第3話 ぬいぐるみは拾われる

「ジングルベール、ジングルベール、鈴がぁなる~」


 雪が積もる帰り道はいつもより歩くのが大変だ。滑って頭を打ったら大変だし、足がはまってブーツが脱げてしまったら靴下が濡れてしまう。

 いつもより時間をかけて帰っていたニッセは、これっぽちも気落ちしていなかった。緑色のニット帽に隠れる金髪は雪に濡れている。日焼け知らずの頬は寒さで赤らみ、鼻のてっ辺は冷たくて痛いほどだった。


 クリスマスイブの今日は、仕事納めの日である。明日から一週間有給がもらえたのだ。


 もちろん、子供ではないニッセのもとにはサンタクロースは来ないけど、サンタクロースのお手伝いとして働く今、赤い衣装でソリを乗り回す彼自身からプレゼントがもらえないからって落ち込んだりはしない。

 今日まで数週間何倍も忙しく働いてきたニッセ達にとって、のんびりできる休暇が何よりもうれしいプレゼントなのだ。


 家族のいないニッセは、残念ながら一人で明日を過ごすこととなるのだが、そんなことはもう慣れっこだった。今年始まった話ではないし、感傷的な気分には一ミリもならない。

 一緒に過ごせる誰かがいれば楽しいだろうな、と思うこともあるが、それはそれでのんびりできないのではないかと思うと億劫だった。


「鈴のリズムに ひかりの輪が舞う~っと、え?」


 自宅の前についたニッセは足を止めた。ご機嫌に歌っていた曲の歌詞の続きも忘れてしまうほどビックリすることが目の前で起きている。


「男の……子?え、し、死んでる?」


 ニッセの家はレンガで出来た一戸建てだった。この街ではよくある家、何の変哲もない小さな家だが、一人暮らしの青年にはちょうど良いサイズだった。


「脈はあるけど、うわっ、体が氷みたいに冷たい!どうしよう……ねえ、起きて、このままだと凍死しちゃう!」

「ぅぅぅ……」


 地面に膝をつき、少年の体を持ち上げたニッセの耳に小さな唸り声が聞こえた。両腕にかかる体重は羽根のように軽く、自分より何倍も小さく感じた。


「起きた?ちょっと我慢してね、家の中に入るからね」


 ニッセは慎重に少年を運んだ。華奢な体を包むジャケットは雪に濡れて冷たかった。真冬のこの時期に、耳当ても帽子もかぶらずに外にいるなんて危なすぎる、とニッセは顔をしかめる。少年の黒い前髪に触れると、真っ赤に染まった耳のてっ辺が見えた。


「えっと、何が必要だろ。ひとまず、毛布をかぶって待っててね」


 片腕で器用に細すぎる体を抱えるとニッセは玄関の扉を開き、リビングへと向かった。うんともすんとも言わない少年をソファーに横たえ冷え切った体にお気に入りの毛布を掛ける。


 ニッセは慣れた手付きでリビングの一角にある暖炉に火を付けた。もちろんサンタクロースが入れるように煙突のついた暖炉なのだが、子供ではないニッセの家の煙突をサンタクロースが通ったことはなかった。


 それに、あの愉快なおじいさんは今となってはニッセの上司である。


「あ、そうだ」


 この家に来客が来ることは珍しい。人嫌いではないが、特に招き入れたくなるような知人もいないニッセは、突然現れた少年をどうしていいか迷っていた。

 じわじわと暖まってきた部屋の中でとあることを思い出した。


「ココアなら誰でも好きだもんね」


 何の確証があるわけでもないが、雪の降る寒い冬にはココアがぴったりだ。

 最近クリスマスマーケットで手に入れてきたばかりで、未開封のココアパウダーがキッチンにあった。


「うん、いい匂い」


 ビターチョコの配分が絶妙だとかなんだとかと店主が言っていた気がする。細かいことはわからないが美味しそうなココアであることは間違いなかった。


「うう……」

「あ!目、覚めた?!」

「ひっ!」


 マグカップを二つ手に持ち、リビングへと戻ってきたニッセを見つけて、今さっき意識が戻ったばかりの少年が怯えた様子で丸くなっていた。

 溶けた雪に濡れた髪はこの町では珍しいカラスを思わす黒色で、引き寄せられた膝からチラチラと見える頬はりんごのように赤かった。零れそうな涙が光る瞳は、クリスマスライトのようにきれいな緑だ。


「やあ、怖がらないで。僕の名前はニッセ。家の前でキミが倒れていたから中に運んできちゃったんだけど……」

「……ニッセ?」


 それは、消えて無くなりそうなほど小さな声だった。


「そう、ニッセ。キミの名前は?」

「ボク……?」


 少年は困った顔をした。


 それは、サムが自分の名前を知らなかったからではなく、誰がつけたでもなく、自分の名前を知っている自分自身を不思議に思っていたからであった。それに、”あの”ニッセが目の前にいる。


「サム……だと思う」

「ん?」


 名前の後につぶやかれた言葉がニッセの耳に届くことはなかった。


「サムか!良い名前だね。そうだ、ココアを作ったんだけど、その前に濡れた服のままじゃ気持ち悪いよね。替えの服を用意するから、脱いで?」

「うん?」


 小首をかしげるとゆっくり立ち上がったサムが衣服を一枚一枚脱ぎだした。


「あ!待って、ここで脱いじゃう?え、わっ、浴室に案内するよ?」

「ん?もう脱いだよ?」


 何も戸惑いもなく真っ裸になったサムは、なんでニッセが両手で目を覆っているか理解できなかった。

 少し前までぬいぐるみだったサムに人前で裸になったらどうとかいう概念はこれっぽっちもなかったのである。


 心臓をドキドキ言わせながら、ニッセは早足で寝室へ向かった。サムに着せる服を選びに行ったものの、背丈が大きい自分の服がサムに似合うとは思わない。ダボダボになってしまうが、裸のままよりはマシだろうと、適当に長袖シャツとズボンを合わせてリビングへ持って帰った。

 

「っと、そうだよね、まだ裸だよね」

「これ、あったかい……」

「暖炉?」

「だんろ……?」


 部屋に入って直ぐに目に飛び込んできたのは華奢なサムの小さな背中だった。立ちっぱなしの裸体が、暖炉の炎に照らされていた。


「ほら、ちょっと大きいけど、これとこれを着て。そうすればもっと暖かくなるから」

「これ?」

「そう、このシャツを上に着て、これを下に履いてね」


 目線を合わせるようにニッセは絨毯に膝をついた。裸のサムは、まだ不思議そうにニッセを見つめている。

 

「やっぱり大きすぎたか」


 シャツの首部分がずるりと滑り、サムの肩が顔を出した。


「何もないよりはいいかな。そうだサム、ココアを作ったんだ、飲む?」

「ココア?」

「そう、ほら」


 サムは小さな両手で大きなマグカップを支えた。

 ここまでどうやってたどり着いたかは覚えていない。最後に覚えているのは魔女が呪文を掛ける直前のこと。魔法でニッセの家の目の前についてしまったことは確かだろうし、どう見ても自分は人間の男の子になれたようだ。


 温かいカップを掴む指先も、ニッセを捉える大きな瞳も、言葉を紡ぐ唇も、ぬいぐるみであった時にはなかったものだ。


 黙ってソファーに座るニッセを眺めながら、サムは自分に起きているすべてのことに感動していた。もちろん、それと同時に、自分に課されたタイムリミットを思い出す。


 見よう見まねで生まれて初めてココアを口にすると、幸せな温もりが体内を巡った。


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