サイモンの闘争

「……アニキ、ありゃ天使か?」

「だとしたら、俺たちに慈悲を与えてはくれんだろ。俺たちはもう死んでて、天使の夢でも見てるのかもしれんぞ」


 テオに軽口で応えてはみたものの、実際ミュニオの嬢ちゃんは天使みてえな技を使う。傷どころか痛みまでキレイに消えちまった。その効果は、目の当たりにした自分でも信じられん。

 俺たちはふたりとも、全身くまなく痛めつけられて死ぬのを待つばかりだったんだがな。


「しッ」


 俺たちの戦闘にいたシェーナが手を挙げて静止を指示する。

 牢のあるフロアの出入り口は、上階への狭い螺旋階段だった。こんなところを通された記憶はないが、そもそも運ばれたときの記憶は朧げだ。人生全部合わせたより多くの薬物を突っ込まれて、頭のなかには極彩色の花畑が広がってたからな。

 共産主義者コミィの連中が惜しみなく与えるのは、敵への麻薬と弾薬くらいのもんだ。


「あたしが左、ジュニパーが右。ミュニオはバックアップだ」

「うん」

「わかったの」


 出会った頃ド素人だったシェーナは、いつの間にか恐ろしいほどの猛者に育っていた。そんなクライアントを眺めながら、俺は小さく息を吐く。

 結果として彼女らに助けられたが、今夜はあまりにも色々なことが起きすぎた。セィボレィを始末した後ホテルを脱出して屋敷に戻り、執事ミハエルに事後を託してピックアップトラックに飛び乗ったのは夜中近くだったか。それからカーチェイスとドンパチがあって車ごとひっくり返り、そこから先は記憶も意識も切れ切れだ。

 朦朧とした意識で覚えているのは波の音と耳障りなスラヴ語の罵りだけ。拷問を受けたようだが、それも記憶はハッキリしない。


“命懸けの逃走中に、わざわざこの祭壇アルターリを持ち出したのはなぜだ”


 その質問だけは覚えてる。なんて答えたんだったかな。その答えでボルシチ野郎は面白いくらいにブチ切れたんだが……ああ、そうそう。


“それが錬金術アルヒーミヤの窯だからさ。お前も祈れば、真鍮くらいは降ってくるかもしれんぞ?”


 そう間違ったことは、いってないんだがな。銃の形にした指を突きつけたのが拙かったか。


「爺さんたちは呼ぶまでそこにいろ」


 ブローニング・オート5を抱えたシェーナが階段を登って、その後にルゥガー・レッドホークを持ったジュニパーが援護に動く。後衛にはマーリンM1894カービンを構えたミュニオ。初めて見るが、息の合った見事な連携だ。


「いいぞ、登ってこい」


 シェーナの指示で俺たちが上がると、そこは薄暗い廊下だった。右奥にエレベーター、左奥にドア。俺たちが運ばれたのは、あのエレベーターだったのかもしれん。


「……シェーナ、どんどん魔力が減ってるの」

「わかってる。急げ爺さん」


 全身真っ赤な服の少女は、顔だけが青褪めてきていた。酸欠状態チアノーゼに似ているが、どこか違う疲労状態だ。


「シェーナ、こちらの世界に繋がってる間ずっと、その魔力チャームを消費しているのか?」

「そうみたいだな。時間切れまでに船を手に入れないと、お互い無様なことになるぞ」


 そういいながらも、シェーナは果敢に進み続ける。


「ミュニオ、爺さんを頼む。オッサン、演台持ってドアの前まで来てくれ」


 扉の前でタイミングを測り、シェーナとジュニパーが外に向かって出てゆく。

 ショットガンとハンドガンの銃声が五、六発ずつ響いて、すぐに静かになった。


「良いぞ、出てこい」


 俺たちが扉を開けると、外はフェンスに囲まれた倉庫街だった。フェンスを越えた先には埠頭が見える。銃声は聞こえたはずなんだが、そこにいるのはシェーナとジュニパーだけだ。敵もいないし、薬莢も血痕も、戦闘の痕跡もない。


「爺さんが見た奴らか知らんけど、建物の前と車にいた六人は始末した。残りがいれば、そのときだ」


 周囲を見渡してみても車は見当たらない。こちらの要望通りに死体ごと引き取ってくれたのだろう。


 ジュニパーが先に立って、フェンスの扉をチェーンごと蹴り開ける。要人警護みたいなフォーメーションで、三人の嬢ちゃんたちは俺とテオを埠頭まで誘導してくれた。


「シェーナ、船があるの」

「なかにも周りも、ひとの気配はないね」

「爺さん、あれ敵のか?」

「そこまではわからんが、生産国でいうと、辻褄は合うな」


 マングスタクラス。ロシアの沿岸警備隊コーストガードが採用した全長二十メートル弱六十フィート強高速警備艇パトロールボートだ。俺たちの国辺りに出回るものではない。共産圏には輸出されているだろうし、本国の関与も否定はできないが。不自然に明るい塗装で民間船舶を装っているようなあたりが、妙に臭う。


「シェーナ、それを持っていくといい。途中まで送ってもらえれば、操縦と武装の説明をするよ」

「アニキ、実戦練習になりそうだぜ」


 テオが指す方を見ると、逃げてきた建物の周辺でサーチライトが動き始めていた。監視カメラか警報装置でもあったか、それとも生き残りがいたかだ。

 その間にテオが手早く舫綱を外して船に飛び乗った。操縦席に入って、エンジンを掛ける。やっぱり無事では済まんのか。


「嬢ちゃんたち、最初はテオが操縦する。追っ手が来たときには武器を頼む」

「……爺さん、悪いけど、あたしは……そう長くは持たねえよ」

「わかった。おいテオ、ジュニパーに操縦を教えてくれ」


 もうシェーナは接続を維持できるだけのチャームが残っていないか。彼女らにはこの船を持ち帰ってもらうつもりだが、そうなると俺とテオは弾かれて海に落ちるわけだ。


「ついでに、俺とお前の救命胴衣ライフジャケットも頼む」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る