キツネたち
三上一二三
第1話
一九五〇年代、ソ連。ドミトリ・ベリャーエフら遺伝学者たちは、野生動物の家畜化に重要な因子を特定すべく、キツネの交配実験を開始した。研究者たちは家畜にとって最も重要であろう『従順』な気質に着目し、檻に指を入れても攻撃してこないキツネを『従順』であるとした。人に対して攻撃性の少ないキツネ同士を選択交配していくと、十世代から二十世代で、犬のように従順なキツネが生まれた。実験はロシア科学アカデミー、コペンハーゲン大学を経て、現在はセッカ株式会社が引き継いでいる。
世界的IT企業セッカ。どこよりも早く商用量子コンピューターの大量生産に成功し、斜陽だった日本を再び経済大国へと引き上げた立役者だ。セッカが巻き起こす日本の復活劇を目の当たりにした当時の子供たちは量子コンピューターの虜となった。言わずもがな、僕もその純真な子供たちの一人で、必死になって『週刊クォンタム』の定期購入を両親に訴えた。この波に乗り遅れたら将来負け組になっちゃうよ、と。
毎週送られてくる量子コンピューターのパーツは、僕を恍惚とさせた。パーツと言ってもプラモデルのパーツで、それが全て揃ったところで長方形の箱にしか見えない。親は「だまされている」と小馬鹿にしていたが、僕にはその味気ない立方体がガンダムよりも格好良く見えた。
大学生になった僕は、もちろん就職先にセッカを選択した。少年時代から温め続けた情熱が沸点に達したのか、尋常ではない競争率を突破して、一般総合職枠でセッカに入社することができた。
一般総合職の新人研修は、情報テクノロジーの先頭を走る超一流企業にもかかわらず、時代遅れの軍隊式だった。早朝のマラソン、いつ役に立つのか分からない礼式、時間厳守の団体行動。多くの仲間たちがふてくされて研修主任に注意を受けるなか、僕だけは嬉々として研修に取り組むことができた。どうやら僕は、『昭和のにおい』が好きらしい。研修中の僕は明らかに頭一つ抜きん出た存在だった。だのに、なぜか僕だけ職種適性検査を三回も受けさせられた。量子コンピューター開発にたずさわることを望んでいた僕への辞令は、情報管理専門の子会社への出向だった。
出向先で僕が配属されたのは、社内から出る廃棄予定の情報記録媒体を破壊する部署だった。この程度の単純作業、全てロボットに任せでも良いと思うのだが、個人情報保護法により、国が指定したグローバルIT企業は、記録媒体が破壊されたことをその企業の正社員が責任を持って確認しなければならない。ロボットよりも人間のほうが信頼できるなど、いつの時代の発想なのか。平成生まれの野蛮人ども。
そもそも、適性検査に「廃棄処理が好き」という質問は無かった。有ったとしても、答えは「興味が無い」だ。研修センターの連中は、僕の何を見て廃棄処理の素質があると判断したのか。
などと腐っていても仕方がない。今の日本でセッカ以外の就職先など有り得ない。それに、僕には量子コンピューター開発という夢がある。暫くの間は納得のいかない仕事も我慢しよう。
カートロボットが記録媒体を運んでくる。シリアルナンバーをスキャン。廃棄確定の記録媒体であることを確認。電気ショックを喰らわせたら、パンチで穴をあける。完全破壊されたことを目視確認。破壊した記録媒体をカートロボットに乗せて、リサイクルセンターに送る。
七年間、僕はこの試練とも、拷問ともいえる仕事を黙々とこなした。長い年月の間に、同僚たちはこの責任ある仕事を「くだらない」「馬鹿でもできる」とさげすみ、一人、また一人と職場から去っていった。その結果、僕は無責任な連中の分まで働かされることとなった。「残業」は数年前に絶滅したはずなのに、なぜか僕の背中でだけ息を吹き返した。カートロボットが走り回る世界で、僕は穴あけ機のボタンを押すために残業をしているのか……。
まて、気をしっかり持て。楽しいことを考えろ。そうだ、あの無責任な連中が転落していく様を想像しよう。あいつらはセッカから脱落して、まともな働き口が見つかると本気で考えているのだろうか。だとしたら、とんでもない甘ちゃんだ。二級市民に落ちたくないなら、性に合わない仕事であろうと、理不尽な職場であろうと、歯を食いしばって踏みとどまれ。セッカの正社員であること。それだけで勝ち組なのだから。
などと息巻いて休日出勤もいとわない僕だったが、最近では煮えたぎる情熱も冷めきって、自分のノルマをこなした後は処理場の裏でサボるようになっていた。いつものようにスマホで安っぽいパズルゲームを無課金で遊んでいると、同じようにサボっている連中の話し声が聞こえてきた。入社三日で辞めたクソガキの話をしているようだ。僕のように真剣に働いてサボるならまだしも、まともに働きもせず、サボるために出社している連中とは交遊を持ちたくないので、陰で聞き耳を立てることにした。断っておくが、連中が怖いわけではない。
噂によると、まともに挨拶もできなかったあのクソガキが、転職一年目で量子コンピューターの開発にたずさわり、年収が二倍になっているという。いやはや、根も葉もないとはこのことだ。僕は久しぶりに笑えるニュースを聞いて気持ちが軽くなった。意気揚々と職場に戻ると急に疲れを感じて、その日は早退した。翌日の朝、ベッドから起き上がれなくなった。原因不明の体調不良で三日間会社を休んだ。
まともに身体が動くようになった僕は、重い身体に鞭打って本社の人事部へ向かった。七年間、廃棄処理のキャリアは充分積みました。どうか、もう一度適性検査をして頂けないでしょうか。
人事部の連中は露骨に嫌な顔をした。僕が上司に相談もせず、本社の人事部に直談判しに来たことが気に食わないらしい。このままだと話し合いは平行線で終わってしまうので、僕は『サービス残業』という切り札を使った。すると、人事部は急に
新人研修で受けた適性検査は、人工知能の出した結果を参考にして、人間が判定していた。人工知能においても世界シェアトップの企業が、そのようなデタラメな人事をしているとは、僕も最近になって知った。連中は、実務とは関係ない僕の見た目や立ち居振る舞い、休憩時間の過ごし方や社内レクリエーションの参加率などを、機械に断りもなく勝手に加味して、自分たちの恣意的な基準で僕を評価していたのだ。
人事部は、僕が『サービス残業』の切り札を放棄するのを条件に、四度目の適性検査を約束した。僕は切り札を活用して量子コンピューター開発にたずさわる仕事を要求することもできたが、万が一にも適性が無かったら後戻りできないので、機械の公正な判断を仰ぐことにした。僕は自分の能力に自信がある。機械は必ず僕のポテンシャルを見つけ出し、量子コンピューターまで導いてくれるはずだ。なにより、人間のデタラメな判断から解放されれば、これ以上底辺に落とされることはない。
人事部は人工知能の判定に不服を申し立てないことを条件に付け足してきた。僕にしてみれば望むところだ。どのような結果であろうと、覚悟はできている。男に二言は無い。
──辞令
一ヶ月後、人工知能から届いた辞令である。
なるほど、こういう辞令もあって当然だ。ゆりかごから墓場まで、セッカが関わらない産業などこの世界に存在しない。農業分野に進出しているのも承知している。畜産部門では、キツネを使って何やら難しい実験をしているらしい。
男に二言は無いけれど、一言だけ良いかしら。
適性検査に「畜産に興味がある」などという質問は無かった。もちろん「キツネが好き」とか、「モフモフが好き」という質問も無かった。生物学や遺伝学が得意だと吹聴した覚えもない。厚生労働省の人工知能が、この辞令は人間の判定結果ではない、とお墨付きを出している。だとしたら、不正なプログラムや新種のウイルスの影響ではなかろうか。もしかしたら、我々の知らないところで人工知能が感情を持ち、人類に対して牙をむき始めた可能性もある。
……不毛だ。人工知能は膨大な、それこそ宇宙規模のデータと照合して今回の結果を導き出した。僕がどんなに考えても、答えのない宇宙を永遠に漂うだけだ。
腐っていても仕方がない。僕は前向きに考えることにした。もしかしたら、機械は僕の中に畜産業の萌芽を見いだしたのかもしれない。指示通りの道に進めば、黙ってレールに車輪をのせれば、いずれ才能が開花して偉業を成し遂げ、社会に貢献する男になり、結果オーライ、人生勝ち組が決定なのだ。信じよう。信じるしかない。もう、何を考えても無駄な気がする。
セッカファームから、汚れても良い服装をご用意ください、とメールが来た。どのような仕事が待っているのか想像はつくが、出勤初日からこき使おうとしているのか、チキショウめ。僕はクローゼットの奥から、新人研修で着ていたセッカのオフィシャルジャージを引っ張り出した。キツネに汚されても良い服など、これしかない。思い出のジャージに袖を通してみた。パッツンパッツンだ。
キツネたち 三上一二三 @ym3316
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