荒野の戦塵

 翌朝、あたしは暗闇と野生動物への不安からあんまり眠れなかったけれども、ジュニパーとミュニオはスッキリした顔で目覚めた。チビエルフさんじゅーにさいは少し照れくさいのか笑顔がぎこちない。

 まあ、元気になったようで何よりだ。

 天気は快晴。というか、この辺りは乾燥しきっているようで空には雲ひとつない。群狼が数百平方キロのテリトリーを移動しているのは習性というより、生きるためには餌や水を求めて移動し続けるしかないのだな、きっと。

 簡単に車の点検をして給油を済ませ、新たに爺さんから仕入れた一・五リッターのペットボトルを何本か助手席の足元に置く。残念ながらジュニパーが好きな軟水ではなく、フランス産の硬水だ。


「水は、早めに多めに補給してね。飲みたくなる頃には脱水症状になってるみたいだから」


 北上しているからか――帝国は南半球にあるのか、北ほど暑くなるらしい――単に環境のせいか昨日より日差しも強いし、五百ミリリットルでは足りなくなりそうだ。


「だっすい、って?」

「あたしのいたところでは、そういわれてたけど……なんていうの? 汗で出てく水分が多過ぎて気分が悪くなること。そのままだと死んじゃう」

「それは知ってるの。そんな名前だったのは、知らなかったの」

「ジュニパー、こっちで呼び方ないの?」

「ええと……“渇き死に”、とか?」


 死亡そこまでいかないと症状名ないのか。日本でも昔はそうだったのかもね。運動部で水飲むなとかいう頭おかしい時代があったみたいだし。


「そんじゃ、お嬢さんたち、行きますよー?」


 エンジンを掛けて、ランクルを発進させる。ようやくギアの操作にも慣れてきた。スピードが乗るまではシフトレバーとクラッチとアクセルをせわしなく動かさなくちゃいけないので、あんまり余裕はないんだけど。砂とか泥濘ぬかるみとか岩場とかで地面が不安定だと、そこにハンドルとブレーキも加わるので軽いパニックになる。こんなもん街中でふつうに運転してた爺ちゃん、いま思うとスゲーな。


「ね……ねえ、シェーナ。なんで、ぼくの真似?」

「ああ、“お嬢さん”か。ええと……なんとなく?」


 ふたりはクスクスと笑うけど、ジュニパーこいつの存在と性格が、逃亡者である自分たちの救いになっていると気付いたからだ。

 とはいえ、それを口にするのはすごく抵抗がある。ただ恥ずかしいというだけでなく、独りで生き延びるのだと必死で我を張ってきたここまでのあたしの意地を、全否定することになるから。他人に壁を作って依怙地になって、でも拠り所は何にもない空っぽの自分と向き合うことになるから……


「ああ、もう!」

「「ん?」」


 いや、まだ間に合うかもしれない。いまなら、まだ。


「お前が、好きだからだよジュニパー」

「「ふぉおー⁉︎」」


 ジュニパーとミュニオが、驚いた顔でこちらを見る。真っ赤な顔で口を開け目を丸くした水棲馬ケルピーはヅカ美女の仮面が剥がれて、意外に幼いの表情を露わにしている。案外、可愛い。


「ど、どどどどどしたの、シェーナ⁉︎ ヘンだよ、なんか悪いものでも取り憑いた⁉︎」


 お前がいうなと、心のなかでツッコむ。取り憑いたとしたら、睫毛の長い馬の魔物だと思う。


「どうもしないよ。怒りと恨みと憎しみに流されて、周囲まわりのやつらを殺すことしか頭になかったあたしを変えたのは、お前だ。だから、ジュニパーみたいになれたらなって、ちょっと思ったんだ。口調を真似したからって、なれるもんでもないけど、雰囲気だけでも……」


「むひゅん」


 涙と鼻水を噴いて、ジュニパーが震え始めた。おかしな話だけど、美女って鼻水流してても綺麗なのな。そういうの狡いと思うわ。優しい笑顔でジュニパーの背中をポンポンしてるミュニオさんじゅーにさい、超バブみ感。母性に溢れた感じが、不思議と年齢相応に見えてくる。

 長命なエルフの三十二歳は、精神年齢として人間の十代前半だとは聞いたけどね。


「しぇええなぁ……! だいしゅきぃー!」

「お、おお待て待てジュニパー、危ないって」

「わたしも、シェーナとジュニパー、好きなの。ふたりとも、大好きなの♪」

「むひぃいーん……!」

「わかった、いっぺん止まるから、やめ、ちょッ! のおぉ、曲がる曲がる……」 


 あちこち迷い悩みギクシャクとヨレながらも、あたしたちを乗せたランドクルーザーは砂の海を走り続けるのであった。めでたしめでたし……


◇ ◇


「……な、わけねえわな」


 あたしは車の屋根に座って、双眼鏡で前方を見る。今度は昼なので、視認できないということはない。北東方向に見えるのは、低めの稜線ながらも視界いっぱいに広がる山。車で越えられるかどうかは不明。たぶん無理だろう。山脈の中心部、そこだけ低くなったところに幅広の構造物がある。かつて小さな王国の首都だった――そして、いまは併呑され帝国の支配下にある――ムールム城砦だ。

 その手前に、薄い砂煙が広く上がっている。シルエットがいくつかデコボコしているのは、兵たちが掲げている軍旗だ。双眼鏡越しでさえ、あたしにはボンヤリした集団が陽炎越しに見えているだけだが。


「旗は、黄色と黒。槍騎兵だね」


 ジュニパーは裸眼で平然と見極める。

 “帝国以外に国はない”という国是の下、帝国軍の軍旗は所属を問わず兵科だけを示す。

 黒い旗が騎兵、白い旗が歩兵、黄色い旗が槍兵、橙色の旗が弓兵、緑の旗が砲兵、赤い旗が魔導兵、青い旗は輜重しちょう(補給部隊)で、紫の旗が指揮官。

 彼女の見立てによると、前方の部隊は帝国軍に敗北して走狗に堕ちた旧ムールム王国の精鋭、“迅雷槍騎兵”だそうな。


「なんでそんなのが向かってくるんだ?」

「こちらの上げる砂煙を見て、敵だと判断したんだと思う。ごめん、ムールムの兵が、あんなに残ってるとは思わなかったから」


 荒地に暮らす者は、砂煙の量と高さと広がりを見て移動する物の正体をかなり遠方から、詳細に知る。ランクル並みの速度で走るのは高位の魔物か、魔物に乗った騎兵くらいで、どちらにしても砦に駐留する軍部隊にとっては緊急事態なのだそうな。


「あれ、距離は、どのくらい?」

「ほとんど地平線近くだから、二ミレくらいかなあ」

「後ろは……あっちも、あんまり変わんないか」


 同じように砂煙。まだ旗は見えないけど、荒野を渡ってくるからには騎兵だろう。


「あたしたちが目当てじゃない・・・・可能性は?」

「あんまりないかな。この辺りで唯一の水源を押さえているのが、あの砦だし。そこに所属する騎兵が打って出るのは国として対処するべき敵が現れたときだけだよ」

「後ろのやつらが対処するべき敵それ、とか」


 あたしは自分でも信じていない希望にすがる。


「あの城砦は、敵の侵攻を止めるためのものでしょ? 帝国領の中央に騎兵集団を持ち込むような敵がいたとしたら、かなり大きく攻め込まれている状況だし、そういう敵が来るとしたら砦の向こう側からだと思う」

「だよね。わかってた。でも夢を諦めたくなかった」

「シェーナって、ときどき不思議なくらい無邪気な感じになるよね。悪い意味で」


 うるさいよ。そんなのわかってんだよ、こっちだって。ずっとこのまま逃げ続け殺し続けるのかなって、ちょっと思っちゃったりするじゃん。もしかしたら、どこかにあたしたちを受け入れてくれる自由でラブ&ピースなヒッピーコミューンみたいなもんがあるんじゃないかって、思うじゃん。

 ヒッピーが実際どんなもんかも知らんけどさ。


「シェーナ、この“くるま”は、止まらずにどのくらい走れるの?」

「さっき給油したから、三百か四百……ええと、二百と、五十みれくらいは大丈夫」

「「そんなに」」


 ジュニパーの速度には敵わないけど、馬を引き離すくらいはできるはず。そのスピードで走り続けられるかどうかは、わかんないけど。


「……東、かな」

「わたしも、そう思うの」


 この大陸の大まかな地形は、以前ジュニパーに聞いた気はする。東は、何千哩だか先に険しい山脈があってどん詰まりとかいってなかったか? 西側は低い山地と荒野が交互に続いて、その先に魔物の棲む渓谷があって海に繋がる。だから北に向かってた。


「砦と騎兵で方向転換が必要になったのは理解してるけど、なんでふたりとも東を選んだの?」

「ぼくの聞いた話では、東に数百哩ほど向かったところで北に折れると渓谷に出るはずなんだ。そこを抜ければ、あの砦を迂回できる……はず」

「はず?」

「行ったことはないから」


 ミュニオが困った顔をしてこちらを見る。


「ミュニオも伝聞から?」

「そうなの。でも迂回できるのは、本当だと思うの。北東にあるその渓谷は、エルフの伝承にあるの。でも……」


 おう、なんか不安になるフラグきた。ミュニオさんじゅうにさい、急に饒舌になると要注意なイメージがある。


「でも?」

「そこ、龍の住処ドラゴンズネストって、呼ばれてたの」

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