虚ろな王威

 周囲をジャングルみたいな森に囲まれた、十メートル四方ほどの平地。そこは下草が刈り揃えられ、いくつもの花が咲いている。ジュニパーの背から降りようかと腰を浮かせたあたしの太腿を、前に座るミュニオが静かに押さえた。降りるなってことだろう。ミュニオもジュニパーも、わずかに警戒している。

 王城を出てから延々と、そしてこの先もずっと鬱蒼とした森ばかりの環境だ。急にお花畑が現れるのも、たしかに不自然ではある。


「お待ちしておりました、陛下」


 平地の中心に立つ小さな人影は、そういって静かに平伏した。

 こいつには見覚えがある。狐の尻尾を生やした小僧。もうずいぶん前のことみたいに思えるけど、道中で会ってる。名前は……


「なんだっけ、あいつ」

「イハエルだね。ほら、ソルベシアに入る少してまえで会ったでしょ?」


 ジュニパーは覚えていたようだ。いわれてみればそんな名前だった気もする。


「用は」


 短く問うミュニオの声に、イハエルは顔を上げた。

 笑みを浮かべている表情は、前に見たのと少し印象が違う。ガキっぽい甘えと不安定さが消え、感情が抑えられていた。


「神木のお告げに従い、“真王”ミュニオ陛下を玉座にお迎えするためお待ちしておりました」

「……まだそんなこといってんのか」


 馬上で呆れているあたしには目もくれず、前に座るミュニオだけを見つめながらイハエルはいう。

 なんか、おかしい。子狐からの急激な変化を成長と呼ぶには、妙な違和感が邪魔をした。


「それが巫覡ふげきの役目」

「イハエル、もうミキマフは死んだの」

「はい。そうなることは決まっていると、神木が」


 いくぶんイラッとしながらも、あたしたちはイハエルの説明を聞く。

 玉座には、真の王族のみを呼び寄せる――といえば聞こえは良いが、実態は強制的に束縛する――魔法陣が組み込まれているのだそうな。かつて“魔女”なる北の魔導師が魔法陣に手を加えて、北の大陸との自由往来を可能にしたが、ソルベシアの政情が不安定になってくると元に戻された。

 ソルベシア王国の後継者であるハイダル王子は、鎖国を選択したのだ。自分たちが手を差し伸べたことで、逆に祖国は不安定になった。民の自助努力を阻害する結果にしかならなかったと。


「ハイダル王は、ソルベシアを見捨ててしまわれた。エルフの森に王は必要ないと、玉座を捨てて出奔してしまわれたのです。いまこそ民が望む真の王として、ミュニオ陛下の登極を」

「王になる気はないの」


 イハエルは平伏したまま固まった。ざわざわとおかしな気配が伝わってくる。ミュニオは硬い表情でイハエルを見据え、ジュニパーは水棲馬ケルピーの姿のままで静かに力をめる。


「ハイダル王は正しかったの」

「なんと」


 イハエルはミュニオの拒絶に不満を表すでもなく、笑顔のままわずかに驚きを演じるだけだ。

 あたしの頭のなかで、警報が鳴り響く。ざわめきが高まって、森のなかに敵を感じられるようになった。


「隠蔽魔法。攻撃の隙を窺ってる」


 ジュニパーが囁きに近い声で告げる。ミュニオはカービン銃マーリンを背負ったまま構える様子はない。

 ただ、小さく溜め息を吐いた。


「やっぱり、ダメだったの」

「ダメ? 何がだよ」

「ソルベシアのエルフは、。能力があっても、機会があっても、自分の足で立とうとしないの。弱者のふりをしてすぐ他人に頼り、助けてもらって、それを当然みたいに考える。自らを省みず、愚かさがもたらした結果を受け入れない。だから王国は、滅びるべくして滅びたの」


 ミュニオは珍しく自分の言葉で、冷淡に吐き捨てた。


「そうあるべきだったの。誰も、助けるべきじゃなかったの。そのときも。そして、いまも」

「黙れ、愚王!」


 森のなかから、エルフたちが姿を現す。手に手に弓や手槍を持ち、顔は怒りと憎しみで歪んでいる。


「真摯に救いを求める民に対して、なんたる暴言!」

「ソルベシアが荒れ果てた責任は、無能な王族にある!」

「民を虐げる王に! なんの価値があるか!」


 ずいぶんとまた、あからさまに上から目線で出てきたもんだな。罵倒を受けたミュニオの背中には緊張も動揺もない。おそらく彼女は、最初から察知していた。むしろ、聞かせるつもりでの発言だったのだろう。


「イハエル」


 冷え切ったミュニオの低い声。それだけで周囲は、しんと静まり返った。


「これがソルベシアの総意か」


 元小狐の小僧は、嘘臭い笑みを貼り付けたままで答えようとしない。森に張り詰めた敵意はどんどん数を増やし密度を増す。その数は既に四、五十人にはなっているだろう。

 こいつら、自分たちは安全圏にいるような気になっているんだろうか。自分たちだけは、“恵みの通貨”に食われれないと思っているのか。


「やれ!」


 周囲から一斉に、矢と攻撃魔法が放たれる。動こうとしたジュニパーの背を押さえるように叩き、ミュニオは身体から緑の光を放つ。平地の下草がぞわりと膨れ上がって壁になり、矢も魔法もそれに呑まれて消えた。

 あたしたちを囲った草の壁を切り裂いて、剣を持った一団が現れる。こいつらもエルフのようだが、甲冑みたいのを着込んでいて正体まではわからない。もう興味もない。


「愚王、覚悟ッ!」


 左から向かってきた三人に自動式散弾銃オート5を向ける。面頬マスクに散弾を叩き込むと、首から折れ曲がって崩れ落ちた。右から来ていたふたりはミュニオの風魔法で首を斬り飛ばされ、正面からのひとりはジュニパーの前足で踏み潰された。


「ったく、まさか旅の終わりが、こんなんだとはな」

「……ごめんなさい」

「ミュニオが謝ることじゃないよ。むしろ、ぼくらにはこんなの結末がお似合いだと思う。……ね?」

「ね、っていわれてもな」


 答えながらあたしは、思わず笑ってしまった。ジュニパーとミュニオも、揃って吹き出す。

 場違いな感情なのは、もちろんわかってる。でも一周回って、楽しくなってきた。


「もう行こうぜ、付き合いきれん」

「「うん」」


 草の壁が消えると、周囲には手槍を構えたエルフたちが待ち構えていた。誰もが敵意を露わにしているものの、しきりにキョロキョロと視線を泳がせている。

 そこにイハエルの姿がないことに気付いた。この期に及んで逃げたんだとしたら、いっそ驚くほどのクズだな。


 ジュニパーの突進でエルフたちはピンボールのように跳ね飛ばされ、転がって動かなくなる。悠々と突破して振り返ったところで、エルフたちの追い縋る姿が見えた。


「待て!」

「貴様ら! この地から逃げられるとでも……ッ⁉︎」


 エルフたちは伸びてきた草に足を取られて倒れる。そのまま絡まって、もがく顔が驚愕に歪んだ。それはすぐ恐怖に変わる。

 ぽんと弾け、平地の草花が膨れ上がった。それが連鎖的に続く。その光景が、背後にどんどん小さくなってゆく。


 わずかに届いていた叫び声も敵意も消え、後には森だけが残った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る