
「おおっと、発狂スイッチオン」
マットとイーサンが馬車の裏から駆け付けてエマを拘束する。
「こいつらはあああああ!!! 私を侮辱したあああああ!!! 殺す理由には十分だあああああ!!!」
「いやいや殺すのは止めましょう姐者!?」
「ぼくからせつめいするね。あのね、この人は大人なんだ。すごく強くて、ぼく達を助けてくれたんだ」
「へえ。大人なの。わたし身長追いこしそうだけど」
「こんな大人もいるのかあ。あ、さかばにいっぱいいた気がするなあ」
「てめえらああああああ!!!」
「やめて姐上足を蹴り飛ばさないでー!!!」
駄々をこねるように暴れるエマを子供達は笑いながら見つめる。
しかしその最中で、ダニエルは突如何かを探すように周囲を見回す。
「……あれ? マットお兄さん、剣士さまは?」
「……おや。途中から姿が見えなくなったもので、勝手にこちらに戻ってきていると思ったら、どこにもいませんでしたか」
「じゃあ戻ってきていないの……?」
ダニエルの顔に再び不安の色が戻る。マットはそれを嗜めるように温和な声色で伝えた。
「心配いりませんよ。彼は奈落の者にも立ち向かえる戦士なのです。何処に向かっても生きていけるでしょう」
「……そっか。そうかも。でも……もう一度お話、したかったなあ」
「剣士様……ですか?」
疑問を投げかけてきたのはメアリーであった。
「うん。エリスお姉ちゃんがピンチになった時、とつぜんやってきたの。とっても強くて、かっこよくて、仮面をつけてた。何だかふしぎな人だったなあ……」
「まあ……でしたらその御方はきっと、エクスバート神の化身かもしれませんわ」
「エクスバート?」
闇属性のカタリナは、神誓呪文を通して親しみのある名前を聞き、そして首を傾げる。
「闇属性を司る偉大なる八の神々の一柱。かの御方が顕現される際には男性、或いは首無しの人間や屍などで現れますが、そのいずれも剣を握っております。どこからともなく顕現なされて、その剣技を振るって去っていく。エクスバート神はそのような御方なのです」
「そっか……言われれてみれば、そうかも。すごく強かったのも、しゃべらなかったのも。ぜーんぶかみさまだったからかなあ……」
「……私はカミサマなんてのは信じない主義なんだがよ。今回ばっかりは流石に信じるしかないっつーか……うん」
「しかしカミサマの化身となると、ますます手合わせしたかったんじゃないですか兄者?」
「いいえ、逆ですよ弟者。私はまだ神と手合わせできる程の実力が備わっていない。もっと鍛えるといいという神の御言葉を承ったのです」
「はっはっは、流石兄者は考えることが違いますなぁ!」
「ふふふ、そうと決まったら訓練のメニューを考えなくては!」
成人男性二人が笑い合う所に、とうとうエリス達の見知った顔がやってくる。
「エリス! カタリナ、リーシャ! オマエら無事か!?」
「あ、イザーク……! ルシュドも!」
「魔法陣、片付け。おれ、イザーク、遅れた。でも、無事、よかった」
「ねえごめんね、いきなりいなくなったりして!? びっくりさせちゃったね!?」
「そりゃあもう、ボク達を置いて城下町に行ったんかと戦々恐々……!」
「でも、合流。よかった」
「うん、本当にそうだね! はぁ……」
リーシャはとうとう地面にへたれ込んでしまう。
「何かもう……やだなあ……この流れで帰る準備するの……」
「おっ、じゃあもう一日追加でここにいようぜ! ボク温泉入りたいでーす!」
「でも、授業……」
「ボク達には大変心強い先生がいるだろぉ!? 生徒会所属のスッゲー頭いいお方だ!!」
「……うん! 私達にも大変心強い先生がいたわ!! 園芸部所属で眼鏡の頭いいお方!! つまり二人合わせれば無敵!!」
「よーし! イリーナさんに直談判すっぞー!」
「……」
そんな風に四人が騒いでいる中、エリスは視界に捉えた中で、、少し小高くなっている場所を見つめていた。
「ねえ。わたしちょっと用を足したくなってきちゃったな」
「ん、そう? まあ極寒だしね。関所の中にあるっぽいから行ってきなよ」
「はーい」
「くく……さっきの聞いた? エクスバート神の化身だって」
「……」
――こいつは自分から提案してきた。
「それを遣わせた僕は差し詰めマギアステル……ってとこかな、ふひひ……」
「……」
――容姿の攪乱効果。この魔法が込められている仮面を貸すことを。
「……仮面はもう受け取ったよ? もう用はないでしょ?」
「……」
――容姿を認識させず、更にその人物に会ったという記憶すらも改竄する魔法。この仮面を着用する者は、即ち正体を知られたくないという事実を有している。
「ぼかぁしばらくここにいるよ――だから大丈夫さぁ……」
「……」
つまり。
こいつは自分の正体を知っていて、それを知られないように配慮してくれたということ。
「……真面目なことを言うとさぁ」
「……?」
「今仮面を貸した理由を話した所で、君が理解できないから」
「……理解できない?」
「うん。まだ全貌は掴めてないけど、そもそも君が蘇っているって時点で、状況は君が考えている以上に複雑だよ。今の君にはそれを理解できる程の力がない。状況を見定め、何をするべきなのか考える力が、ね……」
「……」
「それはあいつにも――エリスにも関係あるのか?」
「まああるだろうねえ。君という存在が関わっている以上、何があってもあの子には無関係ではないさ。極端に言えば、君の思考及び行動が彼女の生死を左右するかもしれない」
「……ならば、早く」
「理解しようとしても多分無理だよ」
「……焦らず、ゆっくりと。今は青春楽しんでいけ? それが君にできることだ」
普段は仮面の下に隠れている瞳。今見えるそれには、どこか憂いているような感情が感じられた。
「……ていうか戻った方がいいよ。流石に皆心配して、君のこと探し回るだろうから」
「……ああ。そうさせてもらう。世話になった」
アーサーはそれを最後に、近くの小高い丘から関所を観察している氷賢者の下を去った。
「……あ」
「あ……」
関所の近くにある小高い丘。アーサーがそこから戻る道で、ばったり出くわした。
「……」
「……ふふっ……」
エリスは手を後ろに組み、アーサーに向かってにっこりと笑う。赤い髪に負けないように、彼女の顔も真っ赤になっている。寒い中必死に移動した証拠だ。
「……アーサーでしょ? あの時助けに来てくれたの」
「……」
「多分、仮面だから……氷賢者様に貸してもらったのかな?」
「……」
「……照れちゃって。顔に出てるよ」
「……なっ」
「ふふ、ちょっと可愛いね」
「……何だ」
「……」
「……」
エリスはゆっくりとアーサーの目の前まで迫ってきて――
「……えいっ」
「……っ!?」
そして、腰に両手を回して、抱き着いた。
「男の子にとってはご褒美だからね? ぎゅーっ」
「……離すつもりはないと?」
「うん。わたしもあったかいしね。むぎゅーっ」
「……」
息
頭一つ分身長が小さい。
彼女は彼の胸に顔をうずめて、そっと吐息を漏らす。
「……あの仮面には容姿を攪乱させる魔法がかかっていた」
「そうなの? でもわたしには関係ないよ」
「……何故だ」
「だって……」
「ずっと昔、けれども最近、こんなことがあったから。わたしがピンチになった時、あなたが助けに来てくれるの」
「……そうか」
白い吐息を吐く音。心臓の鼓動。優しく降る雪。安堵に満ちた互いの体温。
ただ純粋に自分を包む幸福。それらをもっと得たいと感じる本能。
全てを求めて瞳を閉じた果てに見えたのは、旅をしている桜の花びらの幻。
どうしてそのようなものが見えたのかというと――他でもない彼自身が、この状況に。生命が芽吹く恋しい春を感じていたからだ。
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