渦族【A家乱心】

真観谷百乱

【兄の告白】

 ざわめくファミレスの音が一瞬、消えたように感じた。

 頭の中が真っ白になるというのはこういうことなのかもしれない。

 パスタを口に運びかけていた私は動きを止め、目の前に座る兄を凝視した。


「三咲?」

「・・・・え?」

「話、聞いてる?」

「あ・・・・うん」


 いつもながらの穏やかな表情を私に向ける兄に、まず何からどう言葉を返せばいいか、困惑しながら考えあぐねていた。

 久しぶりに一緒に外で夕飯を食べないか? と誘われた時にはまさかこんな話をされるとは思ってもみなかった。



「女になりたいんだ」


 兄は、言った。


「限界なんだ」 


 真剣に、言った。



 短く単純な言葉でありながら、私はその意味をすぐには理解が出来なかった。

 

 女になりたい?

 女に?

 え?

 どういう・・・・こと?


 けれど、妹の戸惑いは想定内だったらしい兄は極めて冷静に、そして端的に、これまで誰にも語らず微塵も察せられることはなかった自分自身の内面の秘密を私に吐露とろした。


「小学生の頃からだよ。化粧をしてる母さんや先生が羨ましくてね。いいなぁ、やってみたいなぁ、ってずっと思ってた」

「そう・・・・だったんだ・・・・」

「髪も伸ばしてカールさせたりしてスカートを履いて。何で僕は出来ないんだろう、短い髪でズボンを履かされて・・・・苦痛だったなぁ」

「・・・・ぜんぜん気づかなかった」

「完璧に隠してたからね。期待の長男だし。でも──」

「?」

「あやうくバレそうになった時はあったんだ」


 そこまで話すと兄は、ミルクティーを二口飲み、溜め息をいた。


「中2の夏休みだったかな、僕以外はみんな出掛けててそれぞれ遅くなるって話で、これはチャンス!と思って──」


 兄は2階の寝室にある母親のドレッサーの前に座り、並んでいる化粧品を作ってメイクをしてみたのだと言う。


「ワクワクしたよ、嬉しかったなぁ。でも母さんのワンピースを着て鏡の前でポーズをつけてたら、帰って来ちゃったんだよ」

「誰が?」

「母さんが」


 慌ててティッシュで顔をこすりワンピースをクローゼットにしまい、なに食わぬ顔で階下に下りてリビングにいる母に近づいた時、背筋が凍る思いをしたと言う。


「化粧した? 口紅ついてるけど──って言われてね。バレた! って、ゾッとしたよ」


 結局、文化祭で女装をすることになったから、と、どうにかその場はごまかしたらしいが、それ以来、同じ過ちはしないと慎重になったと語った。


 母の口からその時のことを聞かされた記憶はなく、私は兄のそんな気配を感じ取る瞬間もなく同じ屋根の下で過ごしてきた。


 妹の欲目を差し引いても、兄は端正で綺麗な顔立ちをしていると思う。

 身長も高く手足も長い。

 低身長で肉付きのいい私とは似ても似つかない。


 2つ年上なため同じ進学先の中学でも高校でも、私が1年の時には兄は3年。

 その兄への手紙やらプレゼントやらを一方的にたくし仲を取り持ってくれとグイグイ来る女生徒らに辟易へきえきしていた時期もあった。


 さらには反抗期もなく、手のかからない子供だったと母親がいまだに言うほど性格温厚、穏やかな人柄だ。


 その兄が──女になりたいと言う。

 26年生きてきて、もう限界だと、これ以上は無理だと私に告白した。


「なりたいって・・・・つまり、どうするの?」

「海外に行く。向こうでする」

「する?」

「性転換」

「?!」

「それでそのまましばらく向こうで暮らす」

「え・・・・つまりその・・・・女の人として外国で生活する、ってこと?」

「そう」 

「・・・・」

「三咲にしか話さないことだから、ね、くれぐれも」


 他の家族には黙っていてほしい、と、私だけに知っていてほしいことだから、と、切々と語る兄の真剣な眼差しに、理解が追い付かないながらも取り敢えずは頷くしかなかった。


 けれど私にとって、ひとりで抱え込むには重すぎる話であることも事実だった。



 


 

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