虎よ虎よ虎よ

「大丈夫なの、全部落としたの。もう全然、汚れてないの」

「あ、ああ、あ……」


 半泣きでプルプルしてるあたしを、ミュニオが必死で慰めてくれた。ゆっくり丁寧にわかりやすく浄化魔法を掛けて、なだめながら優しく背中を摩る。そこでようやく落ち着きを取り戻し、自分が大人気おとなげなかったと気を取り直すことができた。

 そもそも寄生虫は寄生虫であって、服に掛かったくらいで死にはしない。この世界の基準でいうなら、あたしは度を越した潔癖症みたいなもんなんだろう。無理なもんは無理だ、とはいえ。特に必要もない浄化魔法にミュニオの魔力リソースを割いてもらったことには罪悪感がある。すまん姐さん。


「……何してんだ、お前ら」


 あたしの悲鳴で飛び起きて敵襲かと臨戦態勢に入っていたヤダルさんは、呆れ顔で刃物を背中の鞘に戻す。


「な……なん、でも、ないよ。むし、浴びた、だけ」

「虫?」

「シェーナが、おっきな野豚を狩ってくれたの。その血を抜いて、空間魔法で仕舞ったら体内の虫だけブワッて弾かれちゃって、それがバサッて」

「そっか」


 擬音だらけで漠然としたジュニパーの説明でも状況を察したらしく、ヤダルさんは荷台から降りてきてあたしたちをまとめて抱き締める。こっちの世界のひとって、わりとボディコンタクトが多い気がする。良くも悪くも、気持ちを丸出しにするというか。


「ありがとな。悪い、あたしが自分で仕留めるつもりだったんだけどさ」

「いや、いまのは、単に、あたしが大袈裟に騒いだ、だけで」

「なんでだよ。虫を浴びたら誰だって叫ぶだろ?」

「「「え?」」」

「え?」


 あたしたちとヤダルさんは揃って首を傾げる。こちらの意図するところを察したらしく、虎姐さんはいくぶんムッとした顔になった。


「お前ら、あたしをなんだと思ってんだ」

「ええと……なんというの? 動じないひと?」

「虫浴びたら動じるわ!」


 そうなのか。その後ヤダルさんからは、“自分にも女子的なところはある”というような感じのことを力説された。いや、そこを否定まではせんけども。虫がくっついたくらいでこのひとがキャーキャーいうところは想像できん。


「ねえヤダルさん。このまま、東に向かえば良いのかな?」

「おう。その先に見えてる低い方の丘、あれを越えたら街が見える」


 気を取り直して車を出す。野豚はあれきり現れず、鳥は見えたが撃つには小さ過ぎたり遠かったり。獲物を荷台に出したところヤダルさんから土産に十分過ぎると太鼓判を押されたので狩りは終了。“義理の子供たち”の元に急ぐことにした。


「みんなつかまって、少し揺れるよー」

「この車、あんな坂まで登れんのか?」


 向かう先にある最大の難所、崖と坂の中間くらいの急勾配を前にヤダルさんが不思議そうに見る。運転席のジュニパーが前方を指差しながらミュニオと話してるのは、ルート取りを考えてるっぽい。


「どうだろ。ジュニパー、いけそう?」

「大丈夫、もっとすごい坂も登ったからね」


 ああ、あの河ね。あれは、流石にどうかしてた。でも、あれが行けたんだから大丈夫というのは、たしかにそうかも。


「たぶん行ける」

「へえ、すごいな」


 驚いてはいるが割と平然とした顔だ。そういや、このひと自動車を見ても何のリアクションもなかったな。魔王のお仲間だっていうから以前にも見てるのかもしれない。


「ヤダルさん、車に乗ったの初めてじゃない?」

「ああ。昔は、けっこう運転もしてたぞ。“すくーるばす”とか“とらっく”とか、“はんびー”とか“えくさーる”とかさ。こんな坂を登れるようなのは、“えくさーる”しかなかったなあ」


 過去の思い出を嬉しそうに話す。スクールバスとトラックはわかるけど、後半は何のことかわからん。なんだ“えくさーる”って。

 このひと、昔話をするときには、ずいぶん表情が柔らかくなって、目に優しい光が宿る。自分から話す気になるまで突っ込まずにいるけれども、もしかしたら仲間の多くは故人だったりするのかな。


「よーし、行くよ!」


 アクセルを吹かして勢いをつけ、ランドクルーザーが坂に向かってゆく。少しだけ傾斜と路面状況が良い場所を選んでジグザグ気味に駆け上がり、尻を振りながらゴンゴンと斜面を乗り越えてゆく。坂とはいえ、まばらに木も生えているから勢い任せで突っ込むわけにもいかず、なかなかにスリリングだ。


「ジュニパー、ちょっと右みぎー」

「そう、そこなの!」

「みんな、ちょっと左に体重掛けて!」

「がんばれ、もうチョイだ!」


 全員で声を掛けながら最後のスロープを抜け、稜線を超えた車体がゴウンと大きく跳ねた。いったん車を停止させて、前方を確認する。

 山というには低い、丘程度の起伏に囲まれたそこは直径数キロの盆地みたいな地形になっていて、端の方に朽ちかけの建物が十数戸が寄り集まった、廃墟か隠れ里といった感じの集落が見えていた。周囲は緑の豊かな土地。

 というよりも、森に帰ろうとしているのか。


「ほら、あれがメイケルグだ。あたしたちは、あそこでソルベシアから逃げ落ちた奴らを保護してる」

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