第五幕 兄の悲劇
俺の妹は少し変わっている。7歳にしては妙に大人びた物言いをするところとか、そうかと思えばよくひとりで人形遊びをしているところとか。でも最近、ちょっとした変化があった。
「あれ、頭のリボンが小さくなってる」
「ああ、あれ? もうやめたの。いいかげん子どもっぽいから」
つんとすまして答えるアンナが着ている服は、かわいい動物柄のいかにもお子様っぽいワンピースだった……まあ、いいんじゃないか。好みは人それぞれだし。
「お兄ちゃん、これあげる」
「ん? なんだこれ」
小さなヒキガエルの置物だった。
「幸運のカエルだって。インテリアショップで見つけたの。お兄ちゃんそういう気持ち悪いの好きでしょ?」
アンナはなにか勘違いしているようだけど、俺が好きなのはホラーグッズであって気持ち悪い生き物ではない。
「お兄ちゃんに似てるって言ったら、ぜひ会ってみたいって言うから」
「誰がなんて言ったって?」
「このカエルが、お兄ちゃんに会ってみたいって」
「いやちがう! 誰がカエルに似てるって?!」
「それはわたしの個人的な感想だから気にしなくていいよ」
めちゃくちゃ気にする……
「アンナ、金は大事に使えよ」
かろうじて言い返せたのはそれだけだった。
「お兄ちゃんにだけはいわれたくないよーだ!」
アンナはてててっと走って逃げて行った。
俺はカエルをひっくり返してみる。
『幸運のカエル ¥100(税別)』
「だから値札シールはがせよ!!」
翌朝。
僕はガーゴイル像とバフォメットに囲まれて目を覚ました。
『……グゲコッ、なにコレ!?』
自分の声にも違和感がある。くぐもっているというか腹の底から響くというか……カエルっぽい。
というか、体が全体的にカエルっぽい!!
『カエルぅ!? なんだこりゃ!?』
『はは、なんか慌ててるぞこいつ』
『寝ぼけてるんだろ。他人の家で目覚めたら誰だってそうなる』
ガーゴイルとバフォメットが当然のように話している。
俺は自分に言い聞かせる。
これは夢だ。俺はカエルじゃない。よく見ろ、ここは俺の部屋じゃないか。スカルヘッド、ホラーマスク、ヴァンパイアのポスター、それに先週買ったばかりのバフォメットをあしらったゴブレット。すべて見覚えのあるものばかりだ。問題はどれもこれもでかすぎるということ。
あと、俺のベッドに大男が寝ているということ。腹が立つけど、なんか妙に親近感があるのが気になる。だがよく見てはいけない気がする。知ってしまったら最後、正気を保てなくなりそうな予感がある。
『おい新入り』とガーゴイルが気さくに話しかけてくる。
『名前をまだ聞いてなかったな。俺は
『俺は
頼んでもいないのにバフォメットが続けて自己紹介をする。どうでもいいけど、なんでそんな日本的な名前なんだ。しかも苗字……もしかして下の名前もあるのだろうか。
いや、そんなことよりこの状況をどうにかしないと。
『お、俺は
部屋の外をてててっと走ってくる足音がする。
「お兄ちゃん、日曜だからっていつまで寝てるのって、ママが言ってる!」
ああ、あれはアンナの声だ。コンコン、とノックの音。
「お兄ちゃん、ねえってば!」
『アンナ、いいところに来た。兄ちゃんが特別に許可する。入ってよし!』
俺はドアに向かって必死に叫ぶ。
『久々津のやつ、急にどうしたんだ?』
『やっぱりまだ寝ぼけてるのさ』
梶本と矢木はこれ以上変なやつにかかわるまいと、ふたりだけで悪魔の証明は可能かについて語り始めた。
カチャリと遠慮がちに部屋の戸が開く。アンナはゆっくり部屋の中を見回した。
『おーい、こっちだ!』
アンナのリボンがぴくりと動いて、棚の上にいる俺のところで留まる。
俺は安堵した。姿かたちが変わってもちゃんとわかってもらえるのだ。さすが血のつながった兄妹。明日からもっと優しくしてやろう。
「なんだお兄ちゃん、そっちにいたの」
『なんだ、じゃない。わかるだろ、とんだ緊急事態だ! ゲコゲコ!』
「大丈夫だよ。初めは違和感があるかもしれないけど、すぐ慣れるって。ていうかお兄ちゃん、カエルくんと相性ばっちりだね☆」
『ばっちりだね☆じゃねえよ! お前、この異常事態について何か知ってるのか? やけに落ち着いてるじゃないか』
アンナは「ふふふ」と不敵な笑みを浮かべる。
「知ってるよ。お兄ちゃんにも話したことあるじゃない。まあ、そういうことだよ」
『いやいやいや、これは悪い夢だって。お人形さんとお話できるなんて、幼児だけの特殊なスキルだって』
「わたし、幼児じゃないもん!」
アンナはぷいっとそっぽを向くと、本棚のほうへ。しばらくがさごそやってから、「あったー!」と叫んで「世界の怪物辞典」を両腕で抱え、扉のほうへ……
「この本ちょっと借りるねー!」
『待て、おい! どうしたら戻れるんだ?」
「自分で考えればー?」
くそ……こんなことなら普段からもっと優しくしておくんだった。
妹はるんるんとリボンを弾ませながら無慈悲に去っていく。
『ふん! 言っておくけどへそくりの場所は変えたからな!』
アンナがいなくなってから、悔しまぎれにつぶやく。
『悪魔は存在する。なぜなら俺が悪魔だからだ』
『ちがうだろ。お前は悪魔をかたどった偶像にすぎない』
『いや、実は俺が悪魔なんだ。黙ってたけどこの身体は入れ物にすぎなくて……』
『わかったわかった、そういうことにしといてやろう』
『その顔、信じてないな?』
いかつい顔でにらみ合う、梶本と矢木。俺のお気に入りのホラーグッズたちが繰り広げる間抜けなコント。なんて微笑ましい光景だろうか。
……夢なら早く醒めてくれ!!
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