サイモンの別離

 回光信号用投光器シグナルライトで信号を送っていたテオが、三回目を試行後にこちらを振り返る。


「アニキ、反応はねえぞ!」

「一分後に、繰り返せ」


 なんとか外洋まで逃げられてのは良いが、明かりのない海上は完全な真っ暗闇だ。おまけに雲がどんよりと厚く、月明かりもない。乗っているのはそこそこ新しいとはいえ沿岸警備が主任務の小型船舶だ。天候まで荒れ始めたら遭難の危険もある。


“セイント・セイント・セイント”


 あんなにもゲンナリさせられた呼び名を、まさか祈りを込めて送り出すことになろうとはな。


「爺さん、通信機じゃダメなのか?」

「ああ、この船のはな。この国も、この国に干渉してきた国も、いまの俺たちには敵対勢力だ」

「だったら、アンタは誰に……」


 音が聞こえてきた。遠雷のような音が、次第に近付いてくる。波と風の音が反響して、対象がわからない。


「……何か来るの」

「ミュニオ、それがどこからかは、わかるかね」

「向こう、一ミレ半。大きい船が、こちらに向かってくるの」


 おそらく敵だ。少なくとも味方ではない。大型艦艇だとすると、パトロールボートで対処するのは難しい。重機関銃を発砲すれば、砲弾が返ってくるだろう。逃げ切るしかないが、それもレーダーに捉えられた状態では不可能に近い。


「ジュニパー、速度を上げてくれ!」

「待て、アニキ! チョッパーだ!」


 上空からパタパタスラップ音が接近してくる。さっきから聞こえていたのは、こっちか。重機関銃を向けようとしたミュニオを手で制する。


「大丈夫だ、ミュニオ。あっちは敵ではない」

「あれは……魔物、なの?」

「いや、嬢ちゃんたちは初めてかもしれんんが、こちらの世界の乗り物だ。あれがわたしの接触しようとしていた相手だよ」


 敵ではないといったが、味方かどうかは未知数だ。“敵の敵”、もしくは“敵の敵の敵”といったところか。

 執事ミハエル経由で交渉を依頼はしたが、条件を詰めてはいない。こちらの要求が受け入れられるかどうかは賭けだ。他に方法がないとはいえ、誰かに命運を託すのは気持ちの良いものではないな。


 こちらを発見して高度を下げてきたのは、グレーのUH-1Nヴェノム汎用ヘリコプター。

 ジュニパーに船を停めてもらい、俺が手を振ると上空からロープ降下ファストロープで兵士がふたりデッキに降りてきた。

 ゴツい夜戦装備の男たちは敬礼して、ひとりだけ俺に近付いてくる。もうひとりが舷側で警戒に当たるところを見ると、まだ信用はされていないようだ。


「サー・サイモン・メドベージェフ⁉︎」


 ヘリの騒音とローターが起こす風ダウンウォッシュのせいで声がデカい。


「ああ、そうだ! 娘たちは!」

「執事とご家族は、事前に無事収容しています! 急いでください、こちらの海軍艦艇が向かってきています!」


 ミュニオとシェーナは重機関銃から離れ、両手を見えるように出して立っている。

 彼女の能力からするとあまり意味のないことなのだが、兵士を刺激しないように配慮してくれたのだろう。


「彼女らは⁉︎」

「脱出に協力してくれた方々だ、無礼な真似をするなよ!」

「回収は必要ですか⁉︎」

「不要だ! ピックアップは、わたしとボディガード、それと、そこの演台だけで良い! 彼女らには、ここで船の処理をしてもらう!」

後腐れインセキュリティは!」


 まったく。たかが一兵卒に、軽く見られたもんだ。


「論外だ! 彼女たちの身元は、わたしが保証する!」

「イエッサー! では、そのハーネスを!」


 演台を抱えてのそりとデッキに現れたテオに、兵士たちの背筋が強張る。


「よう、“パーク”で会ったな」

「ミスタ・ブラックジャック、あなたもハーネスを!」


 俺とテオを吊す準備を済ませ、兵士はヘリに合図を送る。俺たちがウィンチで引かれて上昇するのを見ながら、シェーナとミュニオが笑顔で手を振ってくれた。

 シェーナはそろそろ限界らしく、ふらつきながらミュニオに支えられている。


「ありがとう、この借りは必ず返す!」


 何か答えてくれたようだが、声は風の音で掻き消された。俺たちがヘリに収容された後、兵士ふたりも戻って機体はすぐに上昇し始める。


「目標回収! 帰還する!」


 ヘッドセットを外した兵士のひとりが、俺を見て首を振った。


「サー、あの赤ずくめの娘たちガールズインレッドは、何なんです? それと、その演台はいったい……?」

「ウェストランド・パークのマスコットに似てますが、キャンペーン・ガールですか?」


 彼らは頭脳担当ではないのだろうが、あまりのお粗末さに失望した。パークの名称も間違ってるし、想像力も欠如してる。もし冗談のつもりならば、それはそれで最悪だ。


「これと彼女たちは、わたしの富と名誉を築いてくれた、守護神みたいなものだ。下手に触れると、あの国のようになるぞ」


 遠ざかる陸地を指しながらいうと、兵士たちはよくわからんとばかりに肩を竦めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る