第110話 雪の朝
しんしん降りる白雪に、わいわい楽しむ騒ぎ声。
さんさん翌朝太陽に、ばたばた飛び出る急ぎ足。
氷の王国イズエルト、今日も変わらず日は昇る。
つるつる凍る湖に、ぴょんぴょん飛び乗る子供達。
じろじろ眺める少年に、ぎろりと一瞥ガキ大将。
今日も平和な雪の朝、生意気びびりも変わらずに。
「おい。おまえもこっちに来いよ」
凍った水面の上に立っていたアントニーは冷たい口ぶりで、柱の陰に向かって呼びかけた。
「……うん」
柱の陰から様子を見ていたダニエルは、温かい声で返事をしてから向かった。
「ほら、見てみろよ。みんなこっちに乗っているぜ」
アントニーは軽やかに足踏みする。
「……そうだね」
ダニエルは暗鬱そうに湖を見つめる。
「何だよ、そんな所からじゃよく見えないだろ。もっと近くに来いよ」
アントニーは目を輝かせ、二本の足で身体を飛び跳ねさせる。
「……でも……」
ダニエルは目を泳がせ、二本の足を
「あっ……!」
晴天霹靂、不覚に衝撃。湖から上がってきていた子供の一人が、こっそりと後ろに回って、ダニエルの背中を勢いよく押した。
「うわっ、ああああ……!」
つるつる滑る氷の地面、ばたばたもがく細い足。
ばくばく高鳴る心臓に、けらけら波打つ笑い声。
ぜえぜえ切らす白い息、ばしばし叩く黒い悪意。
「ハハハ! 見たかよ今の! 水に入った子犬みたいだったぜ!」
アントニーは再び湖から上がってきたダニエルを見下ろして笑う。
「……うう……」
ダニエルは立ち上がれずに、地面にへばりついたままアントニーを見上げて唇を噛む。
「だって……」
「何だよ?」
「……怖い、じゃないか……もしも氷が割れたら……」
「だぁかぁらぁ、割れねえって言ってんだろ! 余計な心配ばかりして、だから弱虫なんだよ! ハハハ……!」
くすくす、げらげら、わっはっは。
澄み渡る空に、波紋の様な笑い声。
じんじん、じわじわ、ずきんじきん。
小さく繊細な心臓に、鈍く広がる嗤い声。
アントニーは笑いすぎて涙をこぼした。
ダニエルは悔しすぎて涙をこぼした。
とりとめのない涙を、雪はそれぞれ受け止め照り返す。
「何だお前達、朝から元気だな」
年齢は十四歳程度の少年。そのはきはきとしつつも、どこか幼さが残る声を聞いて、子供達は振り向く。
「兄ちゃんおはよう。昨日は寒かったからな、湖が凍ってるって思って皆で来たんだよ」
「そうか。それはまあいいんだが、皆に大切な話がある」
少年はそこで言葉を切って、子供達全体を見遣る。
「シスターから話を聞いた。今日な、リーシャが帰ってくるんだそうだ。それも一人じゃないぞ、たくさんの友達と一緒にだ」
すると子供達は目を輝かせ、少年に飛びつく。
「ほんと!? お姉ちゃん帰ってくるの!?」
「いつ帰ってくるんだよ!?」
「お、落ち着け落ち着け。帰ってくるのはそろそろだけど、孤児院に着くのは今日の夕方だ。先に町を観光してから来るんだそうだ」
「じゃあさ、迎えに行こうよ! お姉ちゃん、久しぶりで迷子になっているかもしれないし!」
「待って、お友達も来るんでしょ? それならパーティしようよ!」
「そうだな、シスターも今日はご馳走だって言って張り切っていたぞ。だから皆も手伝っておいで」
「「「はーい!」」」
子供達は蜘蛛の子を散らしたように建物に戻っていく。
ただ一人取り残されたダニエルに、少年は声をかける。
「ダニエル。大丈夫か?」
「……うん」
「またアントニー達に何か言われたのか?」
「……うん」
「気にするなよ。弱虫だって悪いことじゃないんだ」
「うん……」
ダニエルは少年の手を借りて立ち上がり、二人一緒に建物に戻っていった。
太陽煌めき大地を見下ろす十二月の朝。エリス達はグレイスウィルから出発した船に乗り、移ろう景色にひたすら興奮していた。
「皆! 見えてきたよー!」
「おおー!」
「あれがアルーインの町……の、港?」
「そうだよー! 大体の船はここに着岸するから、でっかい港なんだよー!」
それぞれ買い込んだコートやマフラーに身を包み、寒さの中でも動けるような服装になっている。
そうして揺られること約三時間、遂に目的の港町が見えてきた。
「もうすぐ着くだろう。荷物の準備だ」
「ん、それもそうか。皆部屋に戻ろう」
「オッケー!」
唯一冷静だったアーサーの一声により、各自部屋に戻っていく。
「到着、到着~。イズエルト王国ギョッル島は港町フレイガ~。お降りの際はお忘れ物なきようにお願いします~」
彼らが部屋に入ってから数分後、船は港に到着した。
「ああ……遂にこの日が来てしまった……」
「ネム~」
「夢ならとっとと覚めてくれ……」
「ネム~」
「ここは夢じゃない? うっせえよクソシープ」
四角いキャリーケースをずるずる引っ張って、ローザとネムリンは港に降り立つ。その隣にイザークが到着。
「しかし寝癖の姉ちゃんまで一緒とはなあ。旅行なの?」
「……だったらどれ程良かったことか……」
「ネム~」
その瞬間、彼方に虹色の光が見えた。
「……え?」
「嫌だあああああああ!!! 来んじゃねえええええ!!!」
「ネム~」
ローザは顔を両手で覆い、その場でしゃがみ込んでしまう。まるで鮮やかなその光から逃げるように。
オールバックのロングヘアーを、中央で割って赤銅色と白に染める。
耳にはピアス、爪にはネイル、顔とローブに大量のステッカー。
そんな派手な見た目の魔術師は、バク転側転宙返りを駆使しながらこちらに迫ってきて、
音も立てずにローザの眼前に着地し、親指と人差し指を上げた両手を彼女に向ける。
「ハロー、ローザチャンッ!! トゥデイのテンションいかがかなぁー!?」
「――死ね!!! 死ね!!! 死ねええええええ!!!!!」
ローザは目の前の男性に向かって罵詈雑言の濁流を浴びせる。ついでにパンチも浴びせるがどちらも効果はなさそうだ。
それで最も困惑しているのは、港に降り立って一番最初にそれを見せつけられた生徒一同であった。
「アルシェス殿、出迎えてくれて感謝する」
「サー、イリーナ様!
生徒一同の後ろからイリーナが下船すると、アルシェスは彼女に向かって、右手の中指と薬指を追って顔の横に当てるポーズを決めた。
「イリーナさん、この方は……?」
「グレイスウィルのアールイン家に仕えるアルシェス殿だ。こんな身なりではあるが、優秀な魔術師なんだ」
「あ……ねえアルシェス、優秀って言われてるよ……」
「マジで!? やったー! イリーナ様に褒められたぞー! 俺やったぞー!」
身体から出てきたダークブラウンのドリアードに呼びかけられ、アルシェスは両腕を天に掲げて喜びを表現する。
それから数秒もすると、アルシェスは今度はずいずいと生徒一同の眼前まで迫ってきた。
「そうだそうだ、事前に聞いてるぜぇ生徒諸君。俺はアルシェス・ディックっていう魔術師だぜ! このめちゃくそ可愛いドリアードは、ナイトメアのユフィちゃん!」
「あ……」
ユフィは照れながらアルシェスの後ろに隠れる。
「自分魔術師はモテるって聞いたんでー、それで魔術師やってるんすよねー。よかったら合コン行かね!?」
「……! だめ……! そ、そんなことしたら……!」
「わーってるって、冗談だよ冗談! まっアルーインの町を楽しんでいってくれや!」
アルシェスはウインクを決めると縮こまっているローザの所まで戻っていく。
「こっち来んな死ね!!!」
「さーさーローザチャン!! 俺と一緒に領主館に行こうず!! パーティしながら引き継ぎ作業すっぞー!!
「あああああああああ!!!」
「ネム~」
「……ごめんね、ネムリンさん……でも、お仕事、だから……」
炎が鎖のように連なり、ローザをぐるぐる縛って宙に浮かせる。ユフィの手足がしなやかな蔓に変貌し、ネムリンにぐるぐる巻きつく。こうして二人は周囲の好奇の視線を浴びつつ、道を真っ直ぐ向かっていった。
「……何で姉ちゃんが暗い面持ちだったのか分かった気がする」
「トレック殿曰く、アールイン家でも指折りの魔術師二人だそうだ。あまりにも対極すぎるが」
「それなんですけど……どうしてアールイン家とイズエルト王国が関係あるんですか?」
エリスは疑問符を頭上に浮かべながら訊く。船の中でも何度かそのような会話が聞こえてきたが、どうにも釈然としていなかった。
「ああ、授業ではまだやってないかな。帝国が存在していた頃、現在のイズエルト王家であるレインズグラス家は、異種族ウェンディゴの大地主に過ぎなくてね。でも強大な魔力を有していることには変わりなかったから、有力な人材を輩出して勢力を保っていたんだ」
「そのうちの一人が野菜の品種改良に成功して、帝国の食糧事情を安定させたという功績を上げた。それが認められて爵位を貰い、アールイン家の初代となったんだよ」
「そういえば、アルーインとアールインって名前が似てますよね」
「というか伸ばし棒の位置変えただけじゃね?」
「帝国に住むことになった初代が、愛する祖国を想って付けた名前だそうだ。そういう理由でアールイン家はイズエルトと……というよりはレインズグラス家と強い結び付きがある。特に最近は色々あってな……トレック殿はイズエルトの動向をかなり気にしていらっしゃる」
ふと大量の水が蒸発する音が耳に入る。どうやらローザが水魔法を行使して炎を消そうとしていたようだ。
「だからあんな風に自分の臣下を駐屯させて、状況を把握できるようにしているのさ」
「はー、色々考えてるんだな」
チビの癖に、という言葉を付け加えようとしてイザークは思い留まった。遠くからくしゃみの音が聞こえてきたような気がした。
「さあ、賑やかな歓迎も終わった所で。城下町にはトナカイに馬車を引っ張ってもらって向かうんだ。向こうの方にその受付があるから、先ずはそこに行こう」
「トナカイ……?」
「二本の角が生えていて……おっ、丁度そこにいるな」
イリーナが示した先には、鞍をつけた赤茶色のトナカイが御者に先導され、のんびり荷車を引っ張っていた。
「あれ、トナカイ。角、かっこいい」
「ははは、確かに。普段から見慣れてしまうとそういう感想も抱かないなあ」
ルシュドはトナカイ以外にも、港にある物全てを興味深そうに眺めている。
「こういう場合って馬にだと思うんですけど、違うんですね」
「イズエルトは極寒の地。加えて船に乗って移動することも多いから、それに耐えられる馬は限られてくる。質の高い馬は必然的にお金もかかってくるから、庶民は手を出しにくいんだ」
「トナカイなら寒さも平気だし、体力もあるし、ある程度手懐けやすいから結構見かけるんだよー」
「成程なあ。何にせよ、トナカイに引っ張られていくなんて普通にはない経験だ、楽しんで行こうぜ?」
「ああ……そうだな」
よく晴れた空が雪の地面に照り返し、きらきらと輝く。旅行に沸き立つ自分達の心境を表現しているようだ。
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