悪役令嬢な伯爵令嬢がヒロインな聖女候補のせいで冒険者になる話

神門忌月

1.婚約破棄

「私、ストルンド=アハル=アハトナーダは、リュシアーナ=ベク=ザルクヴァリスとの婚約をここに破棄する!」


 そう声高らかに宣言したのは、この国でただひとりの王子であり、次期皇太子、ゆくゆくはこの国の王になるべき人物であった。


 つやのある黒髪に、王族特有の浅黒い肌、たくましい体躯たいく精悍せいかんで整ったかんばせ

 その姿は、つねに女性の視線を奪わずにはいられない。


 彼の前で目を伏せ、口元を扇で隠しているのは、魔術伯と名高いザルクヴァリス伯爵家の令嬢リュシアーナである。


 透きとおるような白い肌と輝く髪、整った面立ちの美しい娘ではあったが、ややツリ目気味の目元が一見して冷たい印象を与える。


 王子の言葉に会場がどよめいた。


 おりしも、アハトナーダ神聖学院の卒業パーティーの真っ最中である。


 会場こそ学院の中庭を利用しているが、薄暮の中、魔術照明をふんだんに使い、贅沢ぜいたくな料理と、きらびやかなドレスに身を包んだ出席者が集う、絢爛けんらんなパーティーであった。


 参加者である卒業生の多くは、はくをつけるために学院に通う高位貴族の子息令嬢だ。

 また、学院関係者として出席している者も、官職を持つ高位貴族や神殿の高位神官ばかり。


 あくまで卒業生同士の親睦しんぼくを深める目的の会であるため、ぎりぎり公的な場ではないが、決して私的な会というわけでもない。

 つまり、ここでの出来事は大事にはならないが、なかった事にもならない。


 王子とその側近たちは、あえて、そのような場を選んだのだろう。


「あらまあ、そういうことでしたら、私が神官として、証人となりますわ」


 そう発言したのは、ストルンドの横に立つ、見目麗しき少女。

 中央神殿から遣わされ、一時的に神聖学園で学ぶことになった神官のシャラスフェリアである。


 公式ではないが、一部からは中央神殿がまつる【聖女】候補であるとの噂も流れている。


 真っ白な儀式用神官服に身を包んだ姿は、決してドレスで着飾った令嬢に見劣りするものではない。

 むしろ、最上級のドレスに身を包んだ高位貴族の令嬢と見紛うばかりだ。


 婚約破棄という、けして喜ばしいとはいえない状況の中、彼女は満面の笑みを浮かべていた。


 シャラスフェリアが神聖学院にやってきて数カ月。王子は彼女にお熱だと、もっぱらの噂だ。

 美男子ぞろいの王子とその側近たちに囲まれた彼女の様子に、まるで信者を従えた女神のようだという者もいる。


 しかし、この国では『女神にかしずく者』は不心得ふこころえ者を表す慣用句である。

 それは、この国で崇拝すうはいされている【さきがけたる光の神】が男神であることに由来する。


「ストルンド様。いえ、今はもう殿下とお呼びした方がよろしいのでしょうね。殿下、婚約破棄の理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」


 リュシアーナの声はわずかに震えていたが、その物言いは毅然きぜんたるものだった。


 それが、逆に周囲の同情を誘う。


 ストルンドがシャラスフェリアに熱を上げる一方で、もともと不仲が噂されていたストルンドとその婚約者は前にも増して険悪だという。


 ストルンドが婚約者を嫌う理由は、彼女自身の瑕疵かしではなく、その肌の色にあった。


 この国の王族は、南の海を渡って来た南方人を祖先に持つ。

 同じく南方人を祖先に持つ辺境伯や宮中伯の家系には、いまだ浅黒い肌に誇りを持つ者も多い。


 一方で、侯爵家は現地人の豪族を祖先に持ち、地元第一主義を掲げて、王家への忠誠心が低い。


 そのため、王家の配偶者は、まずは王族の血筋である公爵家、次に侯爵系を飛ばして辺境伯や宮中伯の家系から選ばれるのが伝統であった。

 王妃が侯爵家に通じて過度な地元への利益誘導に走ることを懸念したのである。


 リュシアーナの生家であるザルクヴァリス家は、建国時に魔術の技で王家を支えた家系である。

 同時に南の地よりこの地へ王家を誘ったとされる現地人を祖先に持つ。

 そのためか、混血が進んだ現在でも肌が白く生まれる者が多い。


 現国王は、王族が肌の色にこだわる時代は終わったと考えている。

 リュシアーナが次期王妃候補に選ばれたのも、その考えを国内に示す一環である。


 しかし、王家でも特に肌の色が濃く生まれ、母である王妃の影響でやや血統主義に染まりつつあるストルンドは、白い肌の娘が気に入らなかったらしい。


 だが、そのストルンドが熱を上げていると噂の聖女候補は白い肌を持つ。

 全くの不条理である。


 それゆえに、血統主義者、反血統主義者の両方から王子個人への反感が募る結果となった。

 王子とその側近たちは学院内で孤立無援の状況に陥っている。


 そして王子への反感の裏返しに、リュシアーナへの同情が集まる結果となっていた。


 婚約破棄の理由を問うたリュシアーナを王子はにらみつけた。


「己の罪を自覚していないのか? 貴様は、ここにいる神官シャラスフェリア様を罵倒し、嫌がらせに私物を隠し、あまつさえ、三日前、彼女を階段から突き落としたそうではないか。目撃者の証言も取れている。言い逃れはできないぞ!」


 ストルンドの脇で側近たちがうなずいている。おそらく彼らが証拠集めをしたのだろう。


 会場からわずかに息を呑む音が聞こえてきた。


 彼らの中にはリュシアーナがシャラスフェリアを罵倒する現場を見た者も少なくない。

 それでも、彼らはリュシアーナに同情的だった。


 しかし、私物を隠すなどという陰湿な行為はけして褒められたことではない。

 それが本当なら、リュシアーナがこれまで培ってきた高潔な令嬢という評判が崩れ去ることになる。


 まして人を階段から突き落とすのは、ただの犯罪行為だ。


「確かに、私はシャラスフェリア様を再三罵倒いたしました。馬鹿だ、常識知らずだ、性悪だと」


「ひどいわ、リュシアーナ様!」


 シャラスフェリアが、よよよ、とわざとらしく顔を伏せて泣き真似をする。

 何という猿芝居か。会場に白けた雰囲気が漂う。


「さらに、私はシャラスフェリア様の私物を散々隠しました。本を、筆を、鞄を、靴を、ハンカチを!」


 側近の一人が慌てて手帳をめくっている。どうやら、確認済みの紛失物に抜けがあったらしい。


 会場から嘆息が漏れた。

 おそらく、リュシアーナに対する失望の表れだろう。


「そして、三日前、私はシャラスフェリア様を階段から突き落としました」


 会場から息を呑む音と、小さな悲鳴が聞こえた。

 こうなっては、誰もリュシアーナを庇うことはできない。


「……自ら罪を認めるとは殊勝なことだな。だが、だからといってお前の罪が許されるはずもない。シャラスフェリア殿は国賓こくひんである。それを傷付けるなど言語道断。たった今、第一王子の名のもとに、お前に国外追放を言い渡す」


「殿下。それは、【魁たる光の神】の御名に誓って、そう仰るのですね? その言葉を取り消すつもりはないと?」


 震える声で、リュシアーナがストルンドに問う。


 皆が固唾かたずを飲んでストルンドの言葉を待つ。


「無論だ。【魁たる光の神】アハラスの御名に誓って、リュシアーナ=ベク=ザルクヴァリスに国外追放を言い渡す」


「その言葉、この神官シャラスフェリアが確かに証人となりましょう!」


 その瞬間、リュシアーナの国外追放はゆるがすことのできない決定事項となった。

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