Ep.26 移り変わる心

 麗らかな日差し、華やかで味も絶品のお茶菓子とお気に入りの紅茶の香り。咲き誇る花々に囲われた公爵家の自慢の庭で、カナリアは難しい顔をしていた。


「カナリア様、いかがなさいました?私の所作に何か不備がありましたらご指摘くださいませ」


「……いいえ、お茶の淹れ方や所作に問題は無くてよ。まだ淑女教育が始まって二週間だと言うのに素晴らしい成長ですわ」


「わぁ、ありがとうございます!それもカナリア様にご指導頂いているお陰ですね!!」


 パァっと花が咲くように笑う目の前の少女は正にヒロインそのもの。女であるカナリアから見ても可愛いと思ってしまう。

 だからこそ解せない。淑女教育が始まったあの日以降、メリアが実に素直に純粋にカナリアの指導を受けていることが。あれ程執着心を見せていた攻略対象達との関わりも絶っていると聞く。あの狡猾であざとくカナリアを目の敵にしていたあの子はどこに行ってしまったのだろう。まるで人が変わってしまったようだ。


(確かこの“何の前触れもなく別人みたいになる”現象、ゲームで似た描写があったけれど……でもあのシナリオなら人が変わるのは攻略対象の男の方だったしなぁ)


 内容はうろ覚えだけれど、そもそもあれはゲーム終盤のエンディングのハッピーかバッドかを左右するかなり重たいイベントだった筈。まだ2年にも上がっていない今起こるわけはないのである。


(……でも、妙に胸騒ぎがする。一度彼女と同じような異変の前例が無いか調べてみた方が良さそうね)


 紅茶を優雅に楽しむ風を装いながらそう思い立ち、カナリアは楽しそうに茶葉を選んでいるメリアに土産の菓子を持たせる。


「あら、もう時間ですわね。メリアさん、本日の課題は充分合格ですからもうお帰りなさいな」


「わぁ、ありがとうございます!明日も頑張りますね!!」


(……っ!こうして見ると、本当に可愛らしい子よね)


 パラメーター完凸のヒロインが如く眩しい微笑みと優雅な一礼を残して去っていったメリアを見送り、我慢していたため息を吐き出した。


 メリアからは近づかなくなったものの、今度は急に距離を置かれた男達の方が彼女を追いかけているとも聞く。そしてそれは、カナリアの婚約者であるリヒトも例外ではない……とも。あくまで噂だが。


「……駄目ね、婚約者のことを噂ごときで疑って不安になるだなんて淑女の風上にも置けないわ」


 胸に燻る不安と不満を振り払うように頭を振った。今日はこの後、半月ぶりに婚約者リヒトと会うのだ。最近はなにかと都合が合わず顔をあわせて居なかったのだから、せめて会えるときには笑顔で居なくては。

 

(ヒロインが現れるまでは、リヒト様に会えると言うだけで気持ちが浮き足だって自然に笑えていたのに)


 今は、“笑わなければ”と思ってしまう。彼に会うのが憂鬱な位に気持ちが重い。そして何より、そう思う度対比のように頭を掠めるとの時間。それを頭から振り払う度、小さく胸が痛むのだ。


「いけない、もう時間が無いわ。気持ちを切り替えなくては」


 王宮に出向くと言うのにまだドレスも選んでいない。身支度を手伝ってもらおうと呼び出し用のベルに手を伸ばしたその時、今まさに呼ぼうとしていた相手がカナリアの自室に飛び込んできた。


「カナリア様!」


「マーガレット!どうしたの?そんなに血相を変えて……。今、リヒト様とお会いする支度をしようと」


「そんな場合ではございません!すぐに馬車にお乗りくださいっ!!今王宮から文が届き、リヒト様とイグニス様が……っ」


『視察先の森林で凶暴化した魔物に襲われ重症とのことです』


 顔色を無くしたマーガレットの叫びに、一瞬で血の気が引いていく。淑女教育用の簡素なドレスであることも忘れて、すぐに部屋から飛び出した。













ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 王太子の婚約者であり日頃の評判が良いこともあって、カナリアはすぐに厳重に警備されたリヒトの部屋へと通して貰うことが出来た。

 1度深呼吸をして気持ちを整え、王宮の侍女が開いてくれた扉を潜る。そして。


「はいっ、これでもう大丈夫ですよ。!!」


「あぁ、ありがとうメリア。君の力は本当に素晴らしいね」


 意を決して踏み出した足は、中から響いてきた二人の会話で止まってしまった。何故、つい先ほど別れたばかりの筈の彼女が自分の婚約者の部屋に居るのか。


「ーっ!カナリア様!」


「え?あぁ、カナリア。君も来てくれたのかい?」


「……っ!えぇ、リヒト様が重症だとうかがいまして。お身体は大丈夫ですか?」


「あぁ、見ての通りもう大丈夫だ。メリアが治してくれたからね。それにしても……」


 すっかり無傷な身体を寝台から起こしたリヒトがクスリと小さく笑った。


「髪も乱れて居るし、君にしてはずいぶんと質素な装いだね。らしくないなぁ」


「……っ!」


 カッと頭に熱が上り、同時に心の芯のような部分が冷めていく。リヒトに寄り添いながら『公爵家を出てすぐに王宮が大変だから治療を頼みたいって使者さんに呼ばれて……』だのと言い訳を紡いでいる女の存在が、逆にカナリアを冷静にさせた。


「これはこれは、重症と聞き急いで馳せ参じたとは言えお見苦しい姿で失礼致しました。リヒト様が御無事で何よりですわ。では、お目汚しな私は失礼いたしますわね。ごきげんよう」


 ここまで来て尚1ミリも離れない二人に憂鬱に膝を折り、リヒトの私室を後にする。“聖女”に癒され無傷となった筈の婚約者は、追いかけては来なかった。






「(ここで泣いては淑女の名折れだわ、早く、早く馬車に……)きゃっ!」


「ー……っ!すまない、大丈夫か!?」


 泣きそうな顔を誤魔化す為うつ向いていたので、曲がり角で誰かとぶつかってしまった。謝ろうと相手と顔を合わせて目を見開く。

 鉢合わせたのは、体のあちこちに包帯を巻かれ左手に杖をついた満身創痍のイグニスだった。


「いっ、イグニス……様!そんな傷でどちらに……!」


「あぁ、俺とリヒトを護ってくれた衛兵達の具合が心配でな。自分の目で様子が見たくて。視察先での話は聞いてるか?……っ!」


 かなり痛むのだろう。無理して微笑んだイグニスの身体がぐらりと傾く。反射的にそれを抱き止め支えたカナリアに、彼は力なく笑った。


「はは、情けない姿を見せて悪いな。それに……」


 普段は歳より子供っぽくて雑な癖に、ずるい。何故こんな時だけ、優しい手つきで髪を撫でるのか。


「身なりを気にする余裕も無い位、心配をかけたんだろう。不安にさせて悪かった。幸い死者は出てないしリヒトも兵達も無事だ。安心しろ、カナリア」


「……っ!誰より自分が一番大丈夫じゃないじゃない。何でこんな時だけ誰より優しいのよ、馬鹿ぁ……っ!!」


「ーっ!!?おい、何だどうした!?」


 ぼろぼろと溢れ出したカナリアの涙にイグニスが慌て出す。“淑女”らしさの欠片もないその振る舞いに呆れることもなく、イグニスはただカナリアの背中を擦ってくれた。









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