第7話 ぬいぐるみは震える

 それから数日間サムは人間の生活を大いに楽しんだ。

 長期休暇だから仕事に行かなくて良いと言うニッセと共に、買い物に行ったり、イルミネーションを見たり、料理をしたりして充実した毎日を送った。


 たまに立ち止まって、夢みたいと思う瞬間が何度もあった。そのたびに心がドキドキと高鳴り、頬が桃色に染まる。人間の生活に慣れない自分を馬鹿にすることなく、包み込むように優しく接してくれるニッセにサムは恋をした。もちろん、本人がそれを自覚していたかどうかと聞かれれば、「わからない」と答えるだろう。


 サムには恋の意味など分からなかったが、ニッセが特別な存在であることは間違いなかった。


 その反面、サムの指先やつま先は段々と冷たくなっていく。それに気づくたびに少年は心を痛めた。


 約束は約束だ。

 

 一週間経つと雪になるのだと魔女は言った。その言葉通り、もう雪となる準備が始まっているのだろうとサムは納得していた。



 そんなある夜、そう確かこれは四日目か五日目の夜だったはずだ。二人はいつも通りベッドで横になり仲良く寝ていた。二日目には指先が触れない距離で寝ていたサムも、日を重ねるごとにニッセにくっついて眠るようになった。

 小さな寝息をたて始めたサムは甘えるようにニッセの胸に額を擦り付けていた。軽い体重と可愛い温もりに幸福感を感じながら、ニッセも穏やかに眠っていた。


 

「ん……サム?サム、大丈夫?うわっ、なんでこんなに冷えてるの?手も首も、どこもかしこも氷みたいに冷たいよ」

「ぅぅぅぅ」


 寒すぎて震えるサムはすぐそばにいたニッセにぎゅっと抱き着いた。凍え切った身体が無意識に温もりを求めたのだ。


「風邪かな、どうしよう。寒いの?寒いよね、こんなに震えてるもんね。サム、おいでもっと近づいていいよ」


 他人との生活に慣れていないニッセはどうしていいか分からなかった。

 ただ、寒さに震えるサムを温めなくては、と本能的に使命感を感じしっかりと華奢な体を両腕で包み込み温もりを分けた。


 毛布を増やし暖炉を灯すと、サムは自分より逞しい体に抱き着いたまま眠りについたのだった。

 しばらく経つと、落ち着いた寝息がニッセの耳に届き、腕の中の少年の震えが収まっていく。


「無理させちゃったかな……」


 黒髪を撫でサムの顔を見下ろすと、いつもは紅い唇が青ざめていた。風邪かもしれないとニッセはこの時思った。ゆっくり眠らせて、朝になったら栄養たっぷりのご飯を食べさせよう。熱は出ていないがいつ出てもおかしくない。氷枕はあっただろうかなど頭に巡らせ、心配しながらその晩は眠りに付いた。



「サム、おはよう。気分はどうかな?」

「ぅん……」


 眠気眼を擦りながら応答するサムが愛しくとニッセは寝癖で乱れた髪を撫でた。サムの調子はと言うと、全く改善の兆しを見せていない。指先は痛いほど冷たくて、服を何着着ようと寒気は止まらなかった。


 ニッセはサムを心配し、体が温まりそうな食事を用意した。一人暮らしが長かったニッセは、他人を看病する日が来るなど思ってもみなかった。それでも、人間、どんな状況下でもやってみれば、なんとかなるものである。特に特別な人のためならできなかったこともできてしまう。


「風邪をこじらせちゃったかな。ほら、サム、ホットレモンハニーを作ったよ。これを飲んだらソファーで本でも読もうか?」

「うん……ニッセ、ごめんね?」

「なんで謝るの?サムは悪い事してないでしょ?」

「だって、ボク……」


 申し訳ない気持ちでいっぱいだ、とサムは眉間にシワを寄せていた。本当のことを話してしまえば、気持ちは楽になるのだろうか。話したところで今の状況が変わるわけではない。どちらにせよサムは雪になるだろうし、ニッセは驚いてサムを追い出すかもしれない。


「サム、泣かないで。具合が悪いと寂しくなっちゃうもんね。独りじゃないから。僕がここにいるよ。ほら、おいで」


 ソファーに座るニッセは大きく両手を広げてサムを呼び寄せた。

 

「んっ……ニッセ、あったかい」

 

 ニッセの肌が触れたところだけ不思議とぬくもりが伝わってきた。サムの頼りない背中に触れる手のひら、額を預けた首筋、青ざめた頬を撫でる指先、すべてからジンジンと体温が感じられる。それと同時に、サムの心も温度を増したように感じるのだが、雪の呪いが競い合うように背筋を冷やした。


「さて、どの本を読もうか?」

「えっとね、これがいい」

「これね。猫が冒険に行く話だよね」


 温かい飲み物を片手に、華奢なサムを膝に乗せてニッセは本を開いた。厚着をしたサムは真剣な顔をして耳を傾ける。


「それじゃあ始めるよ。


 昔むかし、ある街の片隅に猫が住んでいました。


 家の周りを一周、近所の公園で昼寝を挟んでもう一周散歩をするのがこの猫の日課でした。お隣さんがくれるお昼ごはんを食べ、お腹を太陽で温め、ぬくぬくと昼寝をしてから、家路を急ぐと、猫の一日が終わりを告げます。


 猫はこの日課を”冒険”と呼んでいました――」


 こうして二人は六日目を過ごしたのだった。それはとても静かで、平和的で幸福感にあふれる一日だった。ガタガタと震えながらもサムはニッセの声を一度も聞き逃さなかったし、寒さに襲われたサムからニッセが離れることなど一度もなかった。 


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