第38話 大衆食堂カーセラム
一方のエリスとカタリナは、教室に残ったまま二人を待ち続けている。
「……イザーク遅いね」
「うん……」
「何分待ったかな? 十分ぐらい?」
「そうだね……」
「……さっき上で大きな音がしたけど、何なんだろう……」
「……怖い」
すると複数人が騒ぎながら階段を降りる音が聞こえてくるわけで――
「……あれ? イザークの声がする?」
「何かあったのかな……」
「……行こうか」
教室を出て二人は玄関口まで移動し、そこでイザークの姿を見かけた。
彼はアーサー含む他の四人と、どこかに行こうとしていた所であった。
「……あれ、イザーク?」
「げっ! ヤッべ、二人のこと完全に忘れてた……!」
「ん? どうしたイザーク?」
「い、いや他の友達待たせてて……それで今階段とこに……!」
「そうなのか! それはあそこの二人かな!」
「そうですそうです!」
「よし!」
ガゼルは踵を返し、四人を放っておいたまま、
玄関口で茫然としているエリスとカタリナに接近する。
「やあ。僕は新聞部三年生のガゼル。さっき彼らを死地に追いやりそうだったからお詫びにご飯を奢ろうとしていたところなんだ」
「し、死地にって、何が……?」
「信じられないかもしれないが事実なんだ。それで君達名前は?」
「え、エリスです。こっちがカタリナとセバスンです」
「そうかそうかよろしく。二人は彼らの友達なんだって?」
「は、はい」
「じゃあついでだ。二人の分も奢ってあげよう。僕についてきて!」
そう言ってまた踵を返すガゼル。
「……どうするの?」
「行くしかなくない……?」
これを受けて訝しくしない人間がいるだろうか。
地上階には及ばないが、それでも高級な飲食店が立ち並ぶ、グレイスウィル第二階層の一角。
アドルフは現在建物の間を縫って移動している最中である。
「ここか……暫く見ない間に、こっちに移転していたのか」
「まあ地上は土地代も高いしな……どれどれー」
店の看板を確認し、ビルの一つに入っていく。
薄暗い内装の店に入ると、アドルフは会計口の近くにいた店員に声をかけた。
「いらっしゃいませ」
「失礼、ここにルドミリアという方が来ているはずですが」
「少々お待ちください……はい、ルドミリア様なら十分程前に入店されました。もしかしてお連れの方でしょうか?」
「そうだ。済まないが、そこまで案内してもらえるか」
「かしこまりました」
店員は掃除を中断し、アドルフを案内する。
「失礼します。お連れの方が参られましたので、ご案内しました。ごゆっくりどうぞ」
そうして店員は挨拶とお辞儀をして去っていく。
それを確認したルドミリアは、アドルフに手を挙げて、軽く挨拶をした。
「済まないなアドルフ。今日は呼び出したりして」
「なんてことはないぞルドミリア。俺も丁度お前とワインを飲みかわしたいと思っていたからな」
「ふっ……そうか」
ルドミリアは呼び鈴を鳴らし、店員が来る間にアドルフは彼女の正面に座る。
「いらっしゃいませ。ご注文は何に致しましょう」
「ブラッディナイト、それとゴルゴンゾーラを二つずつだ」
「かしこまりました」
店員はその場を去っていく。アドルフは呼吸を落ち着かせる間もなく切り出した。
「いやー、こうして話すのは結構久しぶりな気がするよ」
「アーサーのことで慌ただしかったからな。彼が来てから三ヶ月……早いものだ」
店の内装は薄暗く、壁に着いた燭台が光源の役割を果たしている。窓も少なく、元々太陽の光も入らない立地も相まって、奥ゆかしい雰囲気を醸し出していた。
「最近何か気になることはあるか?」
「あるな。学園内で魔術大麻が横行しているかもしれないという話」
「それはハインリヒ先生に頼んで調べてもらっているよ。調査は大体任せている」
「まあ先生なら大丈夫だろうが……隠密に行っているのか」
「そうだな。張り紙とかやってもいいんだが、そうすると売人達のドンが何をするかわからん」
「ドンだって?」
「アルビムだよ。元々あそこは大麻を含めた非合法な取引で栄えた商人だ。今はしていないとは言ってるが……どうだか」
「……リネスの三大商家だぞ。そんな大御所を疑うのか?」
「生徒達のためだ。それに三大商家の中で信用できるのはグロスティだけって、お前もよく知っているだろう」
「ああ……そうだな……」
そんな話をしていると、丁度頼んでいたワインとチーズが届く。
「アルビムと、グロスティと……あとはネルチか。うむ、グロスティしか信用できんな。ネルチなんて論外だ」
「……ネルチだっけか。最終戦争直後にウィングレーを滅ぼしかけたの」
「そうだ。奴等は弱っている隙を狙って攻勢を仕掛けてきた。だがそこで先代達が命を懸けてくれたお陰で、私はここにいる」
「大変だな軍事担当は」
「農業担当も大概だろう」
ワインを呷り、チーズを食べて一息つく。世界情勢がきな臭い中では、美味しい食事だけが心の拠り所となる。
「そういえばこの間セーヴァから手紙が来たぞ」
「ほう、何と?」
「クロンダインの現状について書かれていたよ。政権を担っている軍事部の決定が二転三転していて、混乱はまだ続いているそうだ」
「……真面目に視察をしているだと」
「連中の中には王族の生き残りを血眼になって探している輩も少なくないそうだ。最近はそれが異端審問じみつつある」
「……聖教会が扇動していないか、それ」
「ケルヴィンが牽制しているからそれはなさそうだが」
「まあ連中もあんな生臭い所には行かないだろ……そういえばこのワインはケルヴィン産か」
アドルフはワイングラスを軽く振る。
「血の滴る夜のように深く刺激的な味……私の好きな銘柄だ」
「意外とロマンチストだな」
「……そういうお前の好きな銘柄はなんだ」
「え、ああ俺? 俺はやっぱりスカーレットだな」
「ああ、スカーレットか……だがあれはもう……」
「そうだ。三年前のクロンダイン暴動でワイナリーが破壊された。今後二度と味わえなくなるであろう味だ……」
「方法を再現すればいい……ってものじゃないからな、酒は」
「あの辺りはかなり蒸し暑い。だがそれがあの素晴らしい爽やかさを生み出していた。よってあの味はクロンダインではないと生まれない……やはり戦争は何も生まん。何かを壊し失わせるだけだ」
アドルフは暗い表情で窓の外に目を向ける。すると目を丸くした。
「……どうした? 気になることでもあったか?」
「ああ。ちょっと外見てみろ」
ルドミリアが首を伸ばし外を見ると、丁度生徒達の軍団が目に入る。
「……あれはアーサー。エリスもいるな」
「他の生徒は……恐らく友人達だろう。仲良さそうにしているからな」
「おっと、路地裏に入っていくな。あの方向だと『カーセラム』か」
「大衆食堂か。あそこには感謝してもしきれないぐらいだな……」
「……アーサー。騎士王が大衆食堂に行くのか……?」
「それができる程の人間関係が構築されてきたということだろう。ハインリヒ先生の期待通りだ……」
「アーサーの研究も先生に一任しているからな。先に関係性だと言われた時は驚いたが……却って良かったのかもしれない」
「ハインリヒ先生は昔のことがあるから、それを気にしておられるのだろう……」
「ああ……」
「……おい待て。大衆食堂なら教師の目が入らないから、そこで魔術大麻を取引しているという可能性があるぞ」
「しまった。そこは全然考慮していなかった」
「なんて視野の狭い。生徒達の生活は学園が全てではないのだぞ」
「全くその通りだな……よし、これからは生徒達が多く立ち入っている店に聞き込みを行おう。次の職員会議の連絡事項が増えたぞ……」
「ラニキー! 新しいお客さんだよー!」
ある店の入り口に止まり、扉を開けながら声を張り上げるガゼル。
その間一年生達は興味深そうに周囲を見回す。
「……スゲえ。第二階層にこんな店があったんだ」
「知る人ぞ知る、って感じするなあ」
ビル群の合間を進んで行き、現在は大分奥に入った所のビルの一つの入り口に立っている。入り口には木製の看板と壁、だが文字や絵がたくさん描かれており非常に汚れている。隣には階段があり、これで二階に上っていくことが窺えた。
「ガゼル! 営業中にうるせえぞ……って人数多いな」
コバルトブルーの髪をオールバックにした大柄の男性が出てきた。服装は腰にのみ着用するタイプのエプロン。上はぴっちりとしたティーシャツで、胸筋が引き立っている。
「皆一年生なんだ。ちなみに今日は代金僕が払うからね」
「何だ何だ、豪勢だな。学園で何かあったか?」
「ちょっとそれは……ね!」
「まあいい! とにかく中に入れ!」
六人はガゼルと男性に連れられ店内に入る。
「わあ……!」
「生徒が沢山だぁ……密度がスゲーわ」
「匂いも、美味しそう……あたしお腹空いてきちゃった」
「わたしもわたしも~!」
「……」
店の中はとても明るく、大勢の生徒達で賑わっていた。そして厨房では何人もの大柄な男達がせわしなく動いている。
「六人用テーブルはここだけだな」
「でもって僕入れて七人だから……椅子持ってくるよ」
「悪いなー!」
そしてガゼルが椅子を持って戻ってくる間に、コバルトブルーの男性が机の上に両手を付いて、話を進める。
「一年生諸君、ようこそ大衆食堂カーセラムへ。ここは上手い料理を安く提供するっていうのがコンセプトの店だ。見てわかる通り、大衆と銘打っているが来るのは殆どが学生ばかりだ」
「金に困りがちな学生が美味い飯を求めてやってくるってこった……さあ、そこにメニュー表あるから、好きなの頼んでくれや」
先程ラニキと呼ばれていた男性は、厨房に戻っていく。
「さて……僕は椅子に座るから君達で座りなよ」
「え、そんなことはできませんよ。なのでぼくが椅子に座りま「貴様は一番奥だ。俺がその隣でエリスが俺の隣」
「……覚えてろ」
「わ、わかった……何かごめんね、ヴィクトール」
ヴィクトールはハンスを無理くり奥に押し込み、その隣に座る。
エリスも恐る恐るヴィクトールの隣に座った。
「んじゃあアーサーがエリスの正面で……カタリナどっちがいい?」
「どっちでも……」
「じゃあボクハンスの正面に行くよ。カタリナは挟まれる感じで」
「う、うん」
「……」
全員が座ったのを確認してから、イザークはメニュー表を取り出し机全体に広げる。
「どれどれメニューはっと……色々あるな……」
「ミートドリアが五百、カルボナーラが五百五十、クラムチャウダーは……三百五十!?」
「やべえな……全部美味そうに見えるんだけど」
「おすすめはラタトゥイユ! この店始まって以来の看板メニューだ! それとトマト鍋もおすすめだ!」
「トマト農家でもいるのかこの店」
「まあそんな感じだねっ。あ、鍋には他にも種類あるけど、どうする? というかそもそも鍋にする?」
「えっと……先輩がおすすめするなら、鍋で」
「オッケー! 店員さん、鍋六人前でー!」
「かーしこまりましたぁ!」
五分後。
「お待たせしました、こちらトマト鍋になりまーす」
「鍋と焜炉は暑いので気を付けてくださーい。そして中にスープ入っていますので吹き零れに気を付けてくださーい」
持ち運べるサイズの魔術焜炉と土鍋が運ばれ、土鍋の中にはトマトスープと具材が並々と入っている。
次に置かれたのは人数分の取り皿とお玉、そしてスプーンにフォーク。加えて紙ナプキンがこれまた人数分。
「ご注文は以上でよろしいでしょうかー?」
「はーい以上でーす」
「ごゆっくりどうぞー」
店員は伝票を置いて去っていった。
「先輩の分ないですけど、頼まなくてよかったんですか?」
「実は僕ここに下宿しているんだよね。だからここの料理は好きな時に食べれるんだよねー」
「……それ、奢っているっていうのか?」
「ちゃんと店で食べる分は払えって言われてるから!」
「そ、そっすか……何か複雑っすね」
「……あ、あっちにクラスメイトがいる。ちょっと向こうにいってくるわ!」
「え、ちょっと!?」
突然ガゼルは椅子から立ち上がり別のテーブルに向かっていく。
取り残された一年生達の間には、一気に暗雲が立ち込めた。スープが沸々と煮え滾る音だけが六人を包む。
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