出会ったばかりで離別

 とりあえず砦に運ばれてきたのと逆側、北へと進路を取った。謎馬の全力疾走で振り回されること小一時間ほど。追っ手の影が見えないのを確認して、あたしは馬に速度を落とさせる。炎天下を自動車レベルのスピードで走り続けていたというのに、この馬は息を切らした様子もない。それどころか、汗さえろくに掻いていない。先にへたばったのは乗り手の方だ。


「……暑い。喉、乾いた……お尻、痛い……」

「右手に降りた先に、小川があるよ」


 馬はご機嫌な様子で土手を降りて、小さな川へと向かう。


「……う、ぅん……」


 あたしの小脇に抱えられていたチビエルフが小さく吐息をついて、いきなりガバッと顔を上げた。砦から逃げるとき馬が全力疾走を始めたのを見て何か伝えようと振り返ったのだが、舌を噛むから黙ってろと後回しにしていたのだ。途中から静かになったと思ったら、どうやら気を失っていたようだ。


「だ、だめなの!」

「ダメって、なにが」


 エルフは泣き顔であたしにすがりつき、震える声で耳元に囁いた。


「……これ、馬じゃないの。……水棲馬ケルピー


 一瞬、何をいわれたのか理解できず首を傾げる。馬じゃない、ってのは理解した。というか……どう考えてもこれ、馬じゃねえとは思ったんだよな。

 でも、“けるぴー”ってなんだ?


「水辺で人を溺死させる、人喰いの魔物なの」

「え」


 あたしは頭を振って、小さく溜め息をつく。当の馬(を装った魔物)はといえば、嬉しそうに鼻歌なんぞ歌いながらズンズンと水辺に向かって進んでゆくところだ。見えてきた川のせせらぎはどうにか流れている程度で、溺死するほどの水深はなさそうだけど、魔物といわれて腑に落ちる部分はあった。


「なあ、殺す前に訊きたいんだけど、お前の目的は?」


 懐の謎空間からリボルバーを出して、撃鉄を起こす。後頭部に銃口を突きつけると、ヅカ馬改めヅカ水棲馬ケルピーは足を止めて振り返った。チビエルフの声は聞こえていたのか、動じた様子はない。


「自由になることだよ。生まれてからずっと、逃げて隠れて捕まって、また逃げての繰り返しだったから。ようやく本当に自由になれたと思ったんだ。お嬢さん、君のお陰だ」

「そりゃ結構。おとなしく、ここで降ろしてくれ」


 意外なことに、ケルピーは素直に従った。あたしたちが降りやすいように膝を折り、水辺の手前で腹這いになる。


「良かったら、ふたりの力になれると思うよ。襲ったりしない。最初から、何も企んだりしてない。ぼくは、ただ……」

「人喰いの魔物と旅する気はない。悪気があろうと、なかろうとだ」


 突き放した口調でいうと、彼もしくは彼女であるところの魔物は少し傷付いたような、最初から結果なんてこうなるとわかってたみたいな、哀しげな微苦笑を浮かべた。顔は馬のくせに。


「わたしも、なの?」

「ああ。ここでお別れだ、チビエルフ。あたしは誰の世話にもならないし、誰の世話もしない。生き延びるためには何でもすると決めたんだ。足手まといは要らない」

「……わかったの」


「でも、名前くらいは、訊いてもいい?」


 ケルピーが上目遣いでいう。チビエルフも、期待した顔でこっちを見た。ふたりから見つめられて、あたしは少しだけ身構える。

 この世界に来て以来の猜疑心から、なんぞ“真名を縛る呪術的な罠”とかなんかそんなもんでもあるのかもと警戒してしまったのだ。

 そして、案の定それはエルフと魔物である彼らに対してはサラッと伝わってしまったようだ。


「や、やっぱり、いい。いまの、忘れて。ごめんね、ヘンなこと、いって」

「わたし、ミュニオなの。ありがと、助けてくれて。……嬉しかったの」


 チビエルフが、俯いたまま呟く。助けたわけではないんだけどな。少なくとも、拾ったのはあたしの意思じゃない。むしろ、ミュニオの方があたしを助けようとしてくれたのだ。いま思えばあのとき、魔物と知らず接していたあたしを止めようとしたのだろう。

 ケルピーが立ち上がって、川の方へと歩き出す。水に入る前にちょっと立ち止まって、背を向けたまま笑った。


「ぼくは、ジュニパーだよ、お嬢さん。ぼくも君には、本当に感謝してる」


 そして、そのまま彼らはそれぞれの方向に歩き出す。自分たちの名前を教えたのは、こちらの名前を聞き出そうとしたのが何かの企みのためではないのだと、伝えたかったんだろう。

 あたしは答えず、ふたりとは別の方角に向かって歩き出す。

 これで独りだ。もう厄介なしがらみも、余計な手間を取られることもない。こんな気分になるのは久しぶりだ。中学の頃にクラスで孤立して以来か。女子全員から面と向かって“絶交の宣言”とやらを受けたんだっけ。あまりのくだらなさと発想の幼稚さに笑うしかなかったけど。

 きっとその笑いは、ケルピーが浮かべた微苦笑みたいなもんだったんだと思う。


 ーー最低だな、あたし。


 振り返ればふたりの姿は消えていて、あたしは独りきりになった。計画通り、望み通りに。

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