Ep.28 鏡像
カナリアがリヒトの婚約者に選ばれたのはわずか6歳の時だ。だから王宮を訪れた回数も同世代の令嬢達に比べダントツに多いであろうし、城内の造りにもそれなりに精通していると自負している。
だが、こんな場所があるとは、全く知らなかった。
「イグニス、ここは一体……?」
長い長い石造りの螺旋階段を下った先の行き止まりに、イグニスが無言で掌を当てる。無地の壁に浮かび上がった魔法陣に亀裂が入り、目の前の壁が左右にゆっくりと開いていく。
現れたのは、とても地下だとは思い難い明るさの図書室だった。
「歴史上表沙汰には出来兼ねる裏側の知識と記録をまとめた資料庫だ。王家の者でなければ扉を開くことは出来ない」
ファンタジー世界のゲームをやり込んだ記憶のある元日本人としてはありがちに感じる話だが、いざ実際そういう場に居合わせると戸惑うものだ。自分を連れてきて大丈夫なのかとあからさまに困惑しているカナリアをイグニスが中へ促す。
「カナリアは
「……っ、その婚約者の座も怪しそうだけれどね」
仲睦まじく身を寄せ合っていたリヒトとヒロインの様子を思い出したカナリアが自嘲気味に漏らした本音にイグニスが固まる。
俯いたカナリアの肩に伸びたイグニスの手が彼女に触れるより早く、カナリアは気丈に顔を上げた。
「あら嫌だわ、色々あり過ぎて気持ちが弱っているみたい。こんな弱気では駄目ね」
「……ああ。聖女だかなんだか知らないが、俺にも敵わないような小娘がお前に勝とうなんざ百年早い。そんな奴にリヒトの隣を任せられるか」
「あらあら、相変わらず厳しいわね。お義兄様?」
「その呼び方は勘弁してくれ……!」
ガックリと肩を落としたイグニスに、カナリアが作り笑いじゃない素直な笑い声をこぼす。その笑顔が安堵と切なさの入り交じる眼差しで見つめられていることには気づかなかった。
「それで、リヒト様達に関わる話って?」
演劇祭以降あの二人の仲が急激に深まっている様子なのでその話かと予想していたのだが、意に反して渋面のイグニスは淑女教育が始まってからのメリアの様子について訪ねてきた。
唐突な問に不審に思いつつも記憶を辿り初対面時からごく最近までのメリアの変化を確認し、カナリアは手短に感想を返す。
「……異常、の一言に尽きるわね」
言っては悪いが、この世界のメリアは質の悪い残念ヒロインであった。教養は足りておらず努力は嫌い。女生徒との交流はせず、見目がうるわしい地位の高い殿方とばかり仲を深めていたこともあって周囲の評判は悪かった。ところが今はどうだ。
カナリアによる淑女教育が始まったあの日から、メリアは変わった。今では控えめで愛らしく、礼儀正しい努力家な『絵に書いたような』理想のヒロインそのものだ。お陰で今や初期とは逆にメリアに心酔し、聖女である彼女を未来の王太子妃にと推す声も出始めている。まだまだ数は少ないが。
「彼女の著しい成長は私の教育の賜物だと私を評価してくれている方も多いけれど、実際は違うわ。あの日、教育の場に現れたメリア様は既にあの性格に変わっていたの」
「それは変わったのではなく、乗っ取られているのかも知れないな」
重たい声音で呟いたイグニスが、徐に棚から一冊の本を差し出す。
「これは?」
「我が国の歴史で一度だけ、何の前触れもなく愚王に変わり失墜した王が居たことは知ってるか?」
「えぇ、ハデス王によるひと月の悪政と弟君による革命の年ね。表向きに知られていない事だけれど、王太子妃教育で国の歴史は一通り暗記済だからもちろん知っているわ」
「そのハデス王の豹変の理由と思しき内容がそこに記されている。読んでみろ」
促され、息を呑んでから大分古びたその表紙を開く。中は、ハデス王のつけていた日記だった。途中までは妻を愛し国を愛し、民に尽くせし剣王の記録。だがしかし、『異国の使者から珍しい装飾の鏡を受け取った』と記された日を堺に、それは私利私欲の為に力を振るう愚者の独白へと変貌した。
「異国の、鏡……」
前世の御伽話でも目にしたものだ。人の心の虚を突き悪に走らせる、魔法の鏡を。
「聖女伝説の始まりは、正にそのハデス王の時代。王の弟と手を取り合いハデス王を討ったその女性こそが初代聖女だった。なんでも、その鏡を持ってきた使者と同じ異国から来ていたシスターだったそうだ」
どこか引っかからないか?とイグニスに問われ、カナリアは重々しく同意した。
「この“鏡”こそが諸悪の根源なのね……」
自作自演と言うやつだ。初代聖女とその使者は恐らく共犯だったのだろう。
「そう言うことだ。その鏡は
「……っ!」
その単語を聞いた瞬間、カナリアが勢いよく机に突っ伏した。
(そう、ここでこの話が出てきちゃうのね……!)
今イグニスが口にしたその鏡の魔物こそが乙女ゲームの真のラスボス。”悪役“であるカナリアやイグニスを操りヒロイン達を苦しめる“敵”なのだ。確か、乗っ取った人間の人柄を真逆にしてしまう力があるのではなかったか。
それがまさか、他ならないイグニスからその名を教えられることになろうとは。しかも、この話の流れだと……。
「イグニスは、メリア様がその
「メリア嬢だけじゃない、リヒトもだ」
「えっ……?」
「今のリヒトは、俺と出会った頃のリヒトじゃない。全くの別人なんだ」
動揺のあまりカナリアの手からずり落ちた本が、嫌な音を立て床へと散らばった。
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