第5話 ぬいぐるみの朝
「う、ん……」
まぶしい光に照らされ、サムは人間となり初めての朝を迎えた。
「サム、おはよう。それとメリークリスマス!」
「ニッセ?わっ、ボク、えっと、え、ここ……あれ?」
「ふふ、寝ぼけてる?ベッド、狭かったかな?寝心地はどう?」
ぼんやりと霧がかかったようなサムの頭が急激にシャキッと冴えた。
そうだ、雪の魔女が現れて、人間になって、ここに住むことになって……とサムはドラマチックな昨日を思い出す。
「どうしよっかな。一人でクリスマスを過ごす予定だったから特に何も用意してないんだ。サム、クリスマスはいつもどうやって過ごすの?あ、ケーキ好き?」
「クリスマス……?」
聞いたことがある言葉だとサムは思った。それもそのはず、サンタクロースのクリスマス工場で作られたサムは何度もこの言葉を聞いていた。
「そう!家族や恋人がいる人は集まって料理を一緒に食べたり、プレゼントを交換したりするんだろうけど、残念ながら僕は毎年一人でのんびりするくらいなんだよね」
横に寝そべるサムの瞳を見つめるニッセの瞳は優しかった。
「でも、今年はキミがいるし、いつもとは違うクリスマスにしてもいいよね」
「いいの?」
サムは何が起きるか深く理解しているわけではなかった。それでも、話の流れから、ニッセと一緒に何かができるなら幸せな日になるに違いないと思ったのだ。
「もちろん!二人でのんびりするのもいいけど、クリスマスだから……うーんそうだな、ケーキを一緒に作ろうか?」
「うん!」
嬉しそうにうなずいたサムの頬を、ニッセは無意識に撫でていた。素直で可愛い不思議な少年だ。突然現れ、急遽一緒に住むこととなったのに、ずっと前から欠かせない存在であるようなうまく説明できない感情がニッセの中で芽生えていた。
「っと、大変!指が冷えてるね。暖炉つけてくるね」
恥ずかしそうにニッセの腕に触れていたサムの指先が雪のように冷たかった。
ベッドに取り残されたサムは両手を閉じたり開いたりしながら、雪の女王が言った言葉を思い出していた。
「もう、雪になり始めているのかも」
そう思うと胸の左辺りがズキンズキンと痛んだ。
「サム、こっちにおいで!」
「う、うん!」
二人のクリスマスは始まったばかりだ。
****
「それじゃあケーキを作ろう!」
「ボ、ボクにできるかな」
朝ごはんはあり合わせのものだった。
人間となって初めての朝ごはんにありついたサムは、目の前に出されたスクランブルエッグとお惣菜を大切そうに食べ、焼き立てのトーストを幸せそうに口にした。
どれもゴクリと飲み込むと体中がポカポカして、サムは朝ごはんが大好きになった。それも、ニッセと並んで食べるから美味しいのだが、サムがそれに気づくのはだいぶ後の話である。
「えーっと、卵と牛乳を……」
「ニッセ、これ、何?」
「エプロンだよ、ふふ、ちょっと大きいけど似合ってるよ」
昨日まで働き詰めだったニッセのキッチンには、ケーキを一から作れる材料など揃っていなかった。買い物に行こうとしても、今日はクリスマスだ。営業している店なんてないに等しい。
それもあり、”混ぜるだけ!簡単ケーキキット”を買っておいてよかったとニッセは胸をなでおろした。卵と牛乳を混ぜれば文字通り”簡単”にケーキが出来上がるはずである。
冷蔵庫から必要な物を取り出したニッセは、クルクルと回りながらエプロンのひも部分を追いかけるサムを見つけた。それはもう、おもちゃとじゃれつく猫のようで、笑顔を作らずにはいられなかった。
「ニッセ、ケーキってこれ?」
「うーん、結果的には間違ってないけど、これはケーキの素だよ。えっとね、この卵をまず割って、ボウルの中に入れて?」
「割るの?」
それならできる!とサムは卵をひとつ手に取った。ぐしゃりと音を立ててカウンターに叩きつけると、殻が割れ白身と黄身が飛び散った。
「あれ?」
「ふふ、ちょっと力が強すぎたかな。大丈夫、こうやってこうして拭けばきれいになるからね!」
サムが思ったよりも卵を割るのは難しかった。
しょんぼりしたのもつかの間、ニッセにもうひとつ卵を握らされ、どうしようかとサムは迷っていた。
コンコンと優しくカウンターに打ち付けても、割れないどころかヒビさえ入らない。
「今度は、割れない……ボク、ケーキ作りに向いてないかも!」
自分にがっかりしたサムが声をあげた。
「そんなことないよ。一人で出来ないなら、二人でやってみよう?」
卵を掴むサムの小さな手をニッセは片手で包むと、力加減を調節して卵を割った。
「ほらね?一緒にやればできるでしょ?」
「うん!」
大きなエプロンに包まれたサムが嬉しそうにピョンっと跳ねる。
無邪気なその様子をニッセは可愛いと思ったが、それ以外の感情が心のどこかに芽生えてきたような気がして、何だろうと小首をかしげた。
「よし、そうしたらここに牛乳を注いで、かき混ぜたらオーブンに入れて完成だね!」
「美味しくなるかな」
「もちろんだよ!」
牛乳をボウルに入れるところまでは上手くできたサムだったが、ニッセに言われた通りに、全ての材料を混ぜ合わせようとすると、端から粉が飛び散ったり、傾けすぎたボウルから生地が漏れたりして大変だった。
「ん、甘い」
サムの赤い舌がペロペロと唇の端についた生地を舐めた。
特別な行為ではないのに、ニッセの心はドキドキと高鳴る。落ち着かない感覚に居心地が悪くなり、慌ててケーキの型を取りに戸棚へと向かった。
「どうしたんだろう……」
そんなニッセの独り言はサムの声でかき消された。
「ニッセ!これでケーキ出来上がり?」
「あともうちょっとだよ、サム。これに生地を流し込んでオーブンで焼くんだ」
分かった!と言って少年は嬉しそうにニッセを見つめた。
これがサムにとって最初で最後のクリスマスになるかもしれないことを、ニッセは知らない。
クリスマスもケーキも知らないサムをニッセが笑うことはなかった。人間は、誰にでも”今”にたどり着くまでの物語がある。それが大勢と同じものでなかったからと言って可笑しな話ではないのだ。だから、ニッセはサムをそのまま受け入れた。
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