(閑話)サイモンの過誤

「サー・サイモン・メドベージェフ。お迎えにあがりました」


 屋敷の前に素っ気ないクライスラーのセダンが停められていた。運転手然とした顔で後部座席のドアを開けているのは、国家安全情報局N S I Aの下級職員。見た目は雑用以外に何の能もなさそうな、萎びた面の若造だ。

 その実、諜報活動に長けたエージェントだということは知っている。油断はしないが、干渉もしない。


「おいテオ、なんでお前まで乗ってくる」

「なにいってんだ、アニキには護衛が必要だろうが!」


 無理やり車内に入ってきた自称・護衛の中年男を、運転手顔のエージェントは困った顔で見る。

 口出しでもしたら噛みつくぞとばかりに唸り声を上げるのを見て、諦めたのか若造は静かにドアを閉める。

 まるで餌を取られかけた野良犬だ。


「おっかしいだろ! なんでアニキがパクられるんだよ⁉︎」

「だーから、静かにしろ。俺はパクられんじゃねえ、ただの事情聴取だ」


 まあ、いまはな。

 場所に指定されたホテルに向かう車のなかは、野良犬のように吠えるテオの独演会だった。聞き耳を立てていた運転手の若造も、いまは完全に意識を遮断している。

 いきり立ったテオを宥めながら、俺は密かに溜息を吐く。

 他の手段を思い付かなかったとはいえ、さすがに少しばかりやり過ぎた。


 昨夜、隣国の沖合に停泊中だった貨物船から出火。延焼が激しいため船内にいた人員は船を捨てて脱出した。

 翌朝ようやく鎮火した貨物船は港まで曳航され、船内からは逃げ遅れて焼死した船員と思われる死体と、大量の武器弾薬、そして装甲車輌の残骸が発見された。

 どこからどう見ても共産圏の余剰兵器だ。誰だって“聖者”との関係を疑って掛かる。


「なにがどうなってんだよ。だいたい、その……なんだかって国は、南の島だろ?」

「それは便宜置籍船FOC、車の偽造プレートみてぇなもんだ」


 もちろん実際はまったく違うが、テオの頭に入れるにはこのくらい簡略化が必要になる。


「……そんなもん、俺にゃわかんねえよ」


 そもそもこの低脳の野良犬、その船を焼いたのがてめぇの作っただってことに気付いたのは現在いまときた。いきなり唸り声を上げながら目を白黒させてるが、余計なことをいうべきじゃないって頭くらいはあるようだ。

 もう完全に遅いけどな。


 船の燃えカスが繋がれてるのは、俺たちの隣の国。俺が呼ばれるのは筋違い、ではある。

 その無理筋を通したってところに、NSIAが確信を持っているらしい感触があった。


「サー、上司が……」

「ん?」


 ホテルの前に停車したと同時に外からドアが開き、エージェント・マクネアが嘘臭い笑みを浮かべて立っていた。

 相変わらず、案山子のような印象の女だ。背格好も、姿勢も表情も、ある意味で内面もだ。


「こんなに早く、またお会いできるとは思っていませんでした。サー・サイモン・メドベージェフ」

「わたしもだよ、ミズ・マクネア。わざわざ車回しまで出迎えに来てもらえるとはね」

「逃さないためですよ。お構いなく」


 こういうところも相変わらずだ。

 並んで歩きながら、ホテルのエレベーターに向かう。エントランスの要所に立っているブラックスーツの男たちは穏やかそうな笑顔を浮かべているが、ホテルマンではない。

 イヤージャックを付けてショルダーホルスターに銃を吊ったホテルマンなどいない。まさか一般客をシャットアウトしたか。


「サー、状況はどこまでご存知ですか?」

「お隣の国で船が燃えた。その積荷は、わたしが半世紀前に扱っていた商材に似ていた。それで呼ばれた」

「表層をなぞれば、そうなるかもしれませんね」


 こちらにはアリバイがある。関係者との連絡は辿れないはずだし、俺たちとの接触も、屋敷への出入りもない。関係を繋ぐはずの男たちは消えたし、彼らの足もから消した。

 完璧だ。そのはずだった。


 最上階のスイートルームに招き入れられ、俺は少しだけ妙な香りがしているのに気付いた。

 思わず足を止めた俺を、ミズ・ボンドは振り返りもせず歩き続ける。奥で、誰かが待っている気配があった。


「これは、自省として肝に銘じていることなのですが」


 ノックもしないうちに、内側からドアが開かれる。


「世慣れない者は、さかしらに考えがちなのです。世の中は整然としているのが自然だと。でも社会は、現実は、常に歪み、ねじれ、混沌としている」


 窓際に置かれた車椅子が静かに回り、老人が俺を見た。

 まだ生きていたのも驚きではあったが、その目に光が戻っていることに気付いて俺は自分の間違いを悟る。かつて老害を笑いながら、自らが老いさらばえていたことを思い知る。


「あれが最期だと、思っていたか、サイモン?」

「……ああ、そうだシェビー、少なくとも、だとはな」


 そうだ。どうあるべきかで考えるのは、傍観者の視点でしかない。理屈や理想がどうであろうと、世界は混沌に向かって進む。物事が正しく収まった時点で、それは不自然なのだ。

 だから、こいつらは確信した。俺の関与を。俺が何をしようとしていたのかを。


「残念だな、これが終章エピローグだ。……わしが聖者を、磔刑台に送る」

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