第29話 (時計・カイロ)
(時計・カイロ)
「ん…ふぁ…」
おかゆを食べ終わったと同時に小さなあくびをした雪葉。
指で雪葉の肩を押すと、コテン、と簡単に倒れた。
「よし、寝ろ寝ろ」
さてと…俺は食器洗いでもするかな?
茶碗を持って立ち上がり、部屋を出る…その寸前、俺の背中を弱々しい声が刺した。
「…どこいくの…?」
ふぅ…私は高熱をだして頭がおかしくなってるだけ、私は平熱なんかじゃない。
だから今の私の言動はなにもおかしくないっ!
「…かえっちゃうの…?」
私の知らない間に悠人がどこかへ行ってしまうと不安になったり、一緒にいてくれないのかと悲しくなったり…そう感じているのは熱で浮かれているせいであって!
いつもの私ならそんなこと思わない!
あと決して平熱の自分に『私は高熱を出して頭がおかしくなっているだけ』と言い聞かせているわけではない!
ホ、ホントに高熱で正常な判断ができてないだけだっ…、人は風邪を引くと本心がでるっていうから…そういうことだっ…!
「え…あ…食器洗いに…」
「…どれぐらい…?何分…?」
「す、すぐ戻ってくるよ」
「…何分?」
「えと…10分、10分で戻ってくるからっ…」
「…わかった…クレープ」
「お、おう…約束だ…」
たかが席を外す時間で約束の言葉なんて使うかよ。可愛いかよ。と、心の中で呟いて扉を閉めた。
「あ…」
その時、思い出す。ジャージどうやって取り返そうか…と。
ラノベの風邪イベントでは大抵が、ヒロインは実は平熱だけど隣にいてほしいから高熱のフリをしてましたオチだ。
密かに、雪葉ならソレをやってくれるんじゃないかと期待してたりする。甘えたがりなツンデレヒロインとか可愛すぎる、是非とも雪葉にやってほしい。
でもって俺が
「ふぅ…」
なんて、とても純粋で潔白なことを考えて雑念を消し、食器洗いを無心でする俺。でもやっぱり、視線は行ってしまうものだ…あの、スプーンに。
雪葉がおかゆを食べるために使ったスプーンに。
気がつけばスプーンを洗う手が止まり、そのスプーンの口をつけるところを眺めてしまう。
いやいや、風邪もらうかもしれないからダメだろ。
それになんか変態的だし、雪葉に嫌われるかもしれないだろ?
理由の順位付けがオカシイことに気づくまで3秒かかった。
「ゆうと…」
「えっ…?あ、なんで起きてんだよ雪葉」
「…10分、たった…」
名前を呼ばれて振り向くと、相変わらず俺のジャージをきている雪葉がいた。壁に寄りかかってこちらをジト目で見ている。
俺にとっては何分で戻るかなんてくだらない約束だが、一応約束の言葉まで言われたので正確に時間を計っているつもりだ。
あわてて壁にかかっている時計を見るが…事実、まだ4分しか経っていない。
「あと6分もあるぞ?どうしたんだ?」
「その時計は光速の9割の速さで等速直線運動をしてるから特殊相対性理論によって0.44倍、世界基準の時間よりも進みが遅い…。
実際では10分経ってもその時計は6分しか経ってないことになってる…」
「…ったく…謎理論だけど言わんとすることはわかったよ。先戻ってろ、1分で戻るから」
「ん…その1分は地球における1平均大陽時の1440分の…」
「わーってる、60秒だ。でも雪葉が部屋に戻ってから、60秒な?」
「…むぅ…ズルはなしだから…」
最後の最後まで疑わしげな目で俺を見て、キッチンから去った雪葉。ズルはどっちだよ。
日常会話にアインシュタイン持ち込んでくるな。
でもって…またジャージを返せって言い忘れた。まぁでも萌え袖が名の通り萌えるから許す。
「…ん…長かった」
文句ありげな顔で、ベッドの上でこちらを向いて座っていた雪葉。フードをかぶっていて、なんかいつもと雰囲気が違う。
雪葉は腕を広げ、不満そうに呟いた。ハグを求めるような腕の広げ方に一瞬勘違いする。
「…」
…が、勘違いじゃない可能性が出てきた。いや、どんどんそのハグを求めている、という可能性が高まっていく。
「ん…」
「それは…抱擁しろと?」
「っ…別に違うっ…そういうわけじゃないから…///」
雪葉が顔を染めて、広げていた腕を下ろす。
少し悲しそうな顔をしたのは見なかったことにしよう。そんな顔されると、ホントにハグを求めていたのかも、と思ってしまうから。じゃなきゃなんでハグしなかったんだって後悔で死ぬ。
雪葉の横に座り、さっきと同じように肩を指で押す。と、簡単に転がった。クマさんを抱き寄せて、その腹に顔を埋める。
「じゃあおやすみ…」
「…よにいて…」
「あぁ、わかったよ。いてやるから」
「手…にぎって…」
「甘えん坊だな」
「だって悠人がどっか行くから…///」
今、外側の俺はオーバーフローしてしまい、一周回って逆に冷静になっている…が、脳内は…。
可愛すぎんだろぉぉぉっ!なんでこんなに積極的なんだよぉぉぉっ!甘えん坊の雪葉もさいこうだろぉぉぉっ!
…狂った脳内を黙らせて、俺は指を絡めることにした。そっと雪葉の手に手を重ねる…と、ぎゅっと人差し指を握られた。
そしてにぎにぎ、と強く握ったり爪を立てたり、指で擦ったり、小指から順にそっと触れさせたり…俺の指で遊んでいるうちに、だんだんとその動きが
「ゆ…と…だい…き…」
「あぁ、そうか…」
雪葉が何かをいう。よく聞き取れなかったが、どうせ寝ぼけた少女の戯言だろう、あまり大事なことでもない、と適当に相槌をうつ。
そのうち、小さな寝息が聞こえてきた。
「おはよ、雪葉」
「っ〜!?っ…///っ!な、なんでっ…ここにっ…あっ…」
いつもの雰囲気に戻ったようでなによりだ。いままでの思い出したのか、ボンっと顔を染める。むくり、と体を起こして、ふらっとしながら無言で部屋を出て行った。
トイレかな?と思って付き添うのはやめる。さすがにそっちの性癖は持ち合わせてない。
そして数十秒後、雪葉が帰ってきた。手には体温計…。
俺からかなり距離をおいてベッドに座り、脇に体温計を挟んだ雪葉。数秒の沈黙、電子音がそれを切る。
「38.5…」
「え…!?」
瞬間、食器を洗いながら妄想していたことを思い出す。もしかして高熱っていう嘘ついてない?俺に甘えたいがために。
だけれども、雪葉がこちらに向けた体温計は…確かに
38.5度、と表示していた。
「まじか…寝ろ、雪葉」
「ん…でも悠人も家のことあるだろうから帰って…」
「いやでも病人おいて帰るなんて…」
「いいからっ…鍵はオートロックだから、大丈夫…。お兄ちゃんもそろそろ帰ってくるし…」
「っ…」
確かに雪葉のいう通り、時刻はすでに18時を回っていた。空が暗くなっている。夕飯を作るのは俺の仕事…これ以上長居すると夕飯が9時を回ってしまう。
「わかった…じゃあ帰るけど、なんかあったらすぐ連絡しろよ?」
コクリとうなづいたのを見て、帰り支度を始めた。
数分後、再び寝てしまった雪葉を起こさぬよう、そっと雪葉の家を出て…そこで気づく。
「あ…ジャージ…」
…まぁ学校で返して貰えばいいか。
翌日のこと。先に学校についているというメールの通り、教室に入ると雪葉がすでにいた。
机のフックにリュックをかけて、椅子に座る。
「おっは〜」
「おはよ…悠人」
「あぁ、昨日は大丈夫だったか?」
「…昨日…?」
「いや風邪引いただろ?帰り際に38.5度の高熱出して…」
「…悠人きてないのに…?なんの話?」
は…?…記憶がなくなってるのか?風邪イベントで記憶なくなるルートなの?
同時、ユユギハラが俺の後ろを通る。そのとき、俺にだけ聞こえる声量でボソッと呟いた。
「雪葉ちゃんは記憶がないフリしてるだけ…」
「え…?」
改めて雪葉を見る、と目が泳いでいた。爪と爪とを擦り合せている。雪葉が嘘をつく時の癖だ。ソースはフウヤ、1000円で買った情報だから間違いない。
嘘をついてごまかし切ろうとする雪葉もいいが、俺は徹底的に雪葉を恥ずかしがらせたいタイプ。
だから俺は悪ノリすることにした。
「そっか〜。あ〜んしたことも忘れたのか〜」
「…っ!…な、なんのはなしっ!?変な嘘つかないでっ…。
そ、それとも私以外の誰かにそんなことしたのっ…!?…それだったら許さないからっ…///」
「おうおう、雪葉以外にはしないって。それよりさ、雪葉。今日は雨だけど傘は持ってるか?」
「…っ…ばかっ!」
「ぶげぇっ…いてぇよ!…っ…いてぇ…」
雪葉は俺に強烈な平手打ちをして、教室から走り逃げて行った。その背中を見て、やりすぎだよ、とユユギハラがつぶやく。
「はぁ…くそっ…」
「なぁ悠人、平手打ちをする寸前の癖、売ってあげようかい?」
そんなフウヤのおちゃらけた声に舌打ちをしたら、フウヤは乾いた笑い声をあげた。
【おまけ】
ガチャン、と扉が閉まる音を聞いて、私は脇に挟んでいたカイロを取り出す。もったいないけど…捨てよう。
「ふぅぅぅ…///」
熱くなったカイロをゴミ箱に投げ入れ、私は散らかった参考書たちを片付けるべく、重い腰をあげた。
私を包む悠人のジャージから、優しい香りがした。
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