Ep.8 すれ違う思いを繋ぐ為に
「勝負あったね、
「……っ!」
膝をついたイグニスの喉元に模擬剣の切っ先を突き付けリヒトがにこりと微笑んだと同時に、弾き飛ばされ宙を舞ったイグニスの剣が結界外の地面へと突き刺さった。
「体術が禁止な以上、剣がなければ戦えないよね。さぁ、なら言うことがあるんじゃないのかな?」
髪の一本すら乱れていない完璧な立ち姿のリヒトに爽やかに促され、ぐっと拳を握りしめ項垂れたイグニスが悔しげに呟いた。
「参り、ました……」
『よろしい』と笑んでリヒトが剣を下ろす。結界のギリギリ内側で膝をつかされたイグニスは、悔しさをぶつけるように拳で地面を叩いた。
決着がついたと見なされて、張られていた結界が自動的に消滅する。
「リヒト様、イグニス様も、あの、とりあえず汗を拭きませんか?」
あらかじめ用意していたタオルと飲み物を手に二人に駆け寄ったものの、何と声をかけるべきかわからなくて無難すぎるそんな言葉しか出てこなかった。我ながら情けない。
リヒトはいつもと同じ笑顔でタオルを受け取ってくれたが、イグニスは未だに大地に手をついて項垂れたままだ。そのせいで表情がわからない。
顔を覗き込んで良いものだろうか、と悩んだその時、イグニスの拳に小さな雫が落ちた。
「イグニス……っ、様!そんな何も泣かなくても……!」
「やかましい!泣いてないわ!!汗だ汗!」
弾かれたように顔をあげたイグニスがカナリアの手からタオルを引ったくる。よく見てみれば、確かに彼の目に涙のあとはなかった。
(なんだ、私の早とちりか。びっくりしたわ……)
ほっとカナリアは息をついたが、若干気まずい空気は拭われないままだ。
誰もが下手に動けず居るその場で、リヒトだけが静寂を破るようにパンと手を鳴らし、今しがた兄を叩きのめしたばかりとは思えない明るい声を出す。
「さぁ、何にせよこれでもう兄上がカナリアに会う必要はなくなりましたね」
「ーっ!……どういう意味だ」
キッと鋭い眼差しを向けてくるイグニスに、リヒトはにっこりと笑って見せた。
「兄上は元々、僕と対等に勝負をするためにカナリアに近づいた。そして、貴方のその目的は今果たされた。ならばもう、兄上が彼女と交流を持つ理由は無いでしょう?」
『貴方と彼女は、元々なんの交流も無い“他人”なのだから』
その的を得たリヒトの言葉に、イグニスはもちろんカナリアも言葉を失った。
(言ってることは間違いではないけど、ここまで突き放すような言い方リヒト様らしくないわ……)
だが、確かにリヒトの言う通りではある。カナリアとイグニスは現時点で、いずれ義理の兄妹になる予定の“他人”であるから。それでも、なぜだかどうしてもモヤモヤした。
「……っ、待て!俺はまだ満足してない!もう一回だ、次は俺が勝っ……っ!」
いつもカナリアにしていたように喰ってかかろうとしたイグニスの声が止まった。胸ぐらをつかもうとして来た兄の喉元に、リヒトが自分の模擬剣を突き付けたのだ。
洗礼されたその動きに一歩も動けず硬直した兄の頬に、リヒトがそっと手を添える。
絵面的にはかなり美味しい場面だが、とてもだか萌えられる雰囲気ではなかった。
「兄上がどうしてそこまで僕と対等になりたがるのか知らないけど、これ以上必死に自分を追い詰めていく貴方を僕は見ていられないよ。だから、ハッキリ言いますね」
『何度やったって同じです。貴方に僕は倒せない』
「…………っ!」
「ーっ!!イグニス様!!?」
如何にも胸を痛めていますと言わんばかりの悲壮な表情で胸に手を当てたリヒトが、イグニスに囁いた瞬間、目を見開いたイグニスは何も言い返さずその場から走り去って行った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「あの……、リヒト様」
「ん?何だい?」
「少し……、言い過ぎだったのではないでしょうか?イグニス様はリヒト様と仲良くされたいだけなようですし。わざと傷を抉るような言い方せず、歩み寄ってみられてはいかがでしょう?」
しんと気まずい空気が漂うなか、カナリアが意を決してリヒトに言う。無表情のリヒトが、振り向いた。
「カナリアは、兄上の味方をするのかい?」
「ーっ!いえ、そう言うわけでは……!ただ、王子同士の不仲と言うのは国の乱れを招きます。ならば、表向きだけでも良好な関係を築く方が得策ではないかと……」
『それに、あんな誰かを攻撃するような言い方は、リヒト様らしくないです』と言うカナリアの言葉に、リヒトはふっと笑った。
「うん、……そうだね。兄上の気持ちは、僕もわかってる。でもね、野心家が多い我が国の貴族社会において兄上の立場は非常に複雑だ。無闇に仲良くしてしまうと、“下賎の血が入った王子が純血の方に取り入ろうとしている”と見られて却って危険なんだよ。だからこそ、兄上には僕の為に苦しむほどの無理はせず、自分らしく居られる場所で生きてほしいと思っただけだったんだけど……結果的に、傷つけてしまったね」
『ごめんね』と、リヒトの長い睫毛がその宝玉のような瞳に影を落とすと、なんだかこちらがものすごく悪いことをしている気になってくる。
カナリアは慌ててリヒトの両手を握った。
「だ、大丈夫ですよ!イグニス様は馬……っ、いえ、不器用なほど真っ直ぐで単調なお方です。リヒト様の本心が伝われば、今すぐは無理でもわかりあえる日が来ますわ。わたくしも、この国の未来の安泰の為にも、お二人がいつか手を取り合って進んでいけるよう尽力致しますから!とりあえず、今はまず仲直りですわね!!」
意気込んでドンと胸を叩くカナリアに、リヒトがふわりと笑った。
「ありがとうカナリア、君は本当に頼もしい女性だ。じゃあ、早速ひとつ頼もうかな」
「はい、なんなりと!」
「ふふ、ありがとう。兄上はどこかに行ってしまったけど、僕はこれから街の収穫祭の方に顔を出さなければいけなくて彼に謝りにいけないんだ。だから、」
『兄上のこと、頼むね』と言われ、カナリアが頷く。
彼とこれからも付き合っていくかどうかの判断は君に任せるよと言い残し、リヒトは礼服に着替えてバーナード家を後にした。
(あのリヒト様の格好、どこかでみたことあるような……。まぁ、今はいいか)
それより、今はイグニスだ。
随分気まずい思いをしたが、二人がなんだかんだお互いを思いあっていることはわかった。
イグニスは弟を思えばこそリヒトと真剣に向き合い距離を縮めることを望み、逆にリヒトは、複雑な地位の兄を思えばこそ距離を置こうとしている。これはなかなか難儀なことだ。同じように相手を大切にしながら、お互いそっぽを向いている。
(でも、いつかきっと向き合える日が来る。なら、私の役割は……)
二人の王子が向き合えるその日まで、彼等の関係を繋ぐ橋に……いや、思いを伝える渡り鳥になること。
だから、イグニスとの関係も、絶ちはしない。
屋敷の影で踞っていたイグニスを見つけたカナリアは、そう決意して微笑んだ。
「……みーつけた」
「……っ!カナリア嬢……」
びくっと肩を揺らしたイグニスが、カナリアの声に顔をあげる。その顔を見て、驚いた。
「泣いてる!!!!」
「泣いてねーわ!!!」
強がりなイグニスのその様子に苦笑して、躊躇わず彼の隣に腰かけた。
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