異界の容疑者

第2話 エウルール館の宿泊者

　薄暗い部屋の中、脱力した俺は膝を付き壁の一点を見つめている。その時背後の窓から物音が聞こえたため振り返ると、月光に照らされた黒いフードを被った何者かが外から土足で部屋に入ろうとしていた。本能が「逃げろ」と訴えてくるが足は動かない。少しずつ”奴”が近づいてくる。”奴”が一歩を進めるたびに床の軋む音が部屋に響く。まだ接触されたわけでもないのに何故か後頭部に鈍い痛みが走る。心臓の鼓動が早くなるにつれてその痛みが増す。いよいよ”奴”が顔の前まで接近し、フードの下の顔が見えそうになった瞬間、ふと目が覚めた。俺は木製の椅子に拘束されていた。そして後頭部の痛みは夢ではなかったことに気付いた。

　先ほどの夢とは真逆で、橙色の光で照らされた明るく広い部屋の中央に俺はいた。古い洋画でよく観るような豪華なシャンデリラが頭上に吊るされており、背後からは焚き火がぱちぱちと燃える音が聞こえ、火が揺れているのは足元の影でわかった。しかし、暖かさは感じない。そして三人掛けのソファーが正方形の三辺を構成するように配置され、俺はそれらに囲まれている。

「目が覚めたみたいだな。人殺し。」

向かいのソファーで腕を組み腰掛けている男が俺を睨みながら言う。こいつは後頭部の痛みの原因である。奴の右隣には、俺を人殺しと間違えた女性が怯えるように奴の左腕にしがみついている。

「こんなガキにエドが殺されたってのか？信じられないな。」

向かって右側のソファに深く腰掛けているチャラチャラした金髪をセンターで分けている男がそう言いケラケラと笑う。その隣、俺の手前側で背筋を伸ばして座っている綺麗な赤髪の女性が冷静に続ける。

「ヨハン殿。まだこの彼が殺人を行ったとは決まってはいない。」

「レイちゃんは優しいねぇ。騎士道ってやつかい？」

金髪の男はヨハン、赤髪の彼女はレイ、そう呼ばれていた。レイはヨハンの方にチラリと目をやった後、彼女の向かいのソファー、つまり俺から見て左側のソファーに腰掛けている男に話を振った。

「元警察官であるカール殿の意見に従ったまでだ。同様の現場になんども居合わせた経験のある彼の意見は、我々素人の浅はかな考えよりも正しいと言える。」

カールと呼ばれた白髪混じりのイケオジは右手に持っていた小さなカップをテーブルに置き、言葉を返す。

「誰も彼の犯行を実際に目撃したわけではないからね。まずは彼に直接色々と確認せねばなるまい。」

「殺人現場で死体のすぐ側にいたやつが犯人以外の何だって言うんだ。あの部屋の窓が開いていたのを考えれば、侵入して犯行に及んだってのも明らかだろ。」

俺を殴りつけた男がカールに強い口調で言った。カールは肩をすくめ、もう一度カップを手に取りながら返す。

「シン君。君の言う通り彼が犯人である可能性は非常に高い。しかし、彼についての情報があまりにも少なすぎるだろう？このエウルール館に招待された客というわけでもなさそうだしね。」

新たに二つの情報が得られた。ここはどうやらエウルール館と呼ばれている場所らしい。そして、俺を殴った野郎の名前はシンと言うらしい。シンは頭を抱え、ため息をつく。

「ベティーナがこいつを見つけた時に、こいつはハッキリと笑顔を見せたそうだ。どうだ？そんな本物のサイコパスに明確な殺人の動機なんてあると思うか？話すだけ無駄だと思うが。」

違う。俺はベテイーナと呼ばれている彼女に愛想を良くしようとしただけだ。ただ、そこに死体があるとは知らなかったし、部屋が暗くて死体の存在自体に気付いてもいなかった。

「まぁまぁ、とにかく彼に話してもらおう。」

カールは姿勢を正して俺の方に体を向ける。

「やぁ、容疑者君。挨拶が遅れたね。私はカール。去年まで警察の下っ端として働いていたんだがね、色々あって今は小説を書いているんだ。まだしっかりと作品を書き上げたことはないけどね。さぁ、次は君の話を聞かせてもらってもいいかな？」

俺は一度深呼吸をしてから慎重に自己紹介を始める。

「俺の名前はタクト。えぇっと、正直に言うと何で俺がここにいるのかもわからないし、ましてや人殺しなんてしていない。あの部屋で死んでいた人のことも知らない。それに俺は、あの部屋の窓から出て行く人影を目撃している。おそらく、そいつが犯人だ。」

「話にならんな。時間の無駄だ。さっさと終わらせよう。」

シンは立ち上がりソファーに立てかけていた剣を手に取る。革のような物で出来ている鞘から剣を抜こうとているシンに、レイが待てと言い、俺に問いかけてくる。

「窓から出る人影を見たと言ったな？」

「そうです。フードを被っていたから顔は見えなかったけど、本当に見たんだ。」

「あの部屋は二階だぞ？」

「・・・え？でも、俺は確かに人影を見たんだ。じゃあ、近くに木が生えていて、それを伝って・・・、いや、待てよ、すぐ下の部屋にバルコニーがあって、そこに飛び降りたんじゃ・・・」

頭を抱える俺を全員が見つめる。その表情は困惑に満ちている。

「お前、正気か？」

シンが気の抜けた声で問いかけてくる。たしかに木に飛び移って逃げたり、バルコニーに飛び降りるといった逃走方法は無理があるのかもしれない。シンから逃げるように目を伏せた俺を見た後にレイが全体に向かって言う。

「どうだ。彼が怪しいのに変わりないが、殺人を起こした犯人とも考えにくくないか？」

弁解の余地なしかと思っていた俺は、レイの発言に驚き彼女の方を見る。

「タクトと言ったかな。君がいた部屋は”一階”だ。その動揺ぶりを見るに、外から侵入しエド殿を手にかけたと考えるのは難しそうだ。仮に外から侵入したとしたならば、あの部屋が二階だと言う私の発言に対しての反応は違ったものであったろう。」

俺は呆気に取られる。もう訳が分からない。そこにカールが提案をしてくる。

「ははは。何だか混乱してきたね。じゃあ、手っ取り早くこのエウルール館の”主”様の意見を伺うことにしようか。」

「私は賛成だ。最初からそうすべきであったな。エーベルハルト殿であれば、”嘘を暴く魔具”くらい持っていそうだしな。」

状況が全くつかめないまま俺は縄を解かれ、エーベルハルト・エウルールと呼ばれる者の元へ連行されることとなった。